旅の回顧録~1993年のカンボジア(15)

カンボジアでリゾート?

1993/3/27 Sat

AM4:30,起床.
隣のベッドの日本人に,タケオ情報を聞きつつ荷造りをする. 
便意に襲われ,トイレにあたふたと駆け込む.久々の快便であった.腸の機能は回復しつつあるようだ.

「Inn house」をチェックアウトし,もう2度と利用することはあるまいと思っていたプノンペン駅にY氏,大前田氏と3人で向かう.そしてコンポンソム行の列車(今回はショベルカー運搬車!)に乗り込む.

AM7:00,出発.
いつもながらスタート時は心地よいカンボジア鉄道の旅.やがて南部方面へ線路が分岐する.しばらく進むと永野護がデザインしたかのような純白で繊細な寺院がジャングルの中にそびえていた.実に美しい.

やはり暑さはやってくる.ショベルの中に身を隠すも焼け石に水.あまりの暑さに意識が朦朧としてきた.

途中で何度も列車の連結,切り離し作業が行われる.このため到着時刻がどんどん遅れていく…それにしてもやなぁ,駅の切符売り場のおっさんは昼の2時には着くと言うてたで,なんでや!

Kazchari達の乗っていた運搬車両もとうとう切り離された.もはや扉の閉じた貨物車しか残っていない.屋根にも上れず途方にくれていると,機関士が声をかけてくれ,運転席に乗せてもらうことができた.

身体が疲れきっていたので,質問などに生返事していたにも関わらず,弁当やお茶をくれ,しまいにはコンポンソム駅の職員用宿舎に泊まれと言ってくれた.感謝感謝.クメール人は誠に親切である.

PM7:30,ようやくコンポンソム着.

機関士に別れを告げ,群がるバイクタクシーを振り払い,Y氏がドイツ人から聞いたという安ホテルを探して2キロ程海岸沿いを歩く.

キーポイントとなるレストランを発見.なんでも,ここの主人が空き家をゲストに開放しているらしい.そこでタイ製インスタントラーメンの夕食をとる.TVでは懐かしの『Take On Me』のMTVが流れていた.何か意味深.

ゲストハウスまでくるまで送ってもらう.一泊US$5のベッドにようやく落ち着く.
この宿,電気はあるが水道はない.外の大甕にたまった雨水でカラダを洗うシステム.一人旅のアメリカ人女性が,先客として滞在していた.(その16へ)

雪景色サイクリングロードライド

2019/11/17 Sun

OLYMPUS TG-5

Mostly Cloudy, -3°C, Feels like -8°C, Humidity 81%, Wind 5m/s from W

朝から自宅前の雪かき.一息ついた所でファットくん出撃!
今日からハンドルカバーを装着(手袋が薄手でOKとなるのでブレーキ,ギア操作しやすい).
こうして徐々に冬装備に変わっていくファットくん.
雪の状態からみて圧雪アイスバーン箇所は少ないとみて,ノーマルブロックタイヤのまま.
交換が面倒くさいので逃げているだけかも.
行き先はっ,おそらく今しか走れない忠別川サイクリングロードッ!

バイクパーツセンター ネオプレーン ハンドルカバー ウォーマーブラック 左右セット

近所の通称”シャイニング”通りを抜け川堰に向かう(映画の『シャイニング』クライマックスのあれ).

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

川堰の上こそ除雪されていたものの,サイクリングロードは案の定,積雪15cm~ほどで雪の進軍状態.
かろうじて残る,人(+犬)の足跡を辿る.誰にも出会わない.夏には気にも留めない木々が,雪から生えて良い感じのオブジェと化している.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

この季節の雪は重い.
ホイールにまとわりついてペダリングがどんどん重くなる.
Zwiftの10%坂をずっと登っている印象.
これもまた冬チャリトレーニングの醍醐味と,時々踏むがやはりもたない.
すぐに汗だくになる.如何せん景色が美しすぎて頻繁に止まるし.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

結局,駅に到着するのに1時間ほどかかった.向かい風がどんどん強くなってきたので,駅構内に避難避難.持参したコーヒーで一服.旭橋付近まで行く予定だったがここでDNF.帰路につくことに.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

もちろん,このままサイクリングロードリターンでは面白くないので神楽岡公園に寄ることにした.
この公園,冬は散歩道がクロカンコースに変わる.
もう少し積雪が進むと足つき必須の難コースに変わるのだが,まだまだファットでスルスル走れる.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

数名の犬散歩の人以外,誰もいない静かな空間.
冬チャリは飛ばさなくても楽しめる.
寒さ? そうでもない.

