旅の回顧録~1993年のカンボジア(3)

タイ語とラオス語は東京弁と大阪弁ぐらいの違いしかないが,タイ語とクメール語では東京弁と鹿児島弁ぐらいの差がある.- だから?

1993/3/16 Tue

この時期のカンボジアの夜はさほど暑くはない.
ただし一晩中響きわたる騒音(自家発電器のモーター音)と,昨日のツールスレーンの光景が頭から離れなくて2~3時間しか眠ることができなかった.

さらにドミトリーの部屋で一番困る事態が発生.
そう扇風機の直撃である.
他人が強風で回しているのを止めるわけにはいかんし...で,朝から風邪気味で鼻ずるずるである.
白人の連中は裸で寝てて寒くないのか?

午前中,プノンペン市内を北に向けて歩く.
おっと,その前に朝食で念願のフレンチ風サンドイッチを食べたことを書かねば.
具(焼き豚と野菜)が山盛りで1000リエルであった.
ラオスで食べたのとよく似た味である.
旧植民地と言えども,本場(?)のフランスパンなので,咀嚼するとアゴが非常に疲れる.

ドーム型の巨大な建物,セントラルマーケットに行く.
中は典型的なアジア市場.
生鮮食品,金物,陶器,服屋の他,札束をガラスケースにわんさか積んだ貴金属屋さんが目立つ.
ついつい銀(っぽい)ネックレスをUS$5で買っちまった.
野外ではサル,ウサギ,オウム,インコ,タガメ,そしてアリクイetc…を売っていた.
ペットショップでないことは確かである.

明日乗る列車の時刻表でもあるかと思い,駅に向かう.
構内がひんやりと涼しいのでベンチでボーッと座ってたら,周囲にカンボジアのオヤジ達が集まってきて,じろじろ見よる.
なんだか居心地が悪くなってきたので駅を退散.
悪意は感じなかったが,まだまだ個人ツーリストがめずらしいのだろうか?

展望を期待して丘の上にあるお寺に登る.
カンボジアもタイやラオスと同じ小乗仏教.
光り輝くネオン・ブッダのお出迎えであった.

「Capitol」に戻る.
同室に時事通信の記者がチェックインしていた.
なんでも金丸さんが逮捕されたそうな.
一階のレストランにてK氏,Y氏を交えてしばし日本世間話.
旅に出ると誰もが評論家になる.
この日は「皇室問題」から「日本文学の現状」まで話が及んだ.

と,そこに大スコール.
ただでさえ未舗装でグチョグチョの道路がドブ川と化した.
排水溝からうじゃうじゃとわいて出る巨大なゴキブリとねずみ.
レストラン内はパニックである.
まさに地獄絵図.
まさにクメン.
やっぱりスゴイ所である,ここは…

今夜は夕食を地元向けの店でとる.
「Capitol」のすぐ近くに「おかゆとモツ煮」の専門店を見つけたのである.
そこの店員の兄ちゃん,クメール人にしてはめずらしく,英語とタイ語を話す.
いやぁ,盛り上がった,盛り上がった.

「おいしい」をクメール語で何と言うのか聞き出す.
「チガニ」らしい.旅する上での必須単語の一つ.
よし,今後はこれを連発しよう.
あまり食料事情(味に関して)が良くないカンボジアだが,ようやく一軒,なじみの店ができた.
(その4へ)

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