旅の回顧録~1993年のカンボジア(23)

今日も今日とて「Capitol」通い.何もすることがない贅沢な時間.

1993/4/4 Sun

人物点描.

M夫婦.
本業はクリーニング屋さんらしい.冗談だと思っていたが,本当に新婚旅行中.ダンナはアジア旅行慣れしているが,嫁さんはヨーロッパ・韓国のパックツアー経験しかなかったらしい.それでいきなりカンボジアとは…嫁さん,結構憔悴しきった顔をしているわけである.次はベトナムに行くとのこと.向こうで再開する可能性あり.

Iさん.
たぶん悪い人ではないのだが,話の中に30秒に1度は“オンナ”という単語が出てくるのはほとんど芸術.驚嘆した.

Fさん.
昨日バタンバンから列車で戻ってきた.
途中でポルポト派が線路をトラックで封鎖してたそうな.幸いなことにゲリラそのものは現れなかったらしいが,カンボジア旅行中の外国人は危ないのだ.誘拐され政治的かけひきの材料にされるか,もしくは殺されるという話もある.
ところでこの人,実は『歩き方』のタイ編やバンコク編を書いてるFさんその人だったことが判明.今回は取材ではなくプライベートだそうだけどベトナムのニャチャンが最高だったと,アオザイ姿の女学生の写真を見せながら言う.ふむ.

Kさん.
ジャーナリスト肌の人.やたらと政治や経済に関する話をふってくる.戦後,日本は天皇制が残されていたから発展したとか,日本の農業はどうなってもかまわない,カネさえあれば全て外国から輸入できるとかやたらに保守な意見言う人…と思いきや,なぜか反原発志向だったり,アイヌ問題に詳しかったりと,右か左か(最近ではこんな区分馬鹿馬鹿しくなってきたが)よくわからん人であった.

長期旅行者はなぜかよくしゃべる評論家タイプと,寡黙な哲学者タイプに分かれるような気がする.

大前田氏改めT氏.またも夕食の支払い時,店員ともめる.今回も外国人料金の請求が原因.多少は良いんでないの?

Kazchariはカンボジア滞在の実質的な最終日を,これらの人と過ごした.明日の今頃はサイゴンである.今,ノドが少し痛い.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(22)

自家発電のやかましさにはいい加減慣れたと思ってたのになぁ…いや,ひょっとしたら,今日タケオに行くと決めたので興奮してたのかもしれんなぁ…Kazchariは神経質やからなぁ…あーあ,眠れへんまま5時半になってしもた.

1993/4/3 Sat

「Capitol」で5ドル払ってカブを借りる.最初は大前田氏が運転.その後は1時間ごとに交代で運転することにした.

時折クメール人に地図を指さして道を尋ねるが,シャイなのか,やっかい払いしたいのか,どうも適当に教えてるフシがある.

で,そこそこ大ウソつかれながらも,なんとかタケオへの道,国道2号線を爆走する.ホンマに自衛隊が直したんかいな?と疑いたくなるヒドイ道.半分ぐらいはボコボコのダートであった.

たかだか80kmちょっとの道程を3時間かけて10時ごろタケオ着.入り口には「PKO~JAPAN」とかいう看板が立っていた.

タケオの町は小さい.
酒屋には「どうぞお気軽にお入り下さい」なんて日本語の看板があって笑えた.

駐屯地は広い.
戦車や装甲車はなく,大量のランクルやらトラックがズラーッと並んでいる.UNカラーの白が美しく,まるで新車の展示場のごとし.

入口ゲートでパスポートチェックを受ける.手持ちの服で一番マシなジーパンをはいていたが,胡散臭く見られるのは仕方あるまい.「個人での訪問はめずらしくてね」とかなんとか言われつつ身元照会.

この時,大前田氏のパスポートには別の名前が書かれていたことが判明.理由をしつこく尋ねたがはぐらかされてしまった.怪しい.今後の旅行中に追求せねば.