腹が減ったので,セイコマにてカロリー摂取.
どれだけ気温が低かろうが「ガリガリ君たまご焼き味」は欠かせないっ!(さすがに寒かったぞ!)

OLYMPUS TG-5

旅の回顧録~1993年のカンボジア(14)

1993/3/26 Fri

朝,日本大使館へ.
昨日増ページを頼んでおいたパスポート(*1)を取りに行く.
なんと15000リエルであった.日本円で350円ほど.2000円程度かかると聞いていたけれど,実際はその国の公定レート(*2)に合わせているようだ.

道端の屋台にてボリューム過多のサンドイッチ朝食(*3).はさんであるパパイヤサラダ(*4)にはアリがたくさん混じっている.これでタンパク質補給も問題なし.

「Capitol」のレストランで旅行者と話したり,洗濯(*5),読書(*6)をして一日を過ごす.

作家を目指しているというY氏の日本語文法論(*7)にいちゃもんをつける.Kazcahriがまるで「わかってないヤツ」のように言われたのでムカついたのだ.どうでもいいことなのだが,あまりにヒマ過ぎてストレスがたまっているのだろうか?

そこへラオスのヴィエンチャンから飛んできた日本人夫婦(*8)登場.ラオスでは,なんとジャール平原(*9)に行ってきたそうな.

明日のコンポン・ソム(*10)行きは検討の結果,またもや列車で行くことになりそうである.雨が降らなければよいのだが.

「Inn House」に戻ってベッドに寝そべっていると,知り合ったばかりの日本人旅行者にプノンペンの売春街「70番」に行かないかと誘われる(*11).
もちろん断る.さっぱりわからん.倫理的うんぬんより,病気,強盗,拉致などの恐怖感が先行する.

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*1:このパスポートはその後盗まれてしまい,ウィーンで発見されることになる.中国系犯罪者が使っていたらしい.
*2:レートはいつもクセモノ.よく知らないと大損する.例えば94年当時,ミャンマーでは公定:US$1=6チャットだが,闇:120チャットだった.
*3:店によって大きさ,味に違いがある.パンが異常に固い点は共通.
*4:タイでは「ソムタム」として有名.うまいことはうまいのだが,沢ガニ入りの時もあり,寄生虫がやや心配.
*5:バケツに洗剤を入れ,汚れ物を2~3時間つけておく.その後2回ほどすすいで干す.水不足の国だと宿の主人に怒られたりする.外干しだと乾きは速いが,扇風機による強制乾燥だとさらに速い.
*6:安宿がかたまる地域では,たいてい古本屋がある.日本語の本では,軽く読めるミステリ系が多い.割と高い.読んだ後は半額で引き取ってくれるところもある.
*7:旅に出ると誰もが評論家になる.ただし長期旅行者にはアクが強い人物が多いので,論争になると収拾がつかなくなることも.
*8:夫婦や恋人で貧乏旅行している人は意外に多い.話を聞くとかなり大変らしい.何しろ互いに気をつかうそうな.
*9:93年当時,ラオスは国内の自由旅行をほとんど認めていなかった.ただしお金を払ってのツアー参加ならOK.古都ルアンプラバン・ツアーがメジャーだが,ジャール平原も興味深い.謎の巨大石壺がゴロゴロ転がってるミステリーゾーンである.
*10:別名シアヌーク・ビル.フランス人が開発したリゾート地.
*11:US$5~だそうな.日本人旅行者に人気の娘がいて,「Capitol」でも話題になっていた.

Randonneurs Sapporo開催2020ブルベ発表!

朝起きると,この様な状況に...

