『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を観た

2019/12/21 Sat

12/20,日米同時公開となったスターウォーズ最新作,『Episode Ⅸ スカイウォーカーの夜明け』を観た.

鑑賞方式は旭川シネプレックスの4DX(吹替え)をチョイス.公開初日の1回目なので文字通り日米最速の鑑賞.
たまたま会員割引デイで¥2400.さすが旭川,映画が安いぜっ.
昨夜のうちに席も予約.ガラガラだ.さすが旭川,ゆったりと観れるぜっ.
席は前から2列目の真ん中.3Dは前方がいいぜっ(今回は吹替えだが,目が悪いので後ろだと字幕が読めないぜっ).

ちなみにKazchariは,これまで劇場で,epi『Ⅴ』『Ⅵ』『Ⅰ』『Ⅲ』『Ⅶ』『Ⅷ』『ローグワン』『ハン・ソロ』を劇場鑑賞.また6epiセットのBlu-ray BOXも所有.一番好きなのは『Ⅴ』というごくごく標準的なSWファンである.

以下,雑感.むっちゃ内容に触れます.

いろいろと問題のあった前作『Ⅷ 最後のジェダイ』よりはおもしろい.大風呂敷をまとめた感あり.つーか『Ⅷ』いらなくね? ルークは消息不明もしくは既に死んでいても話のつじつまは合うし,崩壊しかけだったレジスタンスはいつの間にか増強してるし,「特別でない者にもフォースは宿る」というテーマはどっかにいったし.

『Ⅷ』が未見で,かつどうしても内容を知りたい人は岡田斗司夫ゼミのハマムラ的解説をおすすめ.ドラゴンボールとの類似性の指摘で爆笑できます.

『Ⅶ』から『Ⅸ』までは続き物のはずなのに,統一感がない.毎回行き当たりばったりで,試行錯誤(鑑賞者の声を反映)しながら脚本を書いている感がスゴイ.レイがパルパティーンの孫という設定は最初からなのか?

で,そのパルパティーンも何の伏線もなくいきなり登場しすぐに退場.シスの大艦隊も突然の出現! 艦の製造や兵や燃料はどうなっている? 霊体なのか?
いっそパルパティーンの復活から『Ⅶ』を始めておけば…もしくはスノークの正体は実は,の方が良かったのでは?

主役の三人(ポー,フィン,レイ)にあまり魅力がない.キャラが立っていないのだ.やたら顔のアップが多いレイのみ,この『Ⅸ』で挽回というか,ようやく主人公っぽくなった.
悪役の三人(レン,スノーク,パルパティーン)も同様にあまり魅力がない.
それに,これは日本人だけかもしれないがキャラのネーミングが…ポー・ダメロンって…スノークと言えばムーミンだし…

『Ⅷ』で大不評のローズの出番が明らかに減った.ジャージャービンクスと同じ扱いやね.と思ったら,フィンと良い関係になる新黒人キャラがいきなり登場.

『Ⅷ』よりマシだが,ルークってあんなキャラだっけ? 言動だけでなく見た目も含め,あまり良い歳の取り方はしていない気がする.

スカイウォーカー家では,レイアがいつの間にかルーク以上のライトセーバーの達人になっててびっくり.

Xウィング,レッド5の登場は燃える.そこまでやるならR2-D2かBB-8を乗せろ!

既にお亡くなりのレイア姫.どこまでCGなのか気になる.一瞬ですが『ローグワン』の時の若い姿も再び見れます.

ノンクレジット出演のハリソン・フォード.驚きというより,レンを改心させるには出さざるをえない.

レイとレンの何度もあるライトセーバーの戦闘シーンに迫力,というか美しさがない.へっぴり腰ルークへのオマージュか.『Ⅲ』の「地の利を得たぞ!」戦はもちろんのこと,何かと評判の悪い『Ⅰ』でさえ,オビワン+クワイ・ガンジンVSダースモールの剣劇シーンは素晴らしかった.

クライマックスへ.
レンが祖父であるパルパティーンを殺すとダークサイドに墜ちて女帝化する.ゆえに目の前で味方がバシバシ撃墜されてても,何もできず地団駄.そこへライトセーバーを転送されたレンがやってきて2人でパルパティーンを攻撃→勝てない.レンは崖下に真っ逆さま.レイが覚醒して「私はフォースを使ってお前を倒す!」とかなんとか言いつつ,パルパティーンを撃破! あれ,結局祖父を殺した→ダークサイド堕ち?
SW世界では肉親殺し,ジェダイ殺しはダークサイド堕ちというルールがあったような.いくらなんでも主人公がダークサイド堕ちエンドは不味いって,あれ?『Ⅲ』がそうか.
それを回避するには相打ちでレイが死ぬしかない.で,目を開けたまま死ぬのだが,なぜかレンが崖下から這い上がってきて,抱きしめたらレイがよみがえって,チューして代わりにレンが死ぬ.そうか,結局,肉親殺しが全て罪を背負ったという描写なのか.辻褄は合っているけど,フォース万能感がハイパー過ぎてなんだかなぁ…

ラスト.SWの象徴といえばタトゥイーンの2つの太陽が昇るシーン.
ルークの家の前でレイが言う.「私の名前はレイ・スカイウォーカー」
ここ別エンディングで,レンが「俺はレン・スカイウォーカー」と言うバージョンもありそななさそな.こちらの方が表題に忠実やな.

