旅の回顧写真~2004年のイースター島にて

2020/7/22 Fri

あこがれの地.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z 2004年7月9日撮影

青年海外協力隊の隊員として2年間をジャマイカで過ごしたKazchariは,2004年の4月に無事帰国.
就職活動をし,大阪から旭川に居住地を移すことを決めた後,ヨメさんと世界一周,もとい地球一周の旅に出かけた.
その最大の目的地は南太平洋に浮かぶ絶海の孤島,イースター島である.

スペイン語で「Isla de Pascua」.南米チリ領である.
言わずと知れた巨象,モアイが乱立している島として有名(後に勘違いだったことが判明).
幼少の頃からのあこがれの地だった.

タカラ・スクールパンチシリーズ『謎のイースター島』

「いつかはイースター島へ」と胸に秘めてはいたが(いや秘めてないか)何しろ遠い.そして時間と金もかかる.
よほどの覚悟がないと行けない土地なのは今も同じ.
行くなら再就職まで4ヵ月ほどあるその時しかなかった.
2004年当時,普通に日本からチリ経由でイースター島を目指すと,航空チケットだけで往復24万円ぐらいかかった.
そこで目をつけたのが『世界一周チケット』
ワンワールドグループの航空機を使って3大陸(北米・南米・ヨーロッパ)のそれぞれの都市でトランジットできる夢のようなチケットである.
なんと,その寄港地にイースター島が含まれているのだ.1年オープンで35万円.どう考えてもこれを使う方がお得.

ちなみに他の寄港地は,
日本⇒アンカレジ,カンクン(メキシコ),サンティアゴ(チリ),イースター島,プンタアレナス(チリ),マドリッド,カイロ,ヘルシンキ⇒日本
だった.

今のようなe-チケットではないので,最初にドンと分厚い束が送られてくる.
旅行が進むたびにどんどん薄くなっていくのが少々悲しいものがあった.

というわけで,6月半ばに日本を出発後,イースター島に着いたのは2004年7月8日だった.
歴史や文化の話はgoogle先生やWikipedia先生にお任せするとして,以下,モアイ写真をアップ.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
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行ってみて気付いたのだが,モアイは島中に乱立しているわけではなく結構分散している.
そこへのアクセスは実際レンタカーしかない.
当時のKazchariはペーパードライバーだったので少々困った.
しかし,偶然にも飛行機が一緒のメキシコ留学されていた日本人の方に助けられた.
クルマの運転は元より,留学されていただけあってスペイン語がペラペラだったのだ.

さて,イースター島の名物はモアイだけではなかった

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

火口湖があったり,なんとダイビングサービスまである.
絶海の孤島ゆえ波が高い日が多く,潜れる日は少ないらしいが,運よく滞在中1日だけチャンスができた.
残念ながらこれっという水中写真は撮れずじまい
一昔前であれば,映画『ラパ・ヌイ』(現地語でイースター島のこと)の撮影で使われたモアイ像のセットが沈められていて,面白い被写体になっていたそうだが.

他には,倒されていた15体モアイを引き起こした日本製クレーンが放置されていたり.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

安宿のネコがやたらに人懐っこくてむっちゃ美猫だったり.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

モアイの足元でサッカーしてたり.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

と,なかなかシュールで楽しい場所であった.
やはり行って良かった.
この時はチリ,アルゼンチン,パラグアイを訪れたが南米旅の満足度は総じて高い.
それなりにリスクも高く緊張をしいられる場面もあったが,それを越える魅力がある.
めったに行けない南米大陸残りの人生用にまだ北半分を残してある

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

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