蔵前仁一『失われた旅を求めて』を読んだ

2021/1/30 Sat

旅と写真.

iPhone11 Pro

最後に海外旅行に出かけたのは2019年の12月.
このブログでも書いたラジャ・アンパットのダイビングクルーズである.

2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(1)

2020年は新コロのおかげで鎖国状態.
そんなモヤモヤの中,久々に旅行人のサイトを覗くと,蔵前仁一さんの新刊が発売されていた(4月やけど).
帯にはこうある.

1980~90年代、バックパッカーが自由に旅できた時代。それから世界は何を失い、どう変わってしまったのか。蔵前仁一が撮影した失われた世界へ旅する。

この文読んだだけで購入決定.

いつもならAmazon一択なのだが,書籍なら送料無料かつ蔵前さんのサイン入りということで本家サイトで購入した.

早々に届いたので読む.
思ったよりも小さく,薄い本だったが中身は濃い.
この年代は,ちょうどKazchariがバックバッカーだった頃とかぶる.
自分の旅した場所限定ではあるが,何もかもみな懐かしい.

章立ては以下の通り,

世界で最も変わってしまった場所:中国,クンジュラブ峠,チベット
時が変えてしまった場所:タイ,ベトナム,カンボジア,ミャンマー
失いきれないインドとその周辺:インド,パキスタン,ネパール
世界から失われてしまった場所:イラン,シリア,イエメン
旅行者に失われてしまった場所:アルジェリア,サハラ,マリ,ケニア,ウガンダ

蔵前さんの書籍は伝説の名著『ゴーゴー・インド』からほとんど読んでいる.
この本はちょうどインド旅行から帰ってきてから読んだと思う.

それまでのインド本と言えば,藤原新也『印度放浪』や椎名誠『インドでわしも考えた』など,旅行記というよりは比較文化論,ようするにやや硬い印象のモノが多い(後者は異論あり?).
両方とも名著やけどね.

一方の『ゴーゴー・インド』はゆるーいコラムとシンプルなイラストで構成.
経験者にとっては旅の追体験,“バックパッカーあるある”で大いに笑わせてもらった.

続く『ゴーゴー・アジア』『ゴーゴー・アフリカ』も読み,その他の著作も...ほぼ全部読んでいるはず.

さて,『失われた旅を求めて』だが,中国がその経済発展に伴って国内風景が激変しているのは納得だが,逆に「コルカタ(カルカッタ)は変わらない」が興味深い.
インドは時の流れが違う...というか,あの大陸には過去と現代と未来の全てが同居している.
こうやって書くだけでも,あの混沌のサダルストリートが思い出される...ホンマに変わってへんのかな.

写真もフィルムならではの質感がかえって新鮮.
この不鮮明さが,もう戻れない記憶の中の“あの頃感”をかもしだしている.

筆者も述べているが,やはり残っている(旅行中撮った)のは有名な観光地の写真が多く,街の風景を撮ったものは意外に少なかったそうな.
つまり(外国人に見せるため)観光地は変化が少なく,庶民が生活する街中の方がどんどん変わっていく,資料としては後者の方が重要ということやな.

フィルムの場合,一枚一枚が貴重.
気楽に撮れない.
キレイに撮れたかどうかの確認すらできない.

たくさん撮りたければ,フィルムそのものを大量に持参する必要がある.
現地で現像を頼むこともあるが,プリントの質も悪い.
荷物を減らしたい場合は,国際郵便で郵送するしかなかった.

まぁ,2000年以降のデジカメ時代になっても,wifiで自分のクラウドやSNSにアップするなんてのは,かなり後世の話.
そもそもネットカフェを探すのも一苦労やったし,回線状況も悪く,大量のデータを添付して送るなんてことも現実的ではなかった.
日本語環境がなくて,ローマ字でメール打ったこともあったなぁ...

世界中色々な場所に行ったけど,やはり1993年の1月から11月にかけて旅した東南アジアが一番印象に残っている.
タイ,ラオス,カンボジア,ベトナム,マレーシア,シンガポール,インドネシア,7つの国の物語.

何しろ自由だった.
そして旅は長くなればなるほど日常に近づいていく.
熱帯のけだるい空気の中に溶け込みそうやったな.
結局,居心地が良すぎたせいで油断し,睡眠薬強盗に遭って帰国という,恥ずかしい終わり方になってしまったけれど.
あれは「そろそろ目を覚ませ!」というお告げだったのかもしれん(ハード過ぎるやろ).