とかなんとか文句多めですが,やはり「A long time ago in a galaxy far, far away…」~♪ジャーン,チャラチャチャチャチャ~の音楽とともに黄色の台形文字が遠くに流れていく場面を見るだけで,たいていのことは許せてしまうのですよ.そう,SWはSFではなくファンタジーもしくは神話.

岡田斗司夫曰く,今の映画業界は中国市場を無視できない.SWがかの地でヒットしないのは,旧シリーズへの思い入れがないから.今回の『Ⅸ』でそれはようやく完全払拭された.2023年からはようやくEpisodeⅩ~の新シリーズスタート.不安でしかない.『トランスフォーマー』っぽくならなければいいが…

では,最後に…レイとレン,ややこしいわっ!

2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(3)

2019/12/1 Sun

潜るでぇ.

OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro

(2)はこちら ⇒ 2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(2)

00:30発GA682,ソロン行きの飛行機には結構な人数が乗り込んだ.日本人も多数.その中には同じ船に乗る人もいるはず.

今回は左側3列シート.通路側を無事確保.制限ギリギリの手荷物を持ち込む人が多いのか,Kazchariのバッグは自分の席よりかなり前方のボックスに収容された.何かそのうち大きさ規制がかかりそうで困る.

隣に座った年配の方,一見日本人.全く言葉を交さなかったので曖昧.服装がダイバーっぽくない.ダイコンもしていなかったような.ソロンでお仕事だろうか?と色々想像する(訊けばいいのに?).眠いのと風邪気味なのでコミュニケーションする気力・体力に欠けていた.同じクルーズ船に乗る人と後程判明.

ジャカルタ-ソロン間のフライトは4時間程.時差が解消されるので到着は6:35の予定.寝るのには中途半端.でも寝ないとキツイ.愛用のアイマスクと耳栓を装着.座席を目一杯倒し寝る態勢へ.さぁ,意識の深淵へダイブ...って眠れん.シート狭すぎ.昔から飛行機では眠れないのだ.意識の表層にプカプカ浮いたまま,結局朝食の用意音で起床.ほぼ徹夜.諦めよう.

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そうこうしている内に着陸.やって来ました秘境ラジャ・アンパットのベース基地ソロン.

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思えばニューギニア島には4度目(インドネシア2回,PNG2回)の上陸.何かと縁がある.1993年のワメナ高地トレッキング,2005年のマダン・ダイビング,2017年のワリンディ・ダイビングで訪れた.この地域はマラリアが心配.特にPNG側に行った際には,“強力”虫よけスプレーをたくさん準備していった.今回はあまり気にせず.ほぼ船上やし.

預け荷物も無事ゲット.このKazchari,けっこう海外旅行しているがロストバゲッジは一度も無い!って威張っても意味はない.
出口には今回お世話になる「Dive Dream Indonesia」のボードを持ったスタッフがいた.日本語ペラペラのガイドさん,Joryだった.

観光客でごった返す空港玄関にてしばし待機.
暑い.ムシムシする.そらそうだ,旭川+40℃なのである.身体が対応しきれていない.そのうち今回の乗船客12名がそろったため車に分乗して港に向かう.12名=満員.つまり,ラッキー・シングルルームは今回なさそう.同室,気の合う人やったらええなぁ...

と,眠い頭で物思いにふけっていると,車は街中へ.いやぁ,久々に帰ってきましたよ~我が愛する東南アジア.このごちゃごちゃ感.外国に来ている感がたまらん.やっぱり年に1度はこの喧噪を浴びないとな(車からやけど).

港にて荷物を小型ボートに載せ替えて,今回のクルーズ船,ハティク号へ.

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OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO

ウェルカムドリンクをいただきつつ,今後のスケジュールや船内注意事項などの説明を受ける.メンバーの方々,さすがに秘境ラジャにわざわざ来る猛者たちである.いかにも慣れてますよ感が漂う.ここラジャにも数回来られている方もいる.いいなぁ.

部屋に案内され出港.朝食,昼食と続き,カメラ機材のセッテイングをして,いよいよ1本目のチェックダイブである.

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以降,同チームとなるSさん,Hさん,Tさん,よろしくお願いします.

Dive260 Yum Slope (Macro)

潜水時間60min 深度20.4m
水温28℃ 透明度14m
ヨスジリュウキュウスズメダイ,イエローディップドダムゼル(準固有種),バタンタドティバック(固有種),クモウツボ,ゴールドスペックジョーフィッシュ,カニハゼ,ブルーフラッシャーラス,ジュウモンジサラサハゼ,コロールアネモネシュリンプ,ニセアカホシカクレエビ,ピクチャードラゴネット,グレイテールエンゼルフィッシュ(幼魚),テールスポットコールトゥースブレニー,etc

OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro

夕食後,オプションのナイト・ダイブにも参加.

