1993/3/15 Mon
プノンペンの大通りを南下し,ベトナム大使館にヴィザの申請に行く.
警備員のチェックが厳しく,なかなか施設内に入れてくれない.
テロ対策だろう.
せまい一室に通された.
いかにもベトナム人っぽい,色黒でエラの張った担当官が現れた.
ヴィザの申請というよりは,何やら闇取引の雰囲気である.
所要一週間で,30日有効,US$55というのがベトナムへの最低限の手数と入国料のようだ(「Capitol」に頼むとUS$100取られる).
Kazchariの持っているカンボジアViSAの滞在期限は7days.
つまり延長が必要ということになる.
担当官にカンボジア外務省の場所を聞き,大使館を出て4kmほど歩く.
着いたら着いたで「先に入国管理局に行け」と言われた.
たらい回しである.
途上国の旅をさらに安くあげるためには,根気と体力が必要.
ただ,この過程を楽しんでもいる.
炎天下,さすがに疲れたのでバイクタクシーを拾うことにした.
600リエル.最初は2000リエルよこせなんて言いやがる.
外務省では「市場の近く」としか教えてくれなかったので大変である.
どこに管理局があるのかさっぱりわからない.
あちこちで見かけるUNTACの兵隊を捕まえて,つぎはぎで場所を尋ねつつようやく発見.
7daysの延長でUS$20.
これでカンボジアには3月28日まで滞在できることになった.
ベトナム大使館に戻り,無事にヴィザ申請.
ただし,今後しばらくはパスポートなしで旅を続けなければならない.
ここは準戦時国.
身分を証明せねば命にかかわる…といった事態に陥らないことを願う.
帰りにツールスレーン博物館(通称S-21)に行く.
全身に寒気が走るとはまさにこの事.
この世の地獄がそこにあった.
処刑前に撮られた顔写真の群…拷問用器具…放置された死体の写真パネル…牢獄…
ここは本来,学校であったという.
校庭には鉄棒がある.子供たちが遊んでいる.校舎をバックにその子達を撮った.
Capitolホテルに戻る.
一階のレストランではY氏が「下痢だ,下痢だ」と腹を抱えて苦しんでいた.
彼も旅が長い.
それに,この国はお世辞にも衛生的であるとは言えない.
彼に日本から持ってきた抗生物質を渡す.
むやみに飲むのは危険だが,化膿した切り傷から腹痛まで,効くことは効くだろう.
夕食時,昨日のK氏に加え,さらにもう一人の日本人が我々のテーブルにやってきた.
この人,「ねぇ,70番に行きましょうよー」としきりに誘う.
「70番」とはプノンペン市街の北部にある有名な売春宿街,Seventy-streetのことである.
見物だけならともかく,この人は“お試し”まで考えているようなので遠慮した.
買春には興味がない.
それに何より病気が怖い.
一人で行って来い.
アンコール・ワット観光への中継地,バタンバンへの列車はプノンペンを奇数日に出るらしい.
明後日出発することにする.
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