チャンネル登録しているガジェット系YouTuberが最近こういう動画をあげていた.

かなりクセの強い人物だが,概ね同意できる.
20歳以上年下やと思うけど,長期旅行者って同じような思考になんねんな.
特に「旅に出ると自分の実力がわかる」に関しては,ホントにそう.

自分が進まないと世界は動かない.
良い意味で世界の中心になれた.
旅のできる人生で本当に良かったと思う.

ブログで「カンボジア日記」を上げるようになってから,昔のネガフィルムをスキャンし,デジタル化する作業を少しずつ行っている.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(1)

そのままスキャンするだけでも悪くないが,少しレタッチすると,いわゆる記憶色により近いものになる.

1993年1月11日タイ-バンコク 北京飯店にて

Kazchariはレタッチソフトとして,ややマイナーな『SILKYPIX』を昔から使っている.
何しろ水中写真の補正に強い.
唯一無二.


旅の回顧録~1993年のカンボジア(完)


 
ベトナムの旅が始まる.

1993/4/5 Mon(続き)

時間経過とともに,気持ちはだいぶ落ち着いてきた.
大前田(T)さんもサイゴンに来るのは間違いない.それにサイゴンの有名カフェ「KIM-cafe」を訪れるのも確かだ.そこで待っていれば,いつか会えるだろうと結論.問題は彼のバカでかい荷物をどうやってホテルまで運ぶかである.

と,後ろの方の座席にバックパッカーっぽい白人さん達が座ってるじゃあーりませんか!
イギリス人とオーストラリア人であった.事情を話すと荷物の運搬を手伝ってくれるとのこと.彼らも安宿の集まるFang Lao通りに行くらしい.

バスは田舎道を爆走して徐々にサイゴン中心部に近づく.人の数,バイクの数が増えた.それにうわさのアオザイ姿の女性をちらほら見かけるようになった.

サイゴン(ホーチミン・シティ)着.
バス停で降りると,さきほどの白人が「こっちだ」とスタスタ歩きだす.大前田(T)氏のバックパックを背負ってもらった.

Fang Lao通り着.目をつけていた安宿「Hoang tu HOTEL」7階のツイン,US$7の部屋をとる.白人さんありがとね.

部屋に荷物を置いてさっそく街を散策…というか大前田(T)氏の捜索である.
とりあえず「ベトコン・バンク」という冗談みたいな名前の銀行で,T/CのUS$50を
ベトナム・ドンに換える。本日US$1=10530ドンであった.けっこうな札束になる.

にしても,わかりにくい街である.ロンプラの地図を見ても,どこにいるのかさっぱりわからん.まぁ確かにKazchariはパッカーの割には自他ともに認める方向音痴ではある.全体的な雰囲気はプノンペンと似ているような…と思いきや,明らかに違うのがあのアオザイ! とりわけ女子高生着用の上下白のアオザイ! 

脇の下まで入ったスリット! 透ける下着! 本当にHな服である.ほとんど犯罪やね,あれは.それにベトナムねーちゃんのかわいいこと! 言っちゃなんだが,カンボジアのねーちゃんは言うに及ばず,これ見よがしのタイのねーちゃんよりもはるかにかわいくて,かつ色っぽい.そういやプノンペンで会った日本人が,朝の通学風景はまるで妖精が飛んでるようだ…なんて言ってたなぁ.そりゃアメリカ兵負けるわ.戦争どころじゃないで.まぁ何にせよ,長期旅行者には目の保養…いや毒である.

Fang Lao通りに戻り,オープンテラスのカフェで「cafe・da」つまりアイスコーヒーを飲む.1800ドン.聞いてた相場よりやや高い(と言ってもコーヒー1杯18円というのは驚異).

リクライニングなイスにふんぞり返って,ボーっと通りを眺めていたら,なんと先々月ラオスのヴィエンチャンで一緒に薬草サウナに行ったKさんが,シクロに乗って目の前を走っているじゃあーりませんか!

あわてて追いかけたら,なんと泊まってるホテルも同じであった.バックパッカー同士はひかれあうのだ.いろいろとその後の話をしたが,相変わらず“はっぱ”好きの人であった.夜,食事をする約束をして,いったん部屋に戻る.