Dive261 Yum Slope (Night Macro)

潜水時間46min 深度15.5m
モンハナシャコ,シマキンチャクフグ,クロハコフグ,イソギンチャククモエビ,フラワーコーラルファイルフィッシュ,オニハタタテダイ,ヨロイウオ,ウミウサギガイの仲間,イエローディップドダムゼル,フィッシュネットピプセロドリス,イワシの群れ

OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro

ダイビングに関しては実に1年3か月のブランク.体調が悪いせいもあるが,いまいち勘が取り戻せない.画に余裕がない.特にマクロ撮影はダイビングおよび写真テクニックの両方ともごまかしが効かない.慣れるまでしばらくかかりそう.

大丈夫,この旅は始まったばかり.(その4へ)

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(4)はこちら ⇒ 2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(4)

2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(2)

2019/11/30 Sat

完全なる移動日.

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(1)はこちら ⇒ 2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(1)

朝6時前に起床.さすがの我が体内時計,いつもと同じ6時間睡眠である.これからの長距離フライトに備えてシャワーを浴び洗髪をする.7時頃にチェックアウトし,第一ターミナルから国際線ターミナルにバス移動.

さすがに11:45発のジャカルタ行きカウンターはまだ開いておらず.みんな大好き1階のローソンで朝食.まるでブルベメシ.

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羽田空港のWifi環境はかなり良いので,Amaプラを観たり,kindleを読んだりで時間をつぶす.8時半頃ガルーダのカウンターを覗くとチェックインが始まっていた.
インドネシア国内乗り継ぎもガルーダなので,最終目的地のソロンまでクソ重いダイビングトランクともしばしお別れである.時々抜き打ちチェックがあって,ジャカルタで呼び出されることもあるらしいが基準は何だろう?

機内持ち込みはいつも2点.
1つは愛用の「ヒデオワカマツ ハイブリッドギアトロリー3」.使い勝手が非常に良い.トランクを預ける前はリュックとして,預けた後はコロコロキャリーとして使える.もちろん機内持ち込み可である.カメラ機材や交換バッテリで満杯なので見た目以上に重い.LCCなどで重量を量られるとヤバイ.

ヒデオワカマツ ハイブリッドギアトロリー3

もう一つは20×20cmのアルミケース.近所のホームセンターで買ったモノ.元々は工具入れだろう.ハウジング+OLYMPUS OM-D E-M1+8mm fisheyeがすっぽり.隙間にウエスやらダイコンを入れる.ただし搭乗前の荷物検査でよく開けられる.以前,メキシコで整備用の5mmレンチが見つかり取り上げられそうになった.これでどうやってハイジャックしろと?

希望のシート,つまりトイレ対策の通路側シートを無事ゲットできたので,ちゃっちゃっと出国審査.ほほぉ,これが噂の顔登録ってヤツな.スタンプがなくなって寂しい(希望すれば押してもらえる).

出国ゲートを抜けて次は両替.インドネシアのド田舎に行くので円からの現地両替は困難.カードも通信状態が悪いと使用不可.よって様々な支払いでキャッシュドルが必要らしい.

事前にレートの良いところを調べ,韓国系のSBJ銀行を利用.空港マップについているクーポンやらなんやらを使ってUS$450を手数料込み¥50000ちょいで入手(細かいレートは忘れた).現地出費を考えてこの額にしたのだが,これで適切でした.

ここでもゴールドカード発動でラウンジへ.コーヒーを入れて席につき荷物を点検していると...あれ? 飛行機のeチケットがない!?
どうやら先ほどのチェックイン時に返してもらえなかった.もしくはカウンターに置き忘れたようだ.最悪無くてもパスポートがあれば大丈夫とは思うが,帰りに面倒くさいことになりそう.休憩もそこそこにラウンジを出て,搭乗口に向かう.すでにスタッフもいた.Kazchariの名前確認後,にっこり笑って「これですね」と手渡される.まぁ,最終的にはここ(搭乗口)に来るわけですが,館内アナウンスもほしかった.ビビった.今思えば,この事件もKazchariに襲い来る数々の悲劇の序章に過ぎなかったのだった...

にしても,いつも思うのは空港ってのはホンマに巨大.遠近法の見本みたいな場所である.そして広大な空間の割に人が少ない.ある種のデストピア感さえ漂う.

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11:45,定刻通り出発.中央3列シートの通路側.隣はヒジャブを巻いた年配女性.その隣も友人の様なので,トイレなどでKazchariを起こすことはないでしょう.日中フライトなので熟睡はないけど.

しばらくすると昼食が出た.日本発らしく,煮シイタケやらそば.おやつにはスーパーカップ・アイス.Kindleで人の命がやたらに軽い『ヴィンランド・サガ』を1巻から読み直す.そう,連載が長い,単行本のスパンが長い,休載が多いと内容忘れてまうねん.まぁ,NHKで放送中のアニメの出来もやたらに良いので,こうして最新刊まで再読しているわけですよ.『進撃の巨人』といいNHKアニメのクオリティは凄まじい.ある種,国策なのか.

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風邪を少しでも回復させるため,もしくは悪化させないために出発時からずっと濡れマスクを着用している.保水シートも乾いたらトイレで湿らせる.あぁ早く治れ~

のどぬ~るぬれマスク 就寝用 無香料 3セット ×3個

Kindle読んだり,映画を観たり,ウトウトしたりで7時間ほどの時間つぶし.そうこうしている間に17:30ジャカルタ着.時差は2時間である.
少し前から日本人はvisa不要になったので,さくっと入国審査に並ぶ(というほど人おらず).珍しく「What are you doing here?」との質問.