OLYMPUS TG-5

スパイクはまだ早い.
来週の月曜日は雨で最高気温11℃くらいまで上がるそうなので,再び融けるか.
ネットにつなぐと,ランドヌール札幌の2020ブルベリストが発表になっていた.

Randonneurs Sapporo

まだルートが出ておらず名称のみ.
詳細は順次発表とのことで,現時点での雑感を.

⓪ アイスブルベ(2020/1/25 キトウシ温泉発)

2020アイスブルベ100km
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2020アイスブルベ50km
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ランドヌール札幌の独自ブルベ(認定外).
今年は高砂温泉から鷹栖方面を巡る50kmに出走.
3時間30分でゴール.
ほぼ快晴で実に走りやすかった.
ゴール後の高砂温泉は至福.
今年はルートが変わって東川(キトウシ)-美瑛-上富良野方面の50もしくは100kmのどちらか.
参加するならやはり100kmかなぁ.
50kmだといつもの冬サイクリングと距離が変わらないので達成感がイマイチなのです.
とは言え,アイスブルベは天候次第で天国にも地獄にも変わる.
「2017年,完走者1名」の悲劇が思い起こされる(出てないけど).

① BRM502日高門別200km(札幌発)
ルートが全く想像つかないGW半ばのブルベ.
AJ北海道の方で4月のシーズンイン・ブルベあり?
いずれにせよチャリでは走ったことがないルートだと思われる.
参加可能性〇(マル)で.
前泊はGWでも安定の空室あり,ふとみ温泉リラックスルームか.

② BRM516十和田クラシック200km
これはさすがにパス.
出たい気持ちはヤマヤマだが,ヨメ峠は絶対に越えられない.

③ BRM606きのこの山300km(札幌発)
謎ルート.
きのこ王国(?)のことだとすると,超豪華なトイレで有名な大滝周りだろうか?
興味はあるので参加可能性は△.

④ BRM620噴火湾200km(往路)(札幌発)
⑤ BRM621噴火湾200km(復路)(札幌発)
名称からなんとなくルートの想像がつくが,なぜ400km一発ではないのか?
片方は内陸経由で獲得標高がとんでもないとか.
旭川からの移動を含めると2泊3日...これも参加は難しいかも.

⑥ BRM723クロスコート200km from札幌
⑦ BRM723クロスコート200km from旭川
⑧ BRM723クロスコート200km from釧路
このような開催方法もあるのかと.
この3つだと意図がよくわからないのだが,翌日の...

⑨ BRM724アタック三国峠300km(音更発)
で,真相が明らかに.
睡眠がたっぷりとれる500kmブルベだったのねん.
アタック三国峠は2018年に完走.
2020年はスタート地点も違うし,幌鹿峠も開通済みなので難易度がアップしているはず.
残念ながら祝日開催.
両方とも参加は無理か...

⑩ BRM829弁慶岬600km(札幌発)
これはぜひ参加したい.
弁慶岬がどこかわからなかったので早速検索.
寿都にあるらしい.
つまり道南周りの600?
現時点で参加意欲は◎.
問題はその2週間前にAJ北海道の「納沙布1200」があるということ.
疲労回復峠のみならずヨメ峠は越えられるか?

⑪ BRM926霧立400km(札幌発)
霧立はやはり霧立峠のこと?
すると増毛や北村300っぽい海岸沿いから内陸に入るルートかな.
時期が時期だけに夜間の防寒がポイントか.
シーズン最終に近いので参加可能性は〇(マル).

正式ルート確認後,アップデートかな.
さすがにランドヌール札幌だけではSR達成は難しそう.
AJ北海道との組み合わせは必須.

今年のブルベ界隈,最大の話題はルートラボ代替問題でしょう(ホンマ?).
いつ決定打が登場するのやら...とすっかり他力本願.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(13)

1993/3/25 Thu

AM7:00から8:00までをまどろみの中で過ごす.

起床後,我が愛しの赤いパスポートを取りにベトナム大使館まで歩く.ついに手に入れたベトナムヴィザには入国可能ポイントが3ヶ所も書いてあった.