シャワーを浴びて,ベランダから通りを眺めていると,今度はなんと、大前田(T)さんが歩いているじゃあーりませんか!

「大前田さーん!」とベランダから大声で叫び,階段を駆け下りる.玄関を出る.大前田(T)さんが笑いながら立っている.飛びつかんばかりにかけよる二人.少々気持ち悪いが,通りの真ん中で抱き合う二人(男同士です).

「イミグレの馬鹿がさぁ,俺のビザじゃここから入国できないって言うんだよ.でさぁ,お前じゃ話にならんから,もっと上の位のヤツを呼んでこいって怒鳴ったら,なんか裏の建物に連れていかれてさぁ~まいったよ.まぁ,25ドルで話はついたけどねぇ」

「いやぁ,アオザイいいねぇ.オミヤゲに買ってかえろうかな.でさ,女に着せるわけ.もちろん下着は黒!」

全くタフな人である.
さて,ベトナムの旅が始まった.

この国はKazchariに何を見せてくれるのだろうか.

【旅の回顧録~1993年のカンボジア】(完)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(24)

カンボジアの旅が終わる.

1993/4/5 Mon

現在,サイゴン「Hoang tu HOTEL」にてこの日記を書いている.
いやぁ,今日もやってくれましたね大前田(本名T)さん…

朝からの出来事を順を追って書いていく.

AM4:30,起床
宿を出る.頭痛はするわ,カラダはダルいわで,シムリアプでの熱40度時の症状に似
ているのが怖い.

AM5:30,プノンペン市内のサイゴン行きバス停着.近くの店で水を買ってリエル札を全て消費.

AM6:00,定刻より早く発車.
運転手のすぐ隣のデスシートに座る.国道1号と言えど,やはりカンボジアン・ロード.かなり揺れた.
「ほんの数年前には,この脇のジャングルにゲリラが潜んでいて,そして正面からはベトナムの戦車がドーッとやって来てんなぁ…」と感慨にふける.
フェリーの渡し着.降車するとチェンマネ・オヤジがワラワラと湧いてくる.US$1=8000ベトナム・ドンなんてふざけるにもほどがあるレート.当然無視.

AM11:30,国境着.
何にもない荒れ地にゲートが2つ立っている.これまで何度か国境を越えてきたが,空港インより,陸路ルートはやっぱり好きです.密入国するわけではないが,何となく危険な雰囲気が…平和ボケしてます.
カンボジア側のゲートはアンコール・ワットを模した茶色.ここはもちろんフリーパスで出国.

少し歩いてベトナム側へ.V字に角張った灰色のゲート.いかにも“共産圏”って感じやね.それっぽい無愛想な係官の手続きをすませ入国.わいろ要求もなく健全健全.すぐにバスが出るわけではないので,しばらく国境ゾーンを行ったり来たりしてうろうろする.
何もとがめられない.いいかげんなもんだ…と,これは外国人,それも日本人だからだろう.カンボジア人のベトナム入国チェックは非常に厳しいようだ.

Kazchariの入国手続き中,バスの運ちゃんが20冊近いカンボジアン・パスポートをドサッとカウンターに置く.なぜか一番上にはUS$20札がはさんであったが,それはすぐに係員のポケットに消えた.

バスのチェックがこれまたスゴイ.はがすわはがすわ,天井,イス,荷棚,床下,車両下,ボンネットを開けてエンジンルームまで全部チェック.すると出てくる出てくる,ラジカセ,時計,食料品,衣料品…おそらく密輸品であろう.バスの内外で官憲とカンボジア人があちこちで口論しているが,ベトナム人に少々押され気味である.

国境にもUNTACの出張所があった.ここで非常にめずらしいものを見てしまった.インド兵のシーク教徒がターバンをとって髪をとかしている姿.すんげ.これはなかなか見れませんよ.

で,近くの食堂でベトナム料理,卵と豚肉のぶっかけメシを食う.これはうまい.肉のうま味がなんとも言えん.US$1だして 5000ドンのお釣り.わずか50円ほどでこの味とボリューム.うーむ.これからが楽しみだ.

PM1:00,バスの出発予定時刻
バスに乗り込むと,荷物はあるものの大前田(T)さんの姿が見えない.トイレや先ほどの食堂に探しに行くがいない.