国内線ターミナルへの道が非常に長かった.歩いた歩いた.先ほど羽田空港の巨大さに驚いたと書いたばかりだが,バンコクにせよ,シンガポールにせよ,ここジャカルタにせよ,その空港の巨大さは比べようもない.ジャカルタに至ってはまだまだ拡張工事中.国力というか,国の勢いを感じさせる.そうなのだ.20数年前,東南アジアやインドをバックパッカーしていた頃は日本(円)の強さや豊かさをあちこちで感じていたが,今は違う.明らかに日本は弱くなり,安くなっている.「ニッポンバンザイ・スゴイ」ばかりのTV番組はどうなのよ?

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ところどころにある消化器モチーフのイラストが楽しい.

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次のソロン行きの飛行機は深夜00:30発.
国内腺カウンター付近にわらわらとあるファストフード系の店で夕食にする.せっかくだからとローカルフードっぽい,これを注文.

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大外れ.ただのインスタントラーメン(カップヌードル系)でした.写真と全然ちゃうやんけ.これで47000ルピア!?(だいたい0を2つ取って¥470).空港とはいえ高すぎる.とても空腹感は満たされず,次は冒険せずに『YOSHINOYA』へ.これまたせっかくだからと(懲りてない)”おそらく”日本にないメニュー「チキンカラアゲドン マヨネーズ」(?)を注文.確か60000ルピアぐらい? 味はまぁ冷凍チキン.何よりも量が少ない.

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何か食べる毎に後悔しそうなので,無理をせず荷物審査を経て搭乗口へ.これまためちゃめちゃ歩いて移動.万歩計持ってきといたらよかった.あちこちにある給水機で水をゲットし,のどあめなめつつ飛行機を待つ.長いようで...長い時間.時折ベンチに横になるも寝るわけにはいかない.ギリギリで搭乗口の変更アナウンス.そちらに移動し,いよいよ東への大移動.ラジャ・アンパットはまだか.(その3へ)

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(3)はこちら ⇒ 2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(3)

2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(1)

2019/11/29 Fri

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さぁ,いよいよ年に一度の(嘘つき!)自分へのご褒美.海外一人旅である.

2019年の行先はインドネシアのラジャ・アンパット! 久々のダイビングクルーズにGo!
さすがに最初で最後かなぁ...と行く前から思ってしまう憧れつつも遥かな海.

とりあえず場所はここ.

2007年ナショナルジオグラフィック誌に「インドネシアに無数の生命が溢れる奇跡の海が広がる」と紹介され、現在世界で最も注目されるホットな場所の1つです。
この海がダイバーに知られる事になるのは、1990年にオランダから戦争遺物を探し訪れた冒険家がこの海に潜り、その素晴らしさからダイビングサービスを開設、1998年にオーストラリア在住の魚類学者ゲリー・アレンを案内した所、この海の特別性を理解したゲーリーアレンがCI(環境保護団体:Conservation International)に働きかけ、2001年に調査へ至り、この調査で970種の魚類と450種以上の造礁珊瑚が確認され、続く2006年行われた調査では1300種近くの魚類、600種の珊瑚(うち9種が世界初)、700種の軟体動物が確認された事よりナショナルジオグラック誌に紹介されるに至りました。現在もCIの調査は続き今だ新種生物が続々と発見される生物の宝庫と言われる場所です。

(出典:Dive Dream Indonesiaサイト)

ようするに珍しい生き物がわんさかいる場所である.

往路は旭川→羽田→ジャカルタ→ソロンの大移動.自宅からだとおおよそ36時間かかる.到着は明後日の朝なのに時差はない大回りルート.

ちなみに復路はソロン→ジャカルタ→デンパサール→成田→(バス)→羽田→旭川のさらなる寄り道ルート.復路のガルーダ羽田直行便欠航のせいである.

以前はジャカルタから,さらにマッカサル(個人的にはウジュンパンダンの方がなじむ)乗り換えが必要だったらしく,これでもマシになったそう.

出発までの数週間は体調がずっと良くなかった.熱は出ないものの,のどの痛みがひどい.22日の日曜日は一日爆睡.しばらく市販薬でごまかしていたが,出発日が近づき,ついに病院へ.幸いインフルではなく風邪.薬をたくさんもらった.風邪気味で潜ると耳抜きがしにくいので少々心配.

出発日になっても完調にはほど遠い.普段「鍛え方が足りん!筋トレしろ!」ばかり言っている人間がこの体たらく.プライドズタズタである.

金曜日の仕事は午前中で終わらせて,ちゃっちゃと帰宅.最終パッキングに取り掛かる.

ダイビング旅行でいつも気になるのが預け荷物の重量制限.直接国際線に乗る場合,器材分の重量をおまけしていることがある.今回利用のガルーダインドネシアもそう.通常20kg+ダイビング器材23kgまでOKなのである.問題は国内線.重量制限は20kg.最近とみに厳格化が進んでいる.
幸い今回は重器材レンタル無料サービス付きだっただめ,トランクの荷物を軽量化...のはずがやっぱり20kgちょい.プラス持ち込み荷物が10kgはある.これも全てカメラ機材(マイクロフォーサーズボディ2台,レンズ4本,コンデジ,GoPro,ハウジング,ストロボ,ライト,アーム,etc)のせいである.