屋台でサンドイッチを買い,「Capitol」 のレストランでアイスコーヒーを頼む.うまい.夢見ていた朝食である.

そこへ大前田氏登場.海岸行きを断って,明後日ベトナムに抜けます…と言うつもりが,あの人の前に出るとなぜか不思議な力が働いて(途中で自衛隊駐留地のタケオにも寄るという話が効いたか?),海岸行きが決定.カンボジアヴィザの再々延長をすることになってしまった.

バイクタクシーをつかまえてイミグレーションに行ってもらおうとするが,ホンマに運ちゃん,プノンペンの地理がわかっていない.まぁ,現地民や普通の観光客がそうそう行くところではないのだが…散々寄り道された挙句,AM10:40,ギリギリでヴィザ申請に間に合った.

「Inn House」に戻った後,大前田氏と銀行経由で郵便局へ.タイ資本の銀行にて,T/C US$300をキャッシュに換えた(US$294 GET.手数料高い).
郵便局では3人に絵はがきを発送。全部で1300Rであった.

帰り道.中央市場にて「中華風ぶっかけメシ」を食う.やはり地方よりプノンペンの方がうまい.ついでにガラスケースに札束を並べた青空両替所にて,おばちゃんとレートの交渉.明るい「闇チェン」である.US$10が55000リエルになり,バッグが札束だらけになった(インフレ途上国あるある).

「Capitol」のレストランはすっかり旅行者のたまり場となっている.
有益な情報,ウソの情報,ヤバイ情報,何でも飛び交っている.退屈はしない.

夕食後も居座り続けてだべっていると,突然銃声が響いた.すぐ裏の路地らしい.野次馬根性で見に行くと,黒人のUN兵が拳銃を空に向けて構えていた.一目で酔っているとわかる.現地住民が取り囲み,彼をなだめていた.

旅が長くなると忘れがちになる.ここはけっして安全な場所ではない.(その14へ)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(12)

あの列車に再び乗る.

1993/3/24 Wed

AM5:00,起床.まだ真っ暗なバタンバンの街を駅に向かう.
例の商店に再訪できなかったのが悔やまれる.

切符を買って,どこに乗り込むかを検討.今度の列車には客車が一台も連結されていなかった…

結局,UNTAC車両の運搬貨車に“座る”ことにした.積んであるランドクルーザー,どこかで事故ったのか,もしくは地雷を踏んだのか,前部がクラッシュしていた.

途中の襲撃,強奪を恐れてか,武装したフランス人UN兵が一名,護衛に付いている.「ここに乗ってもいいか?」と尋ねるとOKという返事.一方で現地の人間の乗り込みは拒否していた.

AM7:00,発車.前回より速度が上がったような気がする.各駅での停車時間も短い.これは意外に早くプノンペンに着くかも…と楽観したのが甘かった.

昼に近づくにつれ,気温も急上昇.日差しもきつくなる.Tシャツ泥々,肌ベタベタ.車両運搬車なので,身を隠すスペースは何もない.まさに灼熱地獄.さっきのUN兵に,ランクルの運転席に入らせてくれと頼んだが,許してくれなかった.
帽子,タオルで日差しを防御.座ってる鉄板ももちろん暑い.水をガブ飲みしつつ,タオルをひいて横になりまどろむ.

やがて腹具合がおかしくなる.Big-oneの欲求である.列車が一時停車したのを見計らって貨車を飛び降り,草むらに飛び込もうとすると,UN兵が「NO!」と叫ぶ.彼が指す方向には,しっかりと,あの赤い「DANGER MINE」標識が乱立していた…

仕方なく貨車の上で顔面蒼白,冷や汗タラタラでさらに我慢す.こうなったら最後の手段である.2台並んだランクルの間にしゃがみこんで,ビニール袋のなかにする…ホッと一息ついた頃,人混みの駅に列車が入っていった.

PM3:00を過ぎるとさすがに過ごしやすくなる.やがて日が暮れた.

遠くに見える“大都市”プノンペンの明かり.さぁ,もうすぐだと思った途端,いきなり大砲が3発鳴って急停車.襲撃か!と思いきや,機関部の故障であった.