とうとうバスが動き出した.あわてて飛び乗るがやはりTさんがいない.止めようにも英語が通じそうにないし,そもそも行方不明では説明がつかない.こんな国境近くでバスを引き留めておくのも悪いし,まぁあの人のことやから,この先の市場にでも行っていて,道路で手を挙げて乗り込むつもりかもしれん…と,希望的観測をたててみたが…やはりいない.

サイゴンに向けてバスは進む.この巨大なTさんの荷物,どうすんの?(続く)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(23)

今日も今日とて「Capitol」通い.何もすることがない贅沢な時間.

1993/4/4 Sun

人物点描.

M夫婦.
本業はクリーニング屋さんらしい.冗談だと思っていたが,本当に新婚旅行中.ダンナはアジア旅行慣れしているが,嫁さんはヨーロッパ・韓国のパックツアー経験しかなかったらしい.それでいきなりカンボジアとは…嫁さん,結構憔悴しきった顔をしているわけである.次はベトナムに行くとのこと.向こうで再開する可能性あり.

Iさん.
たぶん悪い人ではないのだが,話の中に30秒に1度は“オンナ”という単語が出てくるのはほとんど芸術.驚嘆した.

Fさん.
昨日バタンバンから列車で戻ってきた.
途中でポルポト派が線路をトラックで封鎖してたそうな.幸いなことにゲリラそのものは現れなかったらしいが,カンボジア旅行中の外国人は危ないのだ.誘拐され政治的かけひきの材料にされるか,もしくは殺されるという話もある.
ところでこの人,実は『歩き方』のタイ編やバンコク編を書いてるFさんその人だったことが判明.今回は取材ではなくプライベートだそうだけどベトナムのニャチャンが最高だったと,アオザイ姿の女学生の写真を見せながら言う.ふむ.

Kさん.
ジャーナリスト肌の人.やたらと政治や経済に関する話をふってくる.戦後,日本は天皇制が残されていたから発展したとか,日本の農業はどうなってもかまわない,カネさえあれば全て外国から輸入できるとかやたらに保守な意見言う人…と思いきや,なぜか反原発志向だったり,アイヌ問題に詳しかったりと,右か左か(最近ではこんな区分馬鹿馬鹿しくなってきたが)よくわからん人であった.

長期旅行者はなぜかよくしゃべる評論家タイプと,寡黙な哲学者タイプに分かれるような気がする.

大前田氏改めT氏.またも夕食の支払い時,店員ともめる.今回も外国人料金の請求が原因.多少は良いんでないの?

Kazchariはカンボジア滞在の実質的な最終日を,これらの人と過ごした.明日の今頃はサイゴンである.今,ノドが少し痛い.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(22)

自家発電のやかましさにはいい加減慣れたと思ってたのになぁ…いや,ひょっとしたら,今日タケオに行くと決めたので興奮してたのかもしれんなぁ…Kazchariは神経質やからなぁ…あーあ,眠れへんまま5時半になってしもた.

1993/4/3 Sat

「Capitol」で5ドル払ってカブを借りる.最初は大前田氏が運転.その後は1時間ごとに交代で運転することにした.

時折クメール人に地図を指さして道を尋ねるが,シャイなのか,やっかい払いしたいのか,どうも適当に教えてるフシがある.

で,そこそこ大ウソつかれながらも,なんとかタケオへの道,国道2号線を爆走する.ホンマに自衛隊が直したんかいな?と疑いたくなるヒドイ道.半分ぐらいはボコボコのダートであった.

たかだか80kmちょっとの道程を3時間かけて10時ごろタケオ着.入り口には「PKO~JAPAN」とかいう看板が立っていた.

タケオの町は小さい.
酒屋には「どうぞお気軽にお入り下さい」なんて日本語の看板があって笑えた.

駐屯地は広い.
戦車や装甲車はなく,大量のランクルやらトラックがズラーッと並んでいる.UNカラーの白が美しく,まるで新車の展示場のごとし.

入口ゲートでパスポートチェックを受ける.手持ちの服で一番マシなジーパンをはいていたが,胡散臭く見られるのは仕方あるまい.「個人での訪問はめずらしくてね」とかなんとか言われつつ身元照会.

