旅の回顧録~1993年のカンボジア(1)

日本を出国して,すでに2ヶ月が過ぎていた.

1993/3/14 Sun

AM6:00-バンコク.
まだ暗闇のカオサン通りを白人の酔っぱらいが闊歩していた.
旅行代理店前から空港行きバス出発.
AM7:00過ぎにドン・ムアン空港着.
空港内レストランでバカ高の朝食をとり,残金をドルに両替.
カンボジアでは少額のドル紙幣が必携なのだ.
シャム・カンプチア航空にチェックインして,出発を待つ.
旅客機は定刻より15分だけ遅れて離陸した.

エビ入りゼリーの機内食はなかなかイケる.
ただしスチューワデスは無愛想.
せっかく覚えたクメール語の挨拶をしてもニコリともしない.
もっとも,インドシナ半島の各言語は発音が非常に難しく,一度で通じたことはほとんどないが...
わずか55分のフライトでキリングフィールド・プノンペンに到着.
バンコク同様,この国の首都も暑い.

空港には白い機体に黒で「UN」と描かれたヘリコプターとランクルが数台並んでいた.
イミグレーションにはPKO 警察の日本人がいた.
「学生さん?」「大学どこ?」「一人?」「何にしにきたの?」「どこに泊まるの?」
この人、ヒマなのだろうか?
カンボジアで職質をしてどうする.
もっともこの時期に,この国を旅行するヤツは怪しいと思われても仕方がない.

US$20を払い,7days 有効のヴィザを買う.
表記がクメール語ではなく英語なのが残念である.
空港施設を出るとタクシーとバイク(カブ)の群れ.
「Where do you go ?」 の嵐の中,バイクタクシーの運ちゃんをつかまえて,中心街への値段交渉に入る.
最初US$10だったのが,前情報通りUS$1 になった.

泊まる宿は決めてあった.
その筋では有名な「Capitol Hotel」である.
バイタクの運ちゃんも場所を知っていた.
いつもそうだが,新しい国での初日は本当にワクワクする.
空路入国では人も建物もガラッと変化する.
陸路入国ではじわじわと変化する.
両方ともおもしろい.
特にプノンペンは停戦まもない特殊な街.
同じような喧噪でも,他のアジアの街とは空気が異なっている.

「Capitol」のドミトリーはUS$4だった.
一泊US$10は覚悟していただけに単純にうれしい.
荷物を置いて部屋の外へ.
Capitolホテルの一階は中華料理レストランになっている.
いや,レストラン業だけではなく,両替、周辺国のヴィザの手配,レンタルバイク/サイクル,ガイド,観光案内など,なんでもやっている.
ざっと店内を見渡すと日本人がいた.
軽く会釈して早速情報収集開始.

彼,K氏はすでにアンコール・ワットにも行っていて,料金所を通らずに遺跡に行く道やら,バタンバン,シェムリアプの安ホテル情報を聞き出す.
また,K氏はなんとベトナムのハノイ大学に留学中であった.
カンボジアの後はベトナム行きを予定していたので,貴重な情報を得ることができた.
そこへ現れたもう一人の日本人Y氏と3人で市内散策.
やたらにあるベトナム料理店の一軒で寄せ鍋を食い,アンコール・ビアを飲む.
しめて一人9000R(リエル,US$1≒2500R).
初日から贅沢している(どこが?).
明日からは少し節約要.
(その2に続く)

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