待つこと2時間,ようやく発車.プノンペン着はPM9:00であった.

大前田氏,Y氏,Kazchariの3人は「Capitol」目指して大通りを歩く.疲労のため全員一言もしゃべらない.
そこへカンボジア人の警官が3人寄ってきて,パスポートを見せろだの,荷物検査をさせろだのと,たわけたことをぬかしやがる.どうせ賄賂目的.ただでさえ空腹でイラだっている日本人3人組は,ムカムカして逆にくってかかり,要求は無視してその場を立ち去るのであった.

「Capitol」が満室だったので,近くの安宿「Inn House」のドミ(US$5)に落ち着く.鏡に映った自分の姿を見て,なぜ警官に職質されたのかがわかった.(その13へ)

『新国立劇場バレエ団 くるみ割り人形』を鑑賞

2019/11/10

約30年ぶりに生のバレエ公演を鑑賞した.

バレエを習っている中学生の長女とその友達,それにKazchariの3人で札幌までバス移動.
ただの付き添いというわけではなく,元々クラシック音楽好き.
公演そのものが楽しみである.
思い起こされるのは数年前,急な体調不良のヨメさんの代わりに,娘と二人で行った札幌ドームのB’zライブ.
あれは辛かった.
何が良いのかさっぱりわからん.
周りが立ち上がって盛り上がる中,ずっと席に座っていた.
浮いてたなぁ...

保有CDは圧倒的にクラシック音楽が多い(300枚くらいはある).
20代の頃は,いわゆる名盤と言われるCDを買いまくっていた.
今では全てMP3に変換してiPodに入れている.
HD占有率ではアニソンについで多いはず(3位はレゲエか).

さて,そのクラシック音楽,一番好きな作曲家はブラームス.
特に『クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115』はたまらん.
もうね,偏屈独身中年男が人生を嘆いて嘆いて最後には諦める...そんな曲.
私小説感たっぷり.
もちろん『交響曲第四番 ホ短調 作品98』も虚無感満載.
指揮者はカルロス・クライバーが良い.
もうこの世にいないけど.

モーツァルト&ブラームス:クラリネット五重奏曲

ブラームス:交響曲第4番

今日の演目は,ブラームスと同時代の作曲家チャイコフスキーの『くるみ割り人形』.
もちろんこの曲も大好きで,アンセルメ指揮のCDを聴き込んでおり,だいたいのフレーズは口ずさめる.
あっ,Kazchariは楽器の演奏できません.
楽譜も読めません.
ついでに音痴なので家族からは鼻歌禁止令が出ています.

チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」作品71-全曲

旭川からの高速バスは昼前に札幌着.
引率している2人がバレエ用品専門店に行きたいとのことで,買い物の間,店内の簡易イスで待機.
完全にアウェー状態.
女性下着専門店に放置されたようで居心地悪いにも程がある.

昼食後,13:15開場に合わせ,札幌文化芸術劇場hitaru着.
地図はあるものの行き方および存在が非常にわかりにくい.
まず建物の名称が「札幌市民交流プラザ」,その中に「札幌文化芸術劇場」「札幌文化芸術交流センター」「札幌市図書・情報館」が同居している.
地下鉄の出入り口からして「hitaru」の案内掲示がどこにもない.
新しいから?

14:00開演.
チャイコフスキー・バレエの他の2作品『白鳥の湖』と『眠れる森の美女』に比べると『くるみ割り人形』は,演出・脚本の自由度が非常に高いらしい.
もちろん曲は固定だが,今回はクララ=金平糖の精バージョン.
物語の中では夢(クララの妄想)の中で,王子に合わせてクララが自分を成長させた姿のように思える(違うかも).

音楽評論家のように表現できないので,とりあえず...観に来て良かった.
久々のオケ生演奏は元より,選抜合唱団も素晴らしい.
肝心のバレエも,普段見ている娘のバレエ団の演技と比較すると,やはりプロの凄みを感じさせる(当然).
特にアラビアの踊りが印象に残ったなぁ.
遠心性収縮運動はごまかしが効かない.