この時,大前田氏のパスポートには別の名前が書かれていたことが判明.理由をしつこく尋ねたがはぐらかされてしまった.怪しい.今後の旅行中に追求せねば.

施設大隊本部内は冷房がきいていた.新聞記者らしき人たちがたくさんいる.
Visiterカードの記入を求められたので「○○大学学生」と大ウソ(母校なのは本当だが)を書く.正直に「無職」と書くのは不味かろう.

広島部隊所属の広報官の方が施設内を案内してくれた.

浴室(湯船あり!),PX(日本円OK),図書室,スーファミ,ビデオ部屋,それに隊員宿舎を見学させてもらう.宿舎テーブルに置いてあったカップヌードルやらふりかけが泣かせる.写真も自由にOKとのことでバチバチ撮る.

PXや自動販売機は調整中で利用できなかった.せっかく100円玉持ってきたんやけどなぁ…ジュース60円,ビール140円やって.と,色々考えているうちに見学終了.迷惑そうなそうでなかったような...

自衛隊PKOの是非なんて全く考えなかった.「現実」の中に取り込まれて何も考えられなくなった.Kazcahriの性格ってそんなもの.

駐屯地を出,タケオ市街の食堂で昼食.
お店のおねーさん曰く「ジェータイ」の人もよく来るとのこと.

食事後,店の前でカブにまたがる.アクセルふかしすぎて思わずウィリー! 町の人たちが大勢驚いた目でこっちを見る.大前田氏改めT氏,「ダメだよ~この辺,刺激ないんだからさぁ,驚かせちゃ」.まぁ納得.

帰りは3号線でプノンペンに戻る.こちらの方が道が良い.
宿に戻って休憩後,T氏からよせばいいのに広瀬隆『危険な話』を借りて読む.疲労に加え,考え事を詰め込まれ過ぎである.頭が飽和した.(その23へ)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(21)

1993/Apr/2 Fri

毎夜こだわるベッドの寝心地.

扇風機にめくられた蚊帳の隙間から吸血羽虫乱入.無意識のうちに全機撃墜するも,掻痒感で満足に眠れぬ.

朝食後,サイゴンもといホーチミンシティ行きのバスチケットを買いに行く.
AM10:00に閉まるオフィスに7分遅れて到着す.アジアのいい加減さをアテにして,チケット売れとねばったが,PM2:00に出直す羽目になりぬ.

宿に戻ったKazcahriは,習慣になっている各国1枚の自分宛の絵はがきを,ウィンザー&ニュートン固形水彩にて描き始める.
モチーフはお気に入りのアンコール・トム-バイヨン.「Lonely Planet」掲載写真を参考に自分のイメージ重ねて描く.3時間ほどで完成.なかなか満足いく出来.問題はここから出して,日本に無事着くかである.

昼食にラーメン&ケチャップパン.
再びチケット買いにバス会社へ.3日後に出発するバスの予約をする人は他になく,指定の席が運転手の隣り.事故れば確実に命はない特等席.

夜は,明日バンコクに飛ぶY氏の送別会.日本人旅行者6人でオクラ入りのベトナム鍋を食う.具材を頼みすぎて残してしまった.会計時,またも大前田氏,ボラれてると店の主人と大ゲンカ.もう慣れた.

ただ今の時刻,PM10:19.同じ「家」に泊まるI氏が部屋に遊びに来て,一人でしゃべっている.

「だからさっ,ここもいいけどさっ.フィリピンはもっとスゴイよ.こうさっ,女を2人買ってさっ,目の前でレズさせるんだよ.それをさっ,ビデオに撮ってさっ」

Iさんて日本で何してはるんですか?

「俺? 山小屋の管理人.春になるとさっ,高山植物がキレイでさっ.まるで天国だよ,山の上って.ところでさっ,女の子の話に戻るけどさっ」

はいはい.(その22へ)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(20)

Killing Fieldへ.

1993/4/1 Thu

このベッドには何かがいる!

昨夜は非常にかゆかった.なかなか寝付けず,すごい寝汗でTシャツベトベト.爪には自身の垢と血.自家発電器と車の騒音はうるさい…と文句を言いながらも,宿を変える気がないのは Cheapest Hotel 故なのか.

入手した情報によると,本日タケオでは自衛隊の歓送迎会が行われているらしい.そのような場所にのこのこと出かけるわけにもいくまい.カンボジア出国予定日の5日までには何とか訪問したいものである.