施設大隊本部内は冷房がきいていた.新聞記者らしき人たちがたくさんいる.
Visiterカードの記入を求められたので「○○大学学生」と大ウソ(母校なのは本当だが)を書く.正直に「無職」と書くのは不味かろう.

広島部隊所属の広報官の方が施設内を案内してくれた.

浴室(湯船あり!),PX(日本円OK),図書室,スーファミ,ビデオ部屋,それに隊員宿舎を見学させてもらう.宿舎テーブルに置いてあったカップヌードルやらふりかけが泣かせる.写真も自由にOKとのことでバチバチ撮る.

PXや自動販売機は調整中で利用できなかった.せっかく100円玉持ってきたんやけどなぁ…ジュース60円,ビール140円やって.と,色々考えているうちに見学終了.迷惑そうなそうでなかったような...

自衛隊PKOの是非なんて全く考えなかった.「現実」の中に取り込まれて何も考えられなくなった.Kazcahriの性格ってそんなもの.

駐屯地を出,タケオ市街の食堂で昼食.
お店のおねーさん曰く「ジェータイ」の人もよく来るとのこと.

食事後,店の前でカブにまたがる.アクセルふかしすぎて思わずウィリー! 町の人たちが大勢驚いた目でこっちを見る.大前田氏改めT氏,「ダメだよ~この辺,刺激ないんだからさぁ,驚かせちゃ」.まぁ納得.

帰りは3号線でプノンペンに戻る.こちらの方が道が良い.
宿に戻って休憩後,T氏からよせばいいのに広瀬隆『危険な話』を借りて読む.疲労に加え,考え事を詰め込まれ過ぎである.頭が飽和した.(その23へ)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(21)

1993/Apr/2 Fri

毎夜こだわるベッドの寝心地.

扇風機にめくられた蚊帳の隙間から吸血羽虫乱入.無意識のうちに全機撃墜するも,掻痒感で満足に眠れぬ.

朝食後,サイゴンもといホーチミンシティ行きのバスチケットを買いに行く.
AM10:00に閉まるオフィスに7分遅れて到着す.アジアのいい加減さをアテにして,チケット売れとねばったが,PM2:00に出直す羽目になりぬ.

宿に戻ったKazcahriは,習慣になっている各国1枚の自分宛の絵はがきを,ウィンザー&ニュートン固形水彩にて描き始める.
モチーフはお気に入りのアンコール・トム-バイヨン.「Lonely Planet」掲載写真を参考に自分のイメージ重ねて描く.3時間ほどで完成.なかなか満足いく出来.問題はここから出して,日本に無事着くかである.

昼食にラーメン&ケチャップパン.
再びチケット買いにバス会社へ.3日後に出発するバスの予約をする人は他になく,指定の席が運転手の隣り.事故れば確実に命はない特等席.

夜は,明日バンコクに飛ぶY氏の送別会.日本人旅行者6人でオクラ入りのベトナム鍋を食う.具材を頼みすぎて残してしまった.会計時,またも大前田氏,ボラれてると店の主人と大ゲンカ.もう慣れた.

ただ今の時刻,PM10:19.同じ「家」に泊まるI氏が部屋に遊びに来て,一人でしゃべっている.

「だからさっ,ここもいいけどさっ.フィリピンはもっとスゴイよ.こうさっ,女を2人買ってさっ,目の前でレズさせるんだよ.それをさっ,ビデオに撮ってさっ」

Iさんて日本で何してはるんですか?

「俺? 山小屋の管理人.春になるとさっ,高山植物がキレイでさっ.まるで天国だよ,山の上って.ところでさっ,女の子の話に戻るけどさっ」

はいはい.(その22へ)

『ファースト・マン』を観た

2019/11/28

ファースト・マン (字幕版)

(以下,内容に触れます)

ZwiftしながらAmazon Prime videoで『ファースト・マン』を観た.

月面に最初に降り立った人類,ニール・アームストロングの伝記を基にした映画である.監督は究極のパワハラ映画『セッション』,昨今のミュージカル映画(アニメを除く)では最大のヒットとなった『ラ・ラ・ランド』で一躍有名となったデイミアン・チャゼル.