そう,やはりKazchariの着目点は出演者の体型・筋肉にある.
アスリートのそれは実に美しい.
てっきりボクサーやビルダー同様,体脂肪率一桁台?とか思って調べてみると,一流のダンサーでも世界標準でBMI18,体脂肪率17%前後らしい.
あれ,そんなに低いわけでもないなぁ.
見た目と数値は違うということか.

ライブやスポーツ観戦,筋肉観察に必携.
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旅の回顧録~1993年のカンボジア(11)

アンコールの街,シムリアップを去る.

1993/3/23 Tue

朝,市場にてバタンバン行きのタクシーを探す.
なかなか見つけることができず「Sunrise Guest House」を出発した時にはAM8:00を過ぎていた.

今度のタクシーは運転手,大前田氏,Y氏,Kazchari,知らない現地人2人の6人乗りで往路時よりせまい.おまけに“ハズレ”のくるま.エンジン不調で途中に何度も止まる.

UNTACの白車両に次々と追い抜かれる.このままでは,いつバタンバンに着くのか予測がつかない.UNTACをヒッチすることまで考えた.

砂埃にまみれつつもPM1:00頃,ようやくバタンバン着.前回同様「23 TOLA HOTEL」に部屋をとる.

荷物を置いた後,数日前に家族写真を撮った雑貨屋に行く.シャッターが下りていた.
一人で街を散策する.カンボジア第2の都市といえど,あまりに寂しい街.新築のホテルの他は,同じような形の黄色い壁の家が並ぶ街.

市場にて,不味いぶっかっけメシを食べながら,ここ数日の体調不良の原因を考えてみる.もちろん無理なスケジュールが主因だろう.しかし,プノンペンはともかく地方に行くと,カンボジア料理が口と胃に合わなかったというのも理由の一つに違いない.世界に冠たる料理王国,タイ&ベトナムにはさまれた国なのに,なぜ?

準戦時下のこの国では,新鮮な食材があまり豊富でないからだろうか?
もともとこの辺りのメコン沿いの国々に「餓死」という単語は存在しないという話だが…何しろメニューの幅がせまい.早くプノンペンへ(本音を言うとタイへ!)戻りたい.

宿代ケチってUS$10の部屋に3人で寝る.ベッド2つをくっつけて.
エアコンなしの部屋,ムシ暑い夜.Y氏持参のCDプレーヤーからは香港ポップスが流れ続けている.(その12へ)

今年もよろしく雪道ライド

Mostly Cloudy, 1°C, Feels like -3°C, Humidity 89%, Wind 3m/s from S

アップが少々遅れたが,11/9のライド日記となる.
朝起きると,Zwift部屋からの眺めがこの様になっていた.
旭川はいきなり真冬に突入.

OLYMPUS TG-5

初雪後の本格的な冬景色.思えば前日の金曜日は仕事で北見方面に出張していた.業務が終わり,現地を出発したのがPM7:00.旭川紋別自動車道,白滝付近で暴風雪に遭遇.除雪間に合わず,積雪は軽く5cmを越えていたように思う.さらには横殴り,正面からの雪でハイビームが反射して使えない.おまけにKazchariのくるまは軽のハスラー.蛇行するわ,後方からトラックやSUVに煽られるわで生きた心地せず.いやぁ,無事に帰れてよかった.「俺っ,生きてるっ!」

で,翌日は休日.天気も回復している.となればグラベルへGoである.
ウェアは冬用中装備.手袋で悩む.ハンドルカバーはまだ早いと判断.チャリの方は凍結を考えタイヤの空気圧を減らした(通常1.2Bar→0.7Barへ).
幹線道路の状態はこんな感じ.

OLYMPUS TG-5

いつも通り南に向かい,空港周りを探索予定.途中で眺めのよさそうなあぜ道を見つけるとそちらにハンドルを向ける.遠くに離陸間近のJAL機が見える.

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空港脇の撮影スポットに入る.今日はバズーカカメラマン皆無.良い撮影日よりだと思うのだが.日差しも出てきて,15%超えの激坂を上って自撮り.ポージングがイマイチ.