「Capitol」にて新しい朝食の組み合わせ,素パンとオムレツのセットを食う.そしてUS$1にて自転車を借りる.今日の用事は「Killing Field」散策である.市街地から15Kmの地点にそれはある.

整備不良でサビだらけ,ギコギコと異音の多い少々ひんまがったチャリにて,カブと自転車の群をかいくぐり,並木道をのんびりサイクリング…というわけにはいかない.ほとんどが砂地か簡易舗装の凸凹道.おまけにクソ暑い.この暑さにはやはり慣れない.

やがてLonely Planetで見覚えのある塔が見えた.門らしきものもあるが,常に開放してあるようだ.チャリを止めて塔に近づく.これがまた…何と形容してよいのか…ガラス張りの塔の中には骨,骨,骨…この地で虐殺されて埋められた人の頭蓋骨が数段に渡って“陳列”してあるのだ.いや,これが“供養”なのである.

塔のそばの地面には大きな穴がいくつもある.覗く.大腿骨なのか,長い骨が地面の底から数本飛び出している.服があちこちに見える.“中身”は土に還ってしまったのだろう.

ツールスレーンでもそうだったが,こういう場所に来ると嫌でも戦争や生命について考えてしまう.街への帰り道,思い出すのは,昨日『Capitol』に物乞いに来た両足の無い人のこと.のんきに観光旅行している自分が嫌になる.

「そういうことはなぁ,この国の問題だからほっとけ」と誰かが言う.確かに自分の問題として置き換えて悩む(ふりをする)のは,傲慢かもしれない.しかし,それでも…

「Capitol」に戻って昼食.ベトナムから来た旅行者にラオス情報を教える.その人からはサイゴンやハノイの情報を聞く.さんざんしゃべりまくった後,二人で例の70番ストリートを“見学”に行くことになった.幸いチャリもある.二人とも度胸がないというか,思慮深いので陽が落ちる前に出発.

なんてことない住宅街の角を曲がると,道の両脇に延々と並ぶは置屋の列.「店」の前では派手な衣装を着た「白塗りの化け物」(としか形容しようがない)が,チャリに乗った我々に嬌声を上げ手招きをしている.マジで恐怖を感じた.運転していた旅人も同じ様に感じたのか,いきなり激コギでダッシュ! 左右前後から襲いくる「化け物」どもを必死にふりほどき,ようやく通りを脱出した.ゾンビ映画か! おいおいマジでこんなところに毎晩来るんか,好き物旅行者諸君?(その21へ)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(19)

1993/Mar/31 Wed

プノンペンへ戻る.
宿をチェックアウト.最後にオーナーと記念撮影.

タクシーを3人でシェア.一人US$5,たった3時間でプノンペンに戻ることができた.往路の列車旅は何だったのか?

内戦での被害をあまり受けなかったのか,またはPKO効果で猛スピード復旧されたのか,4号線は整備された実に美しい道だった.

なじみの「INN House」に宿をとるつもりだったが,大前田氏の提案で別口をあたってみることにした.
「Capitol」の裏通りに良い宿を見つけた.なんと1ベットUS$2!
ここは正確にはホテルではない.門に「HOUSE for RENT」と書かれたボードを出している普通の民家である.3階建て住居のせまい階段を昇る.広い空間に蚊帳付きベッドが置いてある.“見た目は”清潔そうなシーツがかけてある.ベッドにノミ,ダニの類がいなければ出国予定日まで定住することにしよう.

「Capitol」で久々の昼食.たむろしている日本人旅行者に最近のプノンペンの様子を聞くが,大して変わりはないようである.

リーダー格の大前田氏が決断すれば,明日はタケオに行くことになりそうだが,派遣されている自衛隊も年度末の人員交代時期で何かと忙しいらしく,訪問してもロクに相手をしてもらえないのでは?との情報を得た.
民間人がノコノコと“遊び”に行っていいものかどうか…判断が難しいところである.
今度来るのは北海道の部隊らしい.となると,いきなり気温差40℃近いところに派遣されるわけで,PKOの是非はともかくご苦労さんという他はない.

いろんな旅人の話を聞けば聞くほど,次の訪問予定地ベトナムが楽しみになってきた.何よりメシがうまいそうだ.