セッション(字幕版)

ラ・ラ・ランド(字幕版)

とは言え,Kazchari,実は『ラ・ラ・ランド』は途中で挫折した(観るのをやめた).なんだかなぁ...登場人物の思考,行動が不快にしか思えないというか...映画館なら最後まで耐えたかもしれんが,これまたAma-Priだったので.
一方で『セッション』は良かった.スポ根映画の定石をことごとくブチ壊し,最後のあの表情!圧巻でした.

そんな監督の最新作が『ファースト・マン』.上記2作とも全く違った雰囲気.宇宙物にありがちな壮大・荘厳なBGMや,何らかの救助ミッションが成功して,大歓声の中,コントロールルームでみんなが抱き合うといったシーンは一切ない.クライマックスになりがちな地球帰還時の着水もない.それどころか,宇宙空間に浮かぶ船を“外から”撮ったシーンすらもほとんどなく,基本的に超狭苦しい(拷問か)コクピットの小さな窓から見える青から白,黒へ変わりゆく景色,アナクロなメーター類,凄まじい振動と爆音など宇宙飛行士目線の中心に描かれる.ここがまず新鮮.
ストーリーも重苦しいシーンの連続.笑っている人がいない.そしてやたらに死ぬ.
エンタメ性皆無.そりゃヒットしないわな.

この映画の前に,Eテレの地球ドラマチックで「アポロ11号~人類が月に降り立った日~」を観たばかりだった.乗組員3人のうち,司令船操縦士で月に降りなかったマイケル・コリンズ(今もご存命)のインタビューなど興味深い内容だった.
コリンズさん,探査船着陸中は地球と月の間でたった一人.曰く「最も孤独な人類」と言われていたそうで,番組の取材でも「アームストロングとオルドリンが月から戻ってこなかったら,二人を見捨てて地球に帰還していましたか?」という質問に「YES」と答えている.その他,当時の社会情勢や着陸時の苦労(マニュアル着地した)など,『ファースト・マン』とかぶるシーンがたくさんある.
他にも岡田斗司夫のYouTubeチャンネルのアポロ特集など,事前情報をたっぷり仕入れた上での鑑賞でした.おかげで事実とフィクションがごっちゃになってしまったけど.

いずれにせよ,この映画の本筋は“前人未到のミッションをやり遂げた科学の勝利”“人類の不屈の魂賛歌”ではなく,極めて個人的な人間ドラマ,特に夫婦関係にある.
戦場を始め,死が常に身近にあるような仕事を転々とした半生に加え,自分ではなく幼い娘が脳腫瘍でなくなるという悲劇から,安心・安全な人生,他者との関係に安らぎを求めるような人生から一歩引いているような態度をとっているように思える主人公.そんなアームストロング役を演じるのはライアン・ゴズリング,台詞がほとんどなく,顔の表情や話し方だけで複雑な感情を全て表現している.そういや『ブレードランナー2049』でも,表現方法は違えど,根底は同様の役作りだったなぁ.あちらはレプリカントだが.
奥さん役のクレラ・フォイも上手い.常にイライラしている.何を考えているのかよくわからない夫を,理解したいけどしたくない.そんな心情がよく伝わる.

ブレードランナー 2049 (字幕版)

Kazchariもヨメを日本に置いたまま2年間ジャマイカに赴任した.出発前そして帰国後,一時期この映画の夫婦と似たような状況だったような気がする.この微妙な夫婦関係を描いた映画,ヨメに薦めたいような薦めたくないような...ちなみにアームストロング夫婦,アポロ計画の数年後,38年間の結婚生活にピリオドを打っているそうな.

これまで月に降り立った人類は12人.最初の2人の他はあまり知られていない.そして1972年のアポロ17号の着陸以降,47年間月には誰も行ってない.トランプさんは計画再開を宣言しているが,果たして...

この世界のようになるのか?

MOONLIGHT MILE 1stシーズン -Lift off-

こっちの計画も再開熱望.

てなわけで,ロマン度外視の真面目な宇宙物『ファースト・マン』.オススメです.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(20)

Killing Fieldへ.

1993/4/1 Thu

このベッドには何かがいる!

昨夜は非常にかゆかった.なかなか寝付けず,すごい寝汗でTシャツベトベト.爪には自身の垢と血.自家発電器と車の騒音はうるさい…と文句を言いながらも,宿を変える気がないのは Cheapest Hotel 故なのか.

入手した情報によると,本日タケオでは自衛隊の歓送迎会が行われているらしい.そのような場所にのこのこと出かけるわけにもいくまい.カンボジア出国予定日の5日までには何とか訪問したいものである.

「Capitol」にて新しい朝食の組み合わせ,素パンとオムレツのセットを食う.そしてUS$1にて自転車を借りる.今日の用事は「Killing Field」散策である.市街地から15Kmの地点にそれはある.

整備不良でサビだらけ,ギコギコと異音の多い少々ひんまがったチャリにて,カブと自転車の群をかいくぐり,並木道をのんびりサイクリング…というわけにはいかない.ほとんどが砂地か簡易舗装の凸凹道.おまけにクソ暑い.この暑さにはやはり慣れない.

やがてLonely Planetで見覚えのある塔が見えた.門らしきものもあるが,常に開放してあるようだ.チャリを止めて塔に近づく.これがまた…何と形容してよいのか…ガラス張りの塔の中には骨,骨,骨…この地で虐殺されて埋められた人の頭蓋骨が数段に渡って“陳列”してあるのだ.いや,これが“供養”なのである.

塔のそばの地面には大きな穴がいくつもある.覗く.大腿骨なのか,長い骨が地面の底から数本飛び出している.服があちこちに見える.“中身”は土に還ってしまったのだろう.

ツールスレーンでもそうだったが,こういう場所に来ると嫌でも戦争や生命について考えてしまう.街への帰り道,思い出すのは,昨日『Capitol』に物乞いに来た両足の無い人のこと.のんきに観光旅行している自分が嫌になる.

「そういうことはなぁ,この国の問題だからほっとけ」と誰かが言う.確かに自分の問題として置き換えて悩む(ふりをする)のは,傲慢かもしれない.しかし,それでも…

「Capitol」に戻って昼食.ベトナムから来た旅行者にラオス情報を教える.その人からはサイゴンやハノイの情報を聞く.さんざんしゃべりまくった後,二人で例の70番ストリートを“見学”に行くことになった.幸いチャリもある.二人とも度胸がないというか,思慮深いので陽が落ちる前に出発.

なんてことない住宅街の角を曲がると,道の両脇に延々と並ぶは置屋の列.「店」の前では派手な衣装を着た「白塗りの化け物」(としか形容しようがない)が,チャリに乗った我々に嬌声を上げ手招きをしている.マジで恐怖を感じた.運転していた旅人も同じ様に感じたのか,いきなり激コギでダッシュ! 左右前後から襲いくる「化け物」どもを必死にふりほどき,ようやく通りを脱出した.ゾンビ映画か! おいおいマジでこんなところに毎晩来るんか,好き物旅行者諸君?(その21へ)

『2020年北海道1200km納沙布岬』の情報が出た

次年度の個人的最大目標,長距離ブルベの詳細な情報が出た.
AJ-北海道主催の『2020年北海道1200km納沙布岬』である.

AJ-Hokkaido 納沙布1200km特設サイト

開催日は2020年8月13~16日.前後泊つけて12~17日か.
エントリー開始は2020年1月15日.
国内外を問わず,毎年結構な人数が申し込むので,あっと言う間にSOLD OUTし,キャンセル待ちになるそうな.この日はスポーツエントリー張り付きやね.

いつものブルベと違い,参加費が¥29000.スタッフの労力や宿泊所付を考慮すると十分安い.これで4日間連続の”変態”Activityの代金と考えれば全然高くない.

事前のスタート時間選択,ドロップバッグシステムなど,初めての経験がてんこ盛り.それに,なんといってもその距離! 1200kmである.直線距離で旭川から大阪まで約1170kmなので…おお,自転車で帰省できるやん.完全に未知の領域.今からケツがひりひりするぜっ!

ネットや人脈を駆使して情報収集やな.楽しみ楽しみ.

Amazon Prime videoでこんなのがあった.

London Edinburgh London

こっちは納沙布やPBPよりも長い1400km! 走り切った後に残るモノは...たぶん次の超長距離ブルベへの挑戦権.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(19)

1993/Mar/31 Wed

プノンペンへ戻る.
宿をチェックアウト.最後にオーナーと記念撮影.

タクシーを3人でシェア.一人US$5,たった3時間でプノンペンに戻ることができた.往路の列車旅は何だったのか?

内戦での被害をあまり受けなかったのか,またはPKO効果で猛スピード復旧されたのか,4号線は整備された実に美しい道だった.

なじみの「INN House」に宿をとるつもりだったが,大前田氏の提案で別口をあたってみることにした.
「Capitol」の裏通りに良い宿を見つけた.なんと1ベットUS$2!
ここは正確にはホテルではない.門に「HOUSE for RENT」と書かれたボードを出している普通の民家である.3階建て住居のせまい階段を昇る.広い空間に蚊帳付きベッドが置いてある.“見た目は”清潔そうなシーツがかけてある.ベッドにノミ,ダニの類がいなければ出国予定日まで定住することにしよう.

「Capitol」で久々の昼食.たむろしている日本人旅行者に最近のプノンペンの様子を聞くが,大して変わりはないようである.

リーダー格の大前田氏が決断すれば,明日はタケオに行くことになりそうだが,派遣されている自衛隊も年度末の人員交代時期で何かと忙しいらしく,訪問してもロクに相手をしてもらえないのでは?との情報を得た.
民間人がノコノコと“遊び”に行っていいものかどうか…判断が難しいところである.
今度来るのは北海道の部隊らしい.となると,いきなり気温差40℃近いところに派遣されるわけで,PKOの是非はともかくご苦労さんという他はない.

いろんな旅人の話を聞けば聞くほど,次の訪問予定地ベトナムが楽しみになってきた.何よりメシがうまいそうだ.

夕食に奮発して屋台の豚足を食う.3000リエル.美味であった.

(3月度の会計)
タイ :  4450バーツ
ラオス:  3500キープ゚
カンボジア: 290 USドル(リエルは変動が激しかったため両替したドルで計算)

今月は3ヶ国にまたがったので計算がややこしい.1日平均で約¥1938か.使いすぎやな…(その20へ)

『チェリオ クリーミーマヨネーズ』を食べた

2019/11/23 Sat

家族で外食をした.ファミレスデザートの誘惑に負けず,帰り道のローソンで各自アイスを購入することになった.
Kazchariが選んだのがこの一品.偶然見つけた.

OLYMPUS TG-5

公式ページもある.カロリーモンスターチェリオ クリーミーマヨネーズ味

なんと言うか,味が想像つくようなつかないような…何よりも驚くのがそのカロリー! なんと307kcalもあるっ! まさに悪魔の食べ物.
パッケージからの情報は以下の通り.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

融けないように急いで帰宅.写真撮影してから開封の儀.ドギャ~ン!

OLYMPUS TG-5

ホワイトチョコの塊.味の方はまぁ予想通り,ひたすら甘い.と言ってもそこは日本製.途上国の菓子にあるような砂糖丸かじり感はなく,やはり上品.売り(?)のマヨネーズ風味も後味じんわり効いてくる.北海道名物『ジンギスカン・キャラメル』よりクセはない.

まぁ二回目はないかな.これと『ガリガリ君タマゴ焼き味』が並んでいたら,絶対にガリガリ君を選ぶ.

人によっては,その摂取カロリー307kcalに罪悪感を覚える御仁もいよう.
自称アスリートのKazchariもその一人.しかし,自転車さえあれば何も恐れるものはない.
入浴前にZwiftでNew Yorkはセントラルパークを45分ほど走った.

走行後のログを見てびっくり! なんと消費カロリー307kcalジャスト! 狙ったわけではない.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(18)

1993/Mar/30 Tue

わかっているものの,コンポンソムのこの宿は不便だ.
ビーチ,マーケットとも非常に遠い.今日も今日とて,朝,市場にて焼きそばを食い,宿のすぐ裏にある“ヤシの木10本レストラン(というより雑貨屋)”でサンドイッチ(ここのはなかなかイケル)と3本500リエルのバナナを食べただけで,残りの時間はずーっとテラスでゴロゴロ.アメリカ人の女性パッカーはいつの間にかチェックアウトしていなくなっていた.

急ぐ旅ではないのだけれど,不思議なことに罪悪感を覚える.

気がつけば,カンボジア入国時からずっと一緒のY氏から『Lonly Planet』の東南アジア編を借りて読む.欧米人向けの『地球の歩き方』である.もちろん英語.ガイドブックにしては写真の数が非常に少ないが,その分,安宿やアクセス方法などの情報量が半端ない.記事にもユーモアがある.曰く「朝,早起きする必要があるならモスクの隣に宿をとれ」など.

世界地図が好きだ.東南アジアの地図を何度も眺める.ベトナム,ラオス,タイそしてマレーシアを南下し,インドネシアはニューギニア島のイリアンジャヤまで…帰国予定日まで,まだ半年以上ある.それでもアジアは広い.急ぐ旅はしたくない.でも経験したい.可能な限り多くの土地と文化と人との出会いを.

夕方の短波ニュース(ラジオ日本)にて,プノンペンのレストランに手榴弾が投げ込まれて死者が2名出たことを知る.テロは4ヶ所でいずれもベトナム料理店らしい.近頃は選挙をひかえて,ポルポト派がベトナム人を殺しまくっている.果たしてこのまま無事に出国することができるだろうか?

旅の回顧録~1993年のカンボジア(17)

1993/3/29 Mon

コンポンソムはかつて,シアヌークビルと呼ばれていた.

人に対して何か良いことをすると,それを神様が毎回チェックしていて,その分だけ楽しい人生を与えてくれる…心のどこかではそうであることを望んでいる.これが自分の道徳観,倫理観の正体.単純単純.

周期的に訪れる鼻炎のおかげでくしゃみが止まらない.時期的に花粉症なのだろうか?

その様な状況ではあるが,コンポンソムに来た本来の目的である「ピーチで泳ぐ」をようやく完遂することができた.

宿を出て海を目指す.しばらく荒涼とした大地をさまよう.まるでヨーロッパの芸術映画のごとき風景が広がる.刑務所風建物の壁沿いを通過し,たどり着いたビーチは遠浅の美しい白浜であった.
ホテルらしき建物もあるが,我々以外に人影はない.全くない.

持参した競泳用ゴーグルをつけて潜る.魚はほとんどおらず,シュノーケリングには不向きであったが,久々の海水浴に満足.シャワー生活が続いた後の湯船みたいなものである.曇天の下,静かな波間をふわふわと漂う.
“リゾート”というわけにはいかなかったが,なんとなく哲学している空間だった.

3時間ほどビーチで過ごした後,市場へ.途中,駐車場付きのバンガローが立ち並ぶ通りに出る.そのいくつかにUNTACのランドクルーザーが停車していた.ネオン付きのけばけばしい看板には「大香港旅社」と描かれていた.用途はおおよそ想像がつく.

市場の食堂のテーブルは真っ黒だった.そう,ハエテーブルと化していた.カンボジアにはハエが非常に多い.慣れというのは恐ろしいもので,その様な場所でも食事が平気になった.適当に選んだおかずをのせたぶっかけメシを食う.

宿に戻ってテラスで読書.たまたま読んでいるのが『ガリバー旅行記』.馬人国,フウイヌム編が実におもしろい.全ての人間は唾棄すべき畜生,ヤフーなのだ.昨日読んだ巨人国の食事場面を思い出した.先ほどのハエテーブルと重ね合わせると…ウッぷ.(その18へ)