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今度は下る.青い空,白い雪,黒い土,さらに黄色の枯れ木がアクセント.自撮り棒にて俯瞰撮影.

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雪を踏む.薄氷を踏む.

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落葉のもみじを見つける.赤と白のコントラスト.

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千代ヶ丘の踏切を押して渡る.くるまは通れない.

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帰路に就く.
お気に入りの河川敷へ.時折,川岸に降りる.どう考えても無謀なブロック敷.ファットだと安心,と言いつつも結局は水門に阻まれて,堤防に15kgを押し上げることになる.

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堤防を走る.一週間前との景色の違い,変化を楽しむ.この極端さが楽しい.

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コーヒータイム.この魔法瓶,ホンマ優秀.残念ながらボトルゲージに差してグラベルすると表面が傷だらけになってしまうのだが.

OLYMPUS TG-5

タイガー 水筒 500ml サハラ マグ ステンレスボトル 軽量 アクアブルー MMZ-A501AA

PM1:00,今日も無事帰宅.例によって泥だらけで実に楽しい.自宅庭の雪はこんな感じ.また融けるかな.

OLYMPUS TG-5

弱虫ペダルは最新刊64巻からMTB編! 世間では色々と物議をかもしているようだが(2年目のIHの結果がアレだったので),Kazchariは楽しんでいます.特にこの巻はMTB解説編で勉強になる.コーナーでペダルを回せるとか(ビギナーなんでスイマセン).そやけど,ここにきて突然のMTB編,うがった見方をするなら業界の「MTBを流行らせよう戦略」を感じないでもない.ロードブームの夢をもう一度,とか.

弱虫ペダル(64) (少年チャンピオン・コミックス)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(10)

1993/3/22 Mon

本日も腹痛と頭痛で目が覚める.ここ数日,体調極めて悪し.大事に至らねばよいが…

寝ぼけた頭で過去のことをいろいろと思い出す.子供の頃のこと,学生生活,3年間の会社(というより沼津)での生活がなつかしい.そして…
頭蓋骨の裏側にへばりついた,これらの記憶に触れようともがく.刻の流れを痛覚としてとらえる.弱気になる.フリーになると規律が,ルーチンな生活には自由が恋しくなる.今はフリーの時期で不安.人には枠が必要か.

以前少し考えたこの後のカンボジア海岸旅だが,どうも大前田氏のアクの強すぎる性格についていけなくなってきている.Y氏も同様のことを考えているようだ.そもそも個人旅行者同志が長期間,団体で旅することに無理がある.
さて,どうしようか…

「Sunrise Guest House」の住人たちは日がな一日TV(香港映画?)を観てるか,床の掃除をしている.

御主人は Mr.キムという中国系の方である.もの静かな感じで諦念観漂う人.英語を話されるので,あの大虐殺の時代をどう過ごしたのか聞きたかった.でも,聞けなかった.聞いてはいけないのかもしれないと思った.

夜,Mr.キムは月明かりの下,一人,玄関でラジオを聴いている.耳をかたむけるとそれは日本語の放送だった.なぜだろう?

Mr.キムには20歳ぐらいの娘がいる.「へい,むわすたぁ~」というやたら低音の声でシンプルな英語を話す.そういえばプノンペンでも話題になってたなぁ,この娘…

また,この家には猫,それも子猫がいる.おかげで一日宿にいても,さほど退屈せずに済んだ.猫好きならわかるやんな?

Y氏がクメール文字の分析をしているのを横で眺めていたら,Kazchariも段々と興味がわいてきた.タイに戻ったら文字の表記と発音をきちんとやってみようと思う.

ちなみにKazchariの名前はクメール文字で,□□□□ □□□zu(注:□はクメール文字)となる.“zu”という発音は存在しないのだ.

このパズルに熱中していたおかげで,行きつけのレストランの閉店時間が過ぎてしまった.夜の町を歩いて,ようやく見つけた屋台には“ニラもち”しかなく,仕方なくそれを食う.味は悪くない.でも今の体調にはHeavyだ.(その11へ)