ヨメさんに空港まで送ってもらい.JAL558,20:30発の羽田行きに搭乗.しばし雪景色ともお別れである.
毎回そうだが旭川-羽田(もしくは札幌-成田)はマイレージの特典航空券を使うことが多い.普段の生活でなんでもかんでもクレカ払いにしていると年間15000マイルは余裕で貯まる(Amazonめぇ).

おっと,その前に国際線拡張でできたフードコートで食事.なんだかんだで日本食が一番.

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さらに最近作ったゴールドカードで旭川空港のラウンジ大雪を利用.

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クリスマスが近いとやらで電飾付きの誘導車.夜の空港は美しい.

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旭川空港の就航率は99.5%,かつ“映える”空港としても知られている.フェンスギリギリまで近づける上に,この季節は雪山をバックに降下する飛行機が正面から撮れる.これ,都市にあったらバズーカおじさんたちが列を成してそう.

22:30頃,何のトラブルもなく羽田着.最初の目的地ジャカルタ便は深夜ではなく翌朝発.往路に空港ベンチで寝る気力はないので宿をとった(歳やなぁ).ターミナル内にあるファーストキャビン羽田である.

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ちょっと贅沢なカプセルホテル.これで¥5800なら文句はない.いえ,できれば髭剃りもアメニティに付けて下さい.
面白いのは,個人アラーム使用禁止.周りの客に配慮してスタッフが直接起こしてくれるそうな.一応7時半で依頼するが,さすがにそこまで寝ないと思う.

フェリーにありそうなタイプの大浴場に入って0:00前には就寝.寝るで寝るでぇ.

なんか,羽田までの話をここまで書く必要があるのかとも思うが,まぁ個人ブログは読み物ではなく記録なので良いでしょう.(その2へ)

2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(2)

Audax Japan Hokkaido開催2020年ブルベ雑感

2019/12/16 Mon

オダックス・ジャパン北海道(AJ-Hokkaido)の2020年開催ブルベ情報も出た.ランドヌール札幌に続いてこちらも雑感を.

① BRM426北海道200km新十津川(札幌市 札幌百合の会病院 6:00発)

AJ-Hokkaidoというか,北海道のシーズンイン・ブルベがこれ.コース的には北上して戻る.往路はロ~ング,ロ~ングの国道12号を北上.復路は国道275号か.今年からブルベ始める人,足慣らしには良いルートだと思います.

② BRM505北海道200km函館(北斗市運動公園 7:00発)

旭川から函館は遠い.向かったとしても,登別から始まる一車線高速は超苦手.以前,函館出張の際,70km制限区間を90kmで走っていて御用になる経験あり.そら,後ろから猛烈に走ってくる銀色の高級セダンを見たら(こっちは軽のハスラー),迷惑にならんように多少踏むやろう! どこをどうしたら危険だったのか教えてくれ.というわけでよほどのことがない限りパス.道の駅スタンプラリーでも道南方面はなかなか押せない...

③ BRM517北海道200km十勝(帯広の森運動公園 7:00発)

新十勝ではなく旧十勝だそう.北に向かうハードな幌鹿峠ルートではなく,南の平坦路に向かう優しいルート.中札内GF的風景が待っているのか.出発地点までの移動が少々大変だが参加は検討したい.今年は“ちょいグラ”はないのかな? 前回のが相当楽しそうだったので,2020年にも開催されるのならファットバイクでの参加を楽しみにしていたのだが.

④ BRM530北海道300kmトトロ(丘珠ふれあいセンター 7:00発)

2年連続の開催.今年は14時間3分で完走した.青山ダム付近で日没.墓地横の走行が怖かったなぁ.面白いルートではあるが今回はパスやね.

⑤ BRM613北海道400km地球岬(丘珠ふれあいセンター 8:00)

貴重な400kmブルベ.SR取得のためには避けられない難関400.山がちなコースで全般的にキツそう.海岸線を走るのは何時頃? 地球岬への坂って結構斜度なかったっけ? 定番コースなので出走するならブルベ民の過去ブログを参考にしたい.ランドヌール札幌の霧立とどちらかに参加.悩む.

⑥ BRM627北海道300kmナキウサギ(芽室町 国民宿舎新嵐山荘 6:00)

名称だけではどこを走るのかわからないルート.山ということは何となくわかる.AJH版のアタック三国峠かと思いきや,天辺で折り返して幌鹿超えだった.ヒルクライム練習のような設定やな.行って戻るがやたらに多いルート設定.secretでは超難問クイズが用意されているとか(想像).参加は十勝と天秤.

⑦ BRM711北海道600km宗谷岬(滝川ふれ愛の里 8:00発)

本州からの参加者が半分近いという全国的に大人気のブルベ.ランドヌール札幌の弁慶岬600よりも難易度が低い.もちろん天候に恵まれていたらの条件付きで. Kazchariは今年33時間27分で完走.豊富町の仮眠所には23時頃着いて,3時半頃出発したなぁ.それほど眠くもなく良いペースでした.トップの人は27時間ぐらいだっけ? 宗谷岬の記念写真で背景がまだ明るい.びっくりした.帰りの幌加内でどうしようもなく腹が減ったので,そばにしようとしたらどこも満席.仕方なくいつもの日帰りツーリング行く「ラーメン誠や」に.美味い.こってり過ぎてしばらく胃が重かったが...

