旅の回顧録~1993年のカンボジア(5)

ここはまだ戦場(らしい).

1993/3/18 Thu

AM5:00,起床.
トイレに行く.
尿が濃い.
もしくは少量血が混じってるような気がしないでもないが,アンコール・ワットへ向けての最後の難関,6時間のタクシーツアーを決行する.
ホテルを出,市場の前でたむろしているタクシーと交渉.
一人US$5でシェアすることができた.
運転手+我々旅行者4人+現地人1名がくるま(カローラバン?)に乗り込む.

出発後しばらくは道路もキレイで快調にとばしていたのだが,途中でパンク.
その修理のため小さな村で朝食をとる.
カンボジア名物クイニョン(ソバ)を食べた.
ほとんど溝のないタイヤを,これまた同じような状態のタイヤと交換.
その修理用工具も廃車のピストンを利用したものだった.

牛車や馬車も走るカンボジアの田舎.
白地に黒マークのUNTACトラックの数も増えてきた.
平原の真ん中で,UNの検問.
装甲車には機関銃を構えた兵隊が立っていた.
自動小銃を持った兵隊がくるまをのぞき込む.
おおっ,まるで戦争映画みたいや.
Kazchari一行はフリーパスだったが,付近で何かあったのだろうか?

道はますますひどくなる.
未舗装+ところどころ陥没していて,それらを避けながら走るため,非常にノロノロ運転である.
外の風景はまさにケニアのサファリ.
360度の地平線である.
アフリカまで行かなくても,近場にこの様な素晴らしい所があったのだ.

何度かウトウトしているうちにAM11:30,シムリアップに無事到着.
事前に仕入れた情報で評判の高かった「Sunrise Guest House」にチェックインする.
何とも凶悪な趣味(真っ赤なシーツにピンクレースの蚊帳付きベッド)の部屋だったが,クンツと一人US$3でシェアできたのと,とりあえずシャワーが浴びたかったので妥協する.
清潔さに問題はない.

シャワー後,4人で市場に昼食に行く.
どうでもいいが,このクンツ,屋台などの「得体の知れない食べ物」が食えない典型的な西洋人であった.
朝からバケットしかかじっていない.
大丈夫か?

昨日より同行しているO氏,いやあえて「大前田氏」と呼ぶ.
日本を出て10ヶ月になるそうだ.
いやはや,その旅のすさまじいこと.
山が好きで,今回の長旅の目的はエベレスト登山のベースキャンプまで行くことだったらしく,それはすでに達成済.
その他,個人旅行を認めていないブータンに密入国するルートなど,おもしろい話をいろいろと聞く.
また,この大前田氏,自称「めちゃめちゃ喧嘩っ早い」そうで,中国の未開放地区で民間人と何度も殴り合った経験があるという.
うーんスゴイ.
よく生きてるもんだ.
大前田氏はプノンペンに戻った後,カンボジアの海岸にも行く予定とのこと.
で,一緒に行くことを考えた.
ただし,海岸部はいまだにポルポト支配下なので“マジで”やばいというウワサもある.

市場にはバングラデッシュ人のUN兵がたくさんいた.
その中の一人がドル札をヒラヒラさせて,ビールをおごってやるから,そこのテーブルに座れと言う.
で,わけのわからん愚痴を聞かされつつ飲んでたら,最終的にその兵隊の分の料金まで払わされそうになった.
えーい,貴様はインド人か!(ハズレてはいない).

どうやら,バングラデッシュとかガーナ隊が,手当のより良い最前線で働いているそうな.
この彼の月給はUS$800.
命がけの出稼ぎかもしれない.
(その6へ)

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