2025/4/11 Fri
念心,合体,Go!

2025冬アニメ(?)が続々と終了.
配信で視聴していた作品の1つがこれ.
アクエリオンシリーズの新作である.
中身は...モロにエヴァのパク...いやリスペ...後追いだった(なんでもいいや).
一世を風靡した『新世紀エヴァンゲリオン』.
極めて狭い世界で謎が謎を呼ぶ展開.理不尽に戦わされる中学生(14歳),無口な戦闘美少女,謎の少年,聖書モチーフ,味方組織の暗躍と裏切り,肉体を捨てて魂で融合...主人公がそれを否定.
以降,こうした設定をまんま踏襲したアニメが何本作られたことやら.
『ラーゼフォン』『ガサラキ』『ファフナー』とか...
面白い作品もあれば,そうでない作品もあった.
で,その始祖『エヴァ』もついに完結.
ロボアニメ自体が衰退し,ジャンプ的価値観「友情・努力・勝利」を前面に押し出す作品が増えた.
そこへいきなり発表されたのが『想星のアクエリオン』である.
エヴァ風味と言えば,最近では『シン・仮面ライダー』もまんまだったけど,あれは自家製だから...
さて『想星のアクエリオン』だが...すまん.
いつ面白くなるのか期待している間に終わってしまった.
世間的な評価も芳しくなかったようだ.
Kazchariは第1作『創聖のアクエリオン』(2005)を本放送時に全話視聴.
賛否あるが,Kazchariは賛派.
一見,入念に練り込まれたプロットに見せかけて,バカバカしさ全開.
どれだけピンチになろうとも,”何もかもわかっている”不動genの一言で特訓⇒解決.
よくわからない熱血や降ってわいた必殺技で強引に決着をつける.
そして,クライマックスでかならず流される“あの”主題歌.
ある意味,古き良きロボアニメのテイストをまとっていた.
前世設定は...まっ,ええか.
そして,なんつってもロボのカッコよさである.
たぶん,アクエリオンの企画ってロボデザ先行.ストーリーは後付けだろう(想像).
で,当時,DX超合金買っちった.
メカデザイナーの河森さんが,レゴブロックを組みながら考えたリアル・ゲッターロボとも称される,3機の組み換え合体.

ゲッターと違って「上半身+下半身+バックパック合体」だが,何が凄いって,合体後にソーラーは赤,マーズは青,ルナは緑がちゃんとメイン配色になるところ.
各形態のプロポーションも素晴らしい.
それぞれの手首もちゃんと格納され,見えないようになっている.
もちろん無限パンチ付き.
ただし,ソルとマーズの合体ジョイントが貧弱かつ後方荷重過ぎて自立は難しい.派手なポージングやブンドドには全然向かない.
勢いで番組後半に出て来た強攻型も購入.

