2024/9/6 Fri
窮屈じゃあないか?
今朝の出来事.
先日書いた通り,スーパー戦隊にドはまりしている我がJK3娘.
常にiPhoneを持ち歩き,サブスクで「スーパー戦隊主題歌全曲集」を聴いている.
スーパー戦隊シリーズ45作品記念主題歌BOX LEGENDARY SONGS
小音もしくはイヤフォンからもれ聴こえる音楽に,ついついつられて歌うKazchari.今朝は『マスクマン』だ.
♪きィー! きィー! おーらぱ~わぁ~!(猿叫)
それを聴いた娘やヨメさんから「歌詞は同じだけど別の音楽が聞こえる」「いつも聴いてるくせに,どうしてそこまで音程はずれるかなぁ~」といじられるのが,Kazchari家のルーティン.
そう,このKazchariはとんでもなく音痴なのだ.
いやご時世的に「歌唱に不自由な人」と言うべきか.知らんけど.
いずれにせよ完璧に自覚はしている.
なのでカラオケなんぞ行かん!(バイクやチャリの時はよく歌ってます)
いつものことなので別に気にしてはいないのだが,このやり取りを聞いていた息子がなぜか大激怒.
「そんな風に人をバカにしたらダメ!」
これは別に「かわいそうなとーちゃんをかばおう」とか,そんな殊勝な心掛けではなくて,単純に昨今の「人を馬鹿にするのはダメです.いじめにつながります.ダメゼッタイ」的な教育のたまものだろう.
家族だろうが,目上だろうが,教師だろうが他者をけなす行動は許さないッ.
特に一生懸命な人を批判するのはダメ.互いにリスペクト.それが正義.
うーん.どうなんやろ...
そらその方が互いに気持ちの良い世界かもしれんが,親しい間柄でのいじりいじられ関係で育ってきた関西人のKazchariには...無理やな.
北海道に越してきて以来「吉本新喜劇」を見ることはほとんどなくなったが,「ぶさいく」「ちび」「鼻が長い」などの言葉飛び交う,昔のノリは許されなくなってんのかな?
それに誹謗中傷っつーか,一方的な批判や非難はともかく,「良い所は良いけど,ここは改善した方が...」と言った批評までもが封じ込められそうな雰囲気.
それではヒトも創作物も発展しない,伸びない,成長しない.
教育とは恐ろしい.
ましてや信念として固定化されていまうと,世の中を渡るのに不利になるような気がする.
人の本能を無視した代表例として,昨今猛威を振るうポリコレ問題がある.
Kazchariにゲーム趣味はないが,現在『CONCORD』というFPSが大炎上中.
莫大な予算と年月をかけて開発したゲームが,わずか2週間でサービス停止とのこと.
その原因は上記の記事や,多くの時事系YouTuberも取り上げているが,まず指摘される「キャラデザインがひどすぎる」に完全に同意.
よくもまぁ,ここまで非魅力的なデザインにできるものだ.
そしてそれが採用されてしまう.
(一般的な)美人,美男の”白人”はまず排除.
一方,不思議なことにポリコレを意識しているくせに,なぜかアジア人もいない(この辺りは本音駄々洩れ).
で,そのデザインのひどさを指摘されたデザイナー(白人男性)は「俺たち白人はこれまで特権階級ゆえの利益を享受してきた.存在しているだけで罪がある.これからはマイノリティーが輝く時代だ」(意訳)とかなんとか言っているそうな.
いわゆる「批判的人種理論」っつーやつやな.
経済的に成功した欧米のセレブは,次に社会的名声を求めるらしい.
結果的に極端なリベラル的思考(ようするにポリコレ)に陥りがちという考察がある.
「ワタシは非差別主義者.弱者の味方よ.素晴らしい人間でしょ」と思いたいそうな.
もちろん,差別やいじり(≒いじめ)が良いとは言わないけど,互いに了承している仲のやり取りであっても,第三者が「自分が不快だから」と全否定するのはいかがなものか,と思う.
まぁ,息子には「様々な考え方があるということを否定しない」という思考の大切さ,および「全員が(お前に)やさしいわけではないし,フラット過ぎる世界は面白くない」と,オヤジの考えを話していこう.
その上で,どういう生き方を選ぶのかは息子次第だ.