アンコールの街,シムリアップを去る.
1993/3/23 Tue
朝,市場にてバタンバン行きのタクシーを探す.
なかなか見つけることができず「Sunrise Guest House」を出発した時にはAM8:00を過ぎていた.
今度のタクシーは運転手,大前田氏,Y氏,Kazchari,知らない現地人2人の6人乗りで往路時よりせまい.おまけに“ハズレ”のくるま.エンジン不調で途中に何度も止まる.
UNTACの白車両に次々と追い抜かれる.このままでは,いつバタンバンに着くのか予測がつかない.UNTACをヒッチすることまで考えた.
砂埃にまみれつつもPM1:00頃,ようやくバタンバン着.前回同様「23 TOLA HOTEL」に部屋をとる.
荷物を置いた後,数日前に家族写真を撮った雑貨屋に行く.シャッターが下りていた.
一人で街を散策する.カンボジア第2の都市といえど,あまりに寂しい街.新築のホテルの他は,同じような形の黄色い壁の家が並ぶ街.
市場にて,不味いぶっかっけメシを食べながら,ここ数日の体調不良の原因を考えてみる.もちろん無理なスケジュールが主因だろう.しかし,プノンペンはともかく地方に行くと,カンボジア料理が口と胃に合わなかったというのも理由の一つに違いない.世界に冠たる料理王国,タイ&ベトナムにはさまれた国なのに,なぜ?
準戦時下のこの国では,新鮮な食材があまり豊富でないからだろうか?
もともとこの辺りのメコン沿いの国々に「餓死」という単語は存在しないという話だが…何しろメニューの幅がせまい.早くプノンペンへ(本音を言うとタイへ!)戻りたい.
宿代ケチってUS$10の部屋に3人で寝る.ベッド2つをくっつけて.
エアコンなしの部屋,ムシ暑い夜.Y氏持参のCDプレーヤーからは香港ポップスが流れ続けている.(その12へ)