この頃から財団B,驚異のメカニズムに拍車がかかってきたような気がする.
で,その期待を背負っての2作目『アクエリオンEVOL』(2012).
何万年後かの一応ファーストの続き?
全話視聴したはずだが,ほとんど覚えていない(特に後半).
前作主人公アポロの前世は,実は〇〇だったという真相に「なんじゃそら」とお口アングリルしたことは覚えている.
ただし主題歌は菅野よう子+AKINOつながりで今でもよく聴く.
3作目『アクエリオン ロゴス』(2015)は最初の2,3話切り.
主人公の見た目および言動があまりに気持ち悪いのと,2機合体になったアクエリオンがかっこ悪い.何より菅野よう子離脱が痛い.
で,人気下降気味の中,発表されたのが『想星のアクエリオン』.
まずは衝撃のキャラデザイン.
これまでと比較して極端にデフォルメ化.
まるで『パワーパフガールズ』のごとし.
かなり物議をかもしたが,Kazchariはこうした挑戦そのものは嫌いではない.
無難路線よりはずっと良い.
ただし...内容が伴っていれば,だが.
あえて,こういうデザインにしたことに意味があるのかもしれない...と思っていた時期がKazchariにもありました ⇒ 特になかった.
過去編(?)に出て来る前世の有翼族はリアル路線で全員フルCG.
本当に2025年制作?と言いたくなるほどちゃちい.
OPで誰が誰の転生なのかさらっと紹介.確かに髪の色や形に名残がある.
てっきりアクエリオンに乗る,もしくは合体するとリアル路線に変更するとか...はなかった.
キャラデザが異なる意味は何だった?
舞台は江の島.
とある中学校にて,コンピュータにより選出されたエレメント(アクエリオン搭乗適合者)が訓練を受ける.
各エレメントは「恐怖」「愛情」「共感」など人に必要な感情が,どれか1つ欠けている.
謎の空間から”敵”が現れる.
目的は杭を打つこと.
一地域(?)につき,3本打たれるとそこが...どうにかなるらしい(よくわからん).
それにしても戦闘シーンの緊張感やカタルシスの無さはどうしたものか.
恐ろしく無味乾燥.初代の熱さはどこへやら.
合体後の操縦席では3人が突っ立てるだけ.
CGアクエリオンは頭部デザインとカラーを除き,ほぼ初代準拠.
動くのは動くが,セル画のような迫力皆無.
ひたすらに弱い演出は謎.
3機の組み換え変形にも特に必然性がない.
トドメを刺す前に敵が杭を打って逃げていくパターン.
で,あのヒロイン二人の扱いは? 葬式の意味は?
おそらく別の世界線の同一人物という設定だと思われるが,過去と現代という元々の構成にマルチバースという横軸をからめたためか,話が超絶わかりにくくなっている.
いや,話がややこしいのはまだ良い.
それこそ『エヴァ』や『イデオン』はその日の放送が終わる度に友達と「あーでもない,こーでもない」と考察大会を開いたものだ.
しかし『想星』の提示する世界や謎に全く興味が持てなかった.
それが楽しめなかった最大の理由か.
そもそも副題の「Myth of Emotions」とは「感情の神話」.
このアニメ「感情」をテーマにしているわりに,ヒトの感情に対する考察があまりに浅いということ.
各人が欠けた感情とやらを取り戻したら,個性が消滅することにならへんか? あっ,それで人類補完計画(モドキ)なわけか.
...と,まぁ,ビッグタイトルなシリーズを手掛けることになったクリエイターのみなさんの努力の結晶を,我々視聴者は無責任にけなしまくるわけだが,こうした行動に一石を投じたのが,同クール放送の『全修。』だったと思う.
前半部分を視聴して記事を書いた.
この時に思っていた予測だと,過去の名作,特に作画表現において革新的な作品へのリスペクトで押し切る路線かと思ったら大外れ.
『滅びゆく物語』の視聴者かつ大ファンであった主人公(ナツコ)が,時を経て作り手=中の人となる.
そして,物語世界に入り込むという,文字通りの当事者となったナツコが,その大好きだった作品の「全修」を行うという話だった.
オリジナルの『滅びゆく物語』の鳥監督が言う,
「ハッピーエンドだけがエンタメと思うなよ」
おそらく,鳥監督はあえて世間の期待から外れた作品を送り出すことで,己の芸術性を表現したかったのだろう.
得てして世間の多数派は安心・安全・安定の予定調和を求めるものである.
ましてや昨今,自分の感情が揺さぶられることを嫌う人すら出てきているそうな.
しかし,シンのクリエイターとは大衆迎合に甘んじるような人たちではない.
「同じことを繰り返すならタヒんでしまえ」と岡本太郎も言っている.
自分(視聴者)の好みはともかく,ここは一つ,作り手が見せたかったモノはこれだ,と一旦受け取める必要がある.
その上で「全修」するもしないも自由.ナツコはプロになって全修した.
そして『シン・滅びゆく物語』を我々が観るという12話だった.
つーことで,『想星』も再評価される日が来るかもしれない.来ないかもしれない.誰かが「全修」するかもしれない.
作り手の維持や挑戦が感じられなかったので,”ない”だろうなぁ...