夕食に奮発して屋台の豚足を食う.3000リエル.美味であった.

(3月度の会計)
タイ :  4450バーツ
ラオス:  3500キープ゚
カンボジア: 290 USドル(リエルは変動が激しかったため両替したドルで計算)

今月は3ヶ国にまたがったので計算がややこしい.1日平均で約¥1938か.使いすぎやな…(その20へ)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(18)

1993/Mar/30 Tue

わかっているものの,コンポンソムのこの宿は不便だ.
ビーチ,マーケットとも非常に遠い.今日も今日とて,朝,市場にて焼きそばを食い,宿のすぐ裏にある“ヤシの木10本レストラン(というより雑貨屋)”でサンドイッチ(ここのはなかなかイケル)と3本500リエルのバナナを食べただけで,残りの時間はずーっとテラスでゴロゴロ.アメリカ人の女性パッカーはいつの間にかチェックアウトしていなくなっていた.

急ぐ旅ではないのだけれど,不思議なことに罪悪感を覚える.

気がつけば,カンボジア入国時からずっと一緒のY氏から『Lonly Planet』の東南アジア編を借りて読む.欧米人向けの『地球の歩き方』である.もちろん英語.ガイドブックにしては写真の数が非常に少ないが,その分,安宿やアクセス方法などの情報量が半端ない.記事にもユーモアがある.曰く「朝,早起きする必要があるならモスクの隣に宿をとれ」など.

世界地図が好きだ.東南アジアの地図を何度も眺める.ベトナム,ラオス,タイそしてマレーシアを南下し,インドネシアはニューギニア島のイリアンジャヤまで…帰国予定日まで,まだ半年以上ある.それでもアジアは広い.急ぐ旅はしたくない.でも経験したい.可能な限り多くの土地と文化と人との出会いを.

夕方の短波ニュース(ラジオ日本)にて,プノンペンのレストランに手榴弾が投げ込まれて死者が2名出たことを知る.テロは4ヶ所でいずれもベトナム料理店らしい.近頃は選挙をひかえて,ポルポト派がベトナム人を殺しまくっている.果たしてこのまま無事に出国することができるだろうか?

旅の回顧録~1993年のカンボジア(17)

コンポンソムはかつて,シアヌークビルと呼ばれていた.

1993/3/29 Mon

人に対して何か良いことをすると,それを神様が毎回チェックしていて,その分だけ楽しい人生を与えてくれる…心のどこかではそうであることを望んでいる.これが自分の道徳観,倫理観の正体.単純単純.

周期的に訪れる鼻炎のおかげでくしゃみが止まらない.時期的に花粉症なのだろうか?

その様な状況ではあるが,コンポンソムに来た本来の目的である「ピーチで泳ぐ」をようやく完遂することができた.
 
宿を出て海を目指す.しばらく荒涼とした大地をさまよう.まるでヨーロッパの芸術映画のごとき風景が広がる.刑務所風建物の壁沿いを通過し,たどり着いたビーチは遠浅の美しい白浜であった.
ホテルらしき建物もあるが,我々以外に人影はない.全くない.

持参した競泳用ゴーグルをつけて潜る.魚はほとんどおらず,シュノーケリングには不向きであったが,久々の海水浴に満足.シャワー生活が続いた後の湯船みたいなものである.曇天の下,静かな波間をふわふわと漂う.
“リゾート”というわけにはいかなかったが,なんとなく哲学している空間だった.

3時間ほどビーチで過ごした後,市場へ.途中,駐車場付きのバンガローが立ち並ぶ通りに出る.そのいくつかにUNTACのランドクルーザーが停車していた.ネオン付きのけばけばしい看板には「大香港旅社」と描かれていた.用途はおおよそ想像がつく.

市場の食堂のテーブルは真っ黒だった.そう,ハエテーブルと化していた.カンボジアにはハエが非常に多い.慣れというのは恐ろしいもので,その様な場所でも食事が平気になった.適当に選んだおかずをのせたぶっかけメシを食う.

宿に戻ってテラスで読書.たまたま読んでいるのが『ガリバー旅行記』.馬人国,フウイヌム編が実におもしろい.全ての人間は唾棄すべき畜生,ヤフーなのだ.昨日読んだ巨人国の食事場面を思い出した.先ほどのハエテーブルと重ね合わせると…ウッぷ.(その18へ)