1993/4/9 Fri
希望から絶望へ
事務手続きばかりで,一向に前進しないヴェトナム旅.
Kazchariと大前田(T)さんは,これからハノイまでできるだけ陸路を使って北上したい.
そのためには現状のヴィザ期限では短すぎるのだ.
その延長ができるかどうかわからない手続きのために,今日という日も消費されてしまうのか?
正に本末転倒.
しかし,これもまた,無期限パッカーにのみ許された贅沢とも言えよう.
とりあえず,入国許可スタンプ(?)とか関税申告書のことは一旦保留し,ヴィザの延長だけにターゲットを絞ることにした.
朝から大前田(T)さんとまた旅行代理店へ.
本日向かうのは,バンコクにて大前田(T)さんの「モク・バイ(陸路入国)」ヴィザを手配した店のサイゴン支店である.
シクロを使うと料金交渉にかなりHPを削られることがわかっているので,代理店まで歩くことにした.
甘かった.
大前田(T)さんはエベレストのベースキャンプまで一人で登れる健脚.
Kazchariはそこまでの体力はない.
足元はビーサンやし.
そう,なんやかんやで10kmは歩いた.ヘロヘロである.
ようやくたどり着いたその店は,若い娘三人が切り盛りしている雰囲気の良い,かつ良心的な店であった.
事情を説明すると,当局に掛け合ってくれるとのこと.
少々不安だが,パスポートを預けることになった.
ここは信用するしかないだろう.
三人娘に希望を託し,ファング・ラオ通りに戻り,ランチカフェ.
サイゴンはまだまだ旅行者のたまり場となる場所が少ないので,この通りのカフェで張っていると,すでに知り合いの旅行者によく会うのだ.
(※注:ネットや携帯のない時代)
サイゴンよりさらに南下し,メコンデルタ川下りツアーの船をシェアする相談を持ちかけるためである.
大前田(T)さんと二人だけだと,高くつくのだ.
しかし,今日に限って誰も来ない.
後日に期待するか...
さて,時間が余った.
「ホーおじさん記念館」に行くも昼の休憩時間.
ここで大前田(T)さんと一旦別れて一人,「戦争博物館」へ行くことにした.
入場料7000ドン.おそらくガイジン料金.
なんとも適当な展示方法.
ヴェトナム戦争で使われた武器が無造作に置いてある.
他には,アメリカ軍による胸クソ虐殺写真や,「枯れ葉剤による奇形児のホルマリン漬け」が並ぶ.
ふと考えれば,この国,戦後からまだ20年も経ってないのだ.
旧大統領の館跡を過ぎて,隣の「革命博物館」も見学.
前知識があまりないので展示物を見てもよくわからない.
知っているのは「アメリカの傀儡政権である南ヴェトナムを解放するために,ホーチミンが北ヴェトナム軍を率いて,反政府ゲリラのヴェトコンと手を組み,アメリカ軍を追い出した」というぐらい(合ってる?).
無料なのは救い.
カンボジアの前に行ったラオスの首都,ヴィエンチャンにあった“赤い部屋”の方がずっとインパクトがあったなぁ.
15時過ぎに宿に戻り,部屋にいると,ちょうど代理店から電話がかかってきた.
曰く,Kazchariのヴィザは今すぐに延長可能.ただし2週間(短い!).
大前田(T)さんに至っては「モク・バイ」入国期限日から換算して1ヶ月オンリー,つまり来週月曜日には出国しなければならないという,理解し難い裁定.
「これはシャレにならん」と,2人してあわてて代理店に出向く.
3人娘には罪はない.
結局イミグレーションで直接直談判しようということになり,スタコラと3日前(もうそんなに経った!)に行ったイミグレを再度強襲!
しかし...全く相手をしてもらえず,翌日「公安」にて再チャレンジすることにした.
大前田(T)さんはほとんど諦めの境地にあるようだ.
夕食は今日も中華街へ.
食卓の友,ニョクマムがクセになってきた.かけまくる.
なんだかんだで博物館に行ったし,サイゴンをひたすら歩いたせいか,今日になってようやく観光らしい観光をした気がする.
そして気づいたこと...サイゴンの街はう○こがよく落ちている.
そして小便くさい.
懐かしい...そう,インドから香辛料の匂いを抜いた感じに近い.
(その5へ)
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その前日 ⇒ 旅の回顧録~1993年のヴェトナム(3)
その翌日 ⇒ 旅の回顧録~1993年のヴェトナム(5)