ゼロで終われるか?

2025/3/10 Mon

Who knows?

ここ数年話題となっている書籍『DIE WITH ZERO』をようやく読んだ.

DIE WITH ZERO

いわゆる自己啓発の類になるのかな.
内容をざっくり要約すると,

- 若い時に良い経験をしろ
- どれだけ金があってもあの世には持っていけない
- 人生を充実させるには金・健康・時間のバランスが重要
- チャンスを逃すな

ということ.
「貯金節約ばかりで,今しかできない貴重な体験を逃していませんか?」との警告を与えてくれる,ありがたい本である.
まぁ,ごく当たり前と言うか「金の価値<時間および若さ」なので,なるほどとしか言えない.

ただ,この書物最大のネガティブ意見に「誰が言ってんだ」問題がある.
著者およびYouTubeなどでこの本を推奨している人たちの素性を確認すると...お金持ちだらけ.

子供に資産を残すか残さないかで悩むレベルのクラスタなので(偏見),自分の老後資金を貯めるのに精一杯な庶民が鵜呑みにするは危険...かもしれん.

結局は「貯めるのも使うのも他人に踊らされずに,バランスを考えて行動せよ」が正解なのだろう.

同僚に聞いた話.
先日,子供さんが通う学校から,とあるプリントが配布されたらしい.
中身は家族旅行に伴う学校欠席について.

要は,親の休みに合わせて,平日に子供が欠席することに関することだったらしいが,良いともダメともどちらとも取れるあいまいな表現.
結局は「各家庭のご判断におまかせします.学校は責任取りません」なのだろう.

この対応,わからんでもない.
『DIE WITH ZERO』的思考だと,学校に行くより家族との時間を過ごす方が大事なのかもしれない.
下手に禁止だとか否定的な意見を述べたら何言われるかわからない⇒対応で時間を取られて業務が滞る.

そして,欠席OKの意見を後押しするのが「子供の体験格差」というパワーワード.
特にこの本の発売以降,広く知られるようになったように思われる.

体験格差

未読だが,ネットの書評記事でやたらにプッシュされている.
親の所得格差が子供の体験格差につながっている...らしいが,気になるのは「ネズミーランドに行ったことがない」とか「好きな習い事をさせてもらえない」ことが,格差の象徴としてフィーチャーされている点.

もちろん,あくまで,親の収入や考え方によって子供の体験の機会が損なわれていることの“代表例”として用いられているのはわかるけど,何か違う気がする.

子供に金をジャブジャブつぎ込むような体験だけが良い体験なのだろうか.
親の職場を見学するとか,家業を手伝うとか,家事分担するとか,庭で野菜作るとか,何かを一緒に行って,親が人生を楽しんでいる姿を見せるのがベストと考える.

そして,何より究極の”体験”は乳幼児期における「お肌の触れあい」だろう.

子供の「脳」は肌にある (光文社新書)

人体最大の器官は実は皮膚.
そこからのダイレクトな感覚刺激に意味がないわけがない.
もちろん,成長後は不要だけど.

今期,絶賛放送中の『悪役令嬢転生おじさん』

悪役令嬢転生おじさん

フィクションではあるが,主人公と娘の関係がものすごく良い.
2人ともトクサツ・オタク
娘がオタクになったきっかけは,幼少期に父親の膝の上に座ったまま一緒にトクサツを観ていたから,という描写があった.
「これって,うちのことやん!」と,娘と二人で大爆笑.

体験なんて,いたって単純.でも十分.

別にKazchari家の子育てが上手くいっていると言いたいわけではない.

そんなこたぁ,自分が老いて世話される立場になり,その時の子供らの態度を知るまでわからない.

そして,この世に別れを告げる時,子どもたちのどういう表情が視界に入って来るか...やな.
『DEATH NOTE』のLの最期みたいなんは最悪...

DEATH NOTE

で,ここでKazchariの人生を振り返ってみる.
手前味噌だが,かなり充実した人生だった.
何より,日本,世界ともあちこち旅行したし,2年ほどの滞在経験もある.
若い頃から趣味も満喫してきた.
健診も問題なし(コレステロールやや高め).
裕福とは言えないが,好きなモノを遠慮せずに食べている.
ヨメさんも子供(一姫二太郎)もいる.

「ZERO」かどうかはともかく,いつ「DIE」してもいいような...あかんあかん.まだだ,まだ終わらんよ.