600は何よりも,その非日常感がたまらん.また,「滝川ふれあいの里」は温泉,食事とも最高レベル.安いし美味い.夕方ゴールでゆっくり入浴と食事.ここにきてようやく襲ってきた睡魔に目をこすりながら旭川までの帰路に就く.おっと,帰りの12号線は事故多発地帯.要注意.まだ走っているランドヌールに心の中でエールを送りつつ...

地平線に向けまっすぐ伸びるオロロンラインで最北端を目指すのは,問答無用の男のロマン.SR獲得にかかせない600ブルベ.開催時期的に納沙布1200の練習にもちょうど良い感じ.(許されるなら)また出ます宣言!

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⑧ BRM724北海道200km北見(北見自然休養村センター 6:00発)
⑨ BRM725北海道300km北見(      〃        )

定番コース.睡眠がたっぷりとれる(と思われる)500kmブルベ.ルートは魅力的ではあるが参加は難しい.将来の楽しみに.

⑩ BRM813北海道1200km納沙布岬

言うまでもなく,2020年度最大の挑戦.日々のトレーニングはこのためにある.たとえスケジュール的にSRが難しくなっても,これだけは出たい.エントリー坂の結果も報告予定.

⑪ BRM906北海道200kmニセコ(JRニセコ駅前 7:00発)

これで200km?というぐらい中身の濃いコース設定.獲得標高が出てないけど,かなり登りません?これ.

⑫ BRM921北海道400km函館(公立はこだて未来大学 6:00発)

貴重な400kmではあるが,日程的に函館は...状況によってはSR獲得の最後の砦になるかも.

⑬ BRM1004北海道200km大夕張(札幌百合の会病院 7:00発)

ついこないだ走ったばかりのような気がする.そりゃそうだ.2ヶ月しか経っていない.シーズン最終ブルベ.シューパロ湖に至るコースは最高.でも今年はええかな.過去ログあり.

というわけで,ランドヌール札幌,AJ-北海道ともスケジュールが出そろいました.
出たいブルベをまとめると...

BRM502日高門別200km
BRM517北海道200km十勝
BRM606きのこの山300km
BRM613北海道400km地球岬
BRM627北海道300kmナキウサギ
BRM711北海道600km宗谷岬
BRM813北海道1200km納沙布岬
BRM829弁慶岬600km
BRM906北海道200kmニセコ
BRM926霧立400km

の計10本.全部は無理やな.100億%許可が下りない.1ヵ月に1本+SR対策に絞ると...

BRM502日高門別200km
BRM606きのこの山300km
BRM711北海道600km宗谷岬
BRM813北海道1200km納沙布岬
BRM926霧立400km

が現実的か.全て完走できればSR+1200km.これが勝利のカギだ!

なんといっても最大目標は納沙布! 何をおいても納沙布.無事完走を目指して今日もローラー,Zwift,冬ファット練にいそしむKazchariでした.

ファットくん購入2周年マチナカライド

2019/12/15 Sun

OLYMPUS TG-5

Mostly Cloudy, -4°C, Feels like -6°C, Humidity 82%, Wind 2m/s from N

先週は南の島でバカンスしていたため,久々の外ライド.
今週は暖かい日が続き水曜日あたりはアスファルト路面がむき出しだったのだが,ここ数日がっつり降雪した.

フリータイムをゲットしたのでお出かけ.ファットくんを購入して2年,さらに最近はヘッド付近からの異音が気になるなど,本格的冬チャリシーズン突入前の総点検をしてもらうため「吉田輪業」さんまで自走することにした.当初はサイクリングロード経由ルートを考えていたが,深雪のため10km/h程度しかスピードが出ない.トレーニングには良いがこのままでは疲労困憊して吉輪さんにはたどり着かない.

OLYMPUS TG-5
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仕方ないので旭川の街中を進む.買い物公園通り,日曜日なのに非常に人通りが少ない.大丈夫か?

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旭川名物(?)のなんちゃってロータリー(構造的に正式ではないらしい).苦手なのでクルマでもなるべく通りたくない.

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これまた名所の旭橋.戦車も通れる丈夫な橋.写真を撮っていると,向こうから歩いてきたおっちゃんがファットくんのタイヤに興味津々.触りまくっていた.

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新雪に隠れたその下は凍結地面.つまり非常に滑りやすい状況.そのせいか車があちこちで事故ってた.まだ除雪による歩道の狭小化は進んでいない.非常に走りやすい.
13kmほど走って吉輪さん着.
「ヘッド周辺で異音がするんですけど...」と伝えるが,「そりゃわからん.音だけで自転車の異常を判断するのは無理」
ごもっとも.
色々チェックしてもらうと,やはりヘッドシャフトが緩んでいたようで,フロントフォークに上下のがたつきがあった.コラム1枚追加で無事調整完了(¥259).原因がわかってめでたしめでたし.

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さぁ,これで年末ロング(行くのか?)もしくはアイスブルベ100km(エントリー済)の準備もできた.

往路とは違う道で戻る.懲りずに再びサイクリングロードへ.「旭川冬まつり」の会場付近はトラックの出入りがあるのか,圧雪されており,非常に走りやすかった.

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どこまで行けるかと駅方面へ走りだす.ジョギングか散歩のトラックがある間はなんとか進めたが,とうとう新雪ゾーンに突入.進めないことはないけど…進めないことは…進めな…ぐおーっ!

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というわけで挫折.途中の土手からファットくんを押し上げて歩道走行復活.いい加減腹も減ってきたので,以前より気になっていた「小樽なると屋」へ.ザンギ定食を食す.

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えー,味の方は…個人的には道の駅あさひかわのフードコートにある「ごはん処あさひ屋」の甘辛からあげ定食の勝ちかな.
図書館で予約本を借りた後,無事帰宅.夏のロードに比べるとどうしても距離が稼げないが,たとえマチナカライドであっても充実感,疲労感は十分十分.今回も楽しい冬ライドでした.

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旅の回顧録~1993年のカンボジア(完)


 
ベトナムの旅が始まる.

1993/4/5 Mon(続き)

時間経過とともに,気持ちはだいぶ落ち着いてきた.
大前田(T)さんもサイゴンに来るのは間違いない.それにサイゴンの有名カフェ「KIM-cafe」を訪れるのも確かだ.そこで待っていれば,いつか会えるだろうと結論.問題は彼のバカでかい荷物をどうやってホテルまで運ぶかである.

と,後ろの方の座席にバックパッカーっぽい白人さん達が座ってるじゃあーりませんか!
イギリス人とオーストラリア人であった.事情を話すと荷物の運搬を手伝ってくれるとのこと.彼らも安宿の集まるFang Lao通りに行くらしい.

バスは田舎道を爆走して徐々にサイゴン中心部に近づく.人の数,バイクの数が増えた.それにうわさのアオザイ姿の女性をちらほら見かけるようになった.

サイゴン(ホーチミン・シティ)着.
バス停で降りると,さきほどの白人が「こっちだ」とスタスタ歩きだす.大前田(T)氏のバックパックを背負ってもらった.

Fang Lao通り着.目をつけていた安宿「Hoang tu HOTEL」7階のツイン,US$7の部屋をとる.白人さんありがとね.

部屋に荷物を置いてさっそく街を散策…というか大前田(T)氏の捜索である.
とりあえず「ベトコン・バンク」という冗談みたいな名前の銀行で,T/CのUS$50を
ベトナム・ドンに換える。本日US$1=10530ドンであった.けっこうな札束になる.

にしても,わかりにくい街である.ロンプラの地図を見ても,どこにいるのかさっぱりわからん.まぁ確かにKazchariはパッカーの割には自他ともに認める方向音痴ではある.全体的な雰囲気はプノンペンと似ているような…と思いきや,明らかに違うのがあのアオザイ! とりわけ女子高生着用の上下白のアオザイ! 

脇の下まで入ったスリット! 透ける下着! 本当にHな服である.ほとんど犯罪やね,あれは.それにベトナムねーちゃんのかわいいこと! 言っちゃなんだが,カンボジアのねーちゃんは言うに及ばず,これ見よがしのタイのねーちゃんよりもはるかにかわいくて,かつ色っぽい.そういやプノンペンで会った日本人が,朝の通学風景はまるで妖精が飛んでるようだ…なんて言ってたなぁ.そりゃアメリカ兵負けるわ.戦争どころじゃないで.まぁ何にせよ,長期旅行者には目の保養…いや毒である.

Fang Lao通りに戻り,オープンテラスのカフェで「cafe・da」つまりアイスコーヒーを飲む.1800ドン.聞いてた相場よりやや高い(と言ってもコーヒー1杯18円というのは驚異).

リクライニングなイスにふんぞり返って,ボーっと通りを眺めていたら,なんと先々月ラオスのヴィエンチャンで一緒に薬草サウナに行ったKさんが,シクロに乗って目の前を走っているじゃあーりませんか!

あわてて追いかけたら,なんと泊まってるホテルも同じであった.バックパッカー同士はひかれあうのだ.いろいろとその後の話をしたが,相変わらず“はっぱ”好きの人であった.夜,食事をする約束をして,いったん部屋に戻る.

シャワーを浴びて,ベランダから通りを眺めていると,今度はなんと、大前田(T)さんが歩いているじゃあーりませんか!

「大前田さーん!」とベランダから大声で叫び,階段を駆け下りる.玄関を出る.大前田(T)さんが笑いながら立っている.飛びつかんばかりにかけよる二人.少々気持ち悪いが,通りの真ん中で抱き合う二人(男同士です).

「イミグレの馬鹿がさぁ,俺のビザじゃここから入国できないって言うんだよ.でさぁ,お前じゃ話にならんから,もっと上の位のヤツを呼んでこいって怒鳴ったら,なんか裏の建物に連れていかれてさぁ~まいったよ.まぁ,25ドルで話はついたけどねぇ」

「いやぁ,アオザイいいねぇ.オミヤゲに買ってかえろうかな.でさ,女に着せるわけ.もちろん下着は黒!」

全くタフな人である.
さて,ベトナムの旅が始まった.

この国はKazchariに何を見せてくれるのだろうか.

【旅の回顧録~1993年のカンボジア】(完)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(24)

カンボジアの旅が終わる.

1993/4/5 Mon

現在,サイゴン「Hoang tu HOTEL」にてこの日記を書いている.
いやぁ,今日もやってくれましたね大前田(本名T)さん…

朝からの出来事を順を追って書いていく.

AM4:30,起床
宿を出る.頭痛はするわ,カラダはダルいわで,シムリアプでの熱40度時の症状に似
ているのが怖い.

AM5:30,プノンペン市内のサイゴン行きバス停着.近くの店で水を買ってリエル札を全て消費.

AM6:00,定刻より早く発車.
運転手のすぐ隣のデスシートに座る.国道1号と言えど,やはりカンボジアン・ロード.かなり揺れた.
「ほんの数年前には,この脇のジャングルにゲリラが潜んでいて,そして正面からはベトナムの戦車がドーッとやって来てんなぁ…」と感慨にふける.
フェリーの渡し着.降車するとチェンマネ・オヤジがワラワラと湧いてくる.US$1=8000ベトナム・ドンなんてふざけるにもほどがあるレート.当然無視.

AM11:30,国境着.
何にもない荒れ地にゲートが2つ立っている.これまで何度か国境を越えてきたが,空港インより,陸路ルートはやっぱり好きです.密入国するわけではないが,何となく危険な雰囲気が…平和ボケしてます.
カンボジア側のゲートはアンコール・ワットを模した茶色.ここはもちろんフリーパスで出国.

少し歩いてベトナム側へ.V字に角張った灰色のゲート.いかにも“共産圏”って感じやね.それっぽい無愛想な係官の手続きをすませ入国.わいろ要求もなく健全健全.すぐにバスが出るわけではないので,しばらく国境ゾーンを行ったり来たりしてうろうろする.
何もとがめられない.いいかげんなもんだ…と,これは外国人,それも日本人だからだろう.カンボジア人のベトナム入国チェックは非常に厳しいようだ.

Kazchariの入国手続き中,バスの運ちゃんが20冊近いカンボジアン・パスポートをドサッとカウンターに置く.なぜか一番上にはUS$20札がはさんであったが,それはすぐに係員のポケットに消えた.

バスのチェックがこれまたスゴイ.はがすわはがすわ,天井,イス,荷棚,床下,車両下,ボンネットを開けてエンジンルームまで全部チェック.すると出てくる出てくる,ラジカセ,時計,食料品,衣料品…おそらく密輸品であろう.バスの内外で官憲とカンボジア人があちこちで口論しているが,ベトナム人に少々押され気味である.

国境にもUNTACの出張所があった.ここで非常にめずらしいものを見てしまった.インド兵のシーク教徒がターバンをとって髪をとかしている姿.すんげ.これはなかなか見れませんよ.

で,近くの食堂でベトナム料理,卵と豚肉のぶっかけメシを食う.これはうまい.肉のうま味がなんとも言えん.US$1だして 5000ドンのお釣り.わずか50円ほどでこの味とボリューム.うーむ.これからが楽しみだ.

PM1:00,バスの出発予定時刻
バスに乗り込むと,荷物はあるものの大前田(T)さんの姿が見えない.トイレや先ほどの食堂に探しに行くがいない.

とうとうバスが動き出した.あわてて飛び乗るがやはりTさんがいない.止めようにも英語が通じそうにないし,そもそも行方不明では説明がつかない.こんな国境近くでバスを引き留めておくのも悪いし,まぁあの人のことやから,この先の市場にでも行っていて,道路で手を挙げて乗り込むつもりかもしれん…と,希望的観測をたててみたが…やはりいない.

サイゴンに向けてバスは進む.この巨大なTさんの荷物,どうすんの?(続く)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(23)

今日も今日とて「Capitol」通い.何もすることがない贅沢な時間.

1993/4/4 Sun

人物点描.

M夫婦.
本業はクリーニング屋さんらしい.冗談だと思っていたが,本当に新婚旅行中.ダンナはアジア旅行慣れしているが,嫁さんはヨーロッパ・韓国のパックツアー経験しかなかったらしい.それでいきなりカンボジアとは…嫁さん,結構憔悴しきった顔をしているわけである.次はベトナムに行くとのこと.向こうで再開する可能性あり.

Iさん.
たぶん悪い人ではないのだが,話の中に30秒に1度は“オンナ”という単語が出てくるのはほとんど芸術.驚嘆した.

Fさん.
昨日バタンバンから列車で戻ってきた.
途中でポルポト派が線路をトラックで封鎖してたそうな.幸いなことにゲリラそのものは現れなかったらしいが,カンボジア旅行中の外国人は危ないのだ.誘拐され政治的かけひきの材料にされるか,もしくは殺されるという話もある.
ところでこの人,実は『歩き方』のタイ編やバンコク編を書いてるFさんその人だったことが判明.今回は取材ではなくプライベートだそうだけどベトナムのニャチャンが最高だったと,アオザイ姿の女学生の写真を見せながら言う.ふむ.

Kさん.
ジャーナリスト肌の人.やたらと政治や経済に関する話をふってくる.戦後,日本は天皇制が残されていたから発展したとか,日本の農業はどうなってもかまわない,カネさえあれば