2025/1/31 Fri
2周目なら無問題
先日,友人達と興味深い会話をした.
集まったうちの一人が「小説を読んだり映画を鑑賞する際,あらすじやあとがき,もしくはネタバレサイトを先に見る習慣がある」と告白.
この行動ってまんまこれ.
一時期,非常に話題になった本.
コスパどころかタイパまで気にする世代および,それを可能にするコンテンツやガジェットの登場を解説.こうした傾向を非難するわけではなく,落としどころも上手い.
その実践者がこんな身近にいたとは.
確かに「YouTubeを倍速再生で観ている」という声は割と聞いていたし,ハウツー物や旅系など内容によっては配信者自身がおすすめすることもある.
ただ,「物語」が対象だとさほど多くはない...と思っていた.
その友人曰く,「ハラハラドキドキしたりするのが嫌,つまり安心が確保された中で読みたい.別に先にネタを知っても,“これ”が“あれ”につながるのがわかっていくので楽しいですよ」とのこと.
これは,先ほどの書籍にも記載がある.
もちろん,この考えを否定するわけではない.
ただKazchariとは“楽しむ”の基準が根本的に異なるようだ,との感想.
それを踏まえた上で,あえて言うなら.
「ゴールを知って,そこに向かうのは1本道,先人の歩いた道をトレースすること.一方で読み進めながら次の展開を考えることは,己の想像力を涵養することにつながる.最終的に作者の設定したゴールにたどり着けなくても,途中で生まれたいくつもの世界線,つまり可能性は,その後の人生,何かの機会に実を結ぶことがあろう.そう,ここまで来ると受け手ではなく,送り手/作り手に立場が変わっているとも言える」
と,反論(?)したが,ピンと来ないようだ.
ま,そやろな.これって信念対決.
それにしても,最近はヒト,モノに限らず,対象に対する向き合い方が浅くなっていないか?
“ながら”が当たり前になったというか.
よく見る風景として,スマホ画面を見ながらの食事.
ファミレスで座るカップル,家族全員がこの状態だったりする.
もちろん会話なし.
これは“味わう”の対極.
ただの栄養補給.
ここまで来ると,料理じゃなくても栄養補給カプセルでなんとかなりそう.
ヒトの脳は,マルチタスクできる構造をしているが,シングルタスクの方が生産性が高いという説もある.
昔はテレビを見ながら食事するのもどうか,という意見もあった.
えっ,その前に家族全員が揃って食卓を囲むことすらまれ?
いずれにせよ,インプット方法が雑すぎる.
食事も創作物もゆったりと味わう体験.
その方が血と肉になるのでは.
さーて,なんか新しい特典もらえるらしいし,『GQuuuuuuX』の2周目行ってこようか!
うん,ストーリーも小ネタもみんな知ってるけど,むっちゃオモロイわ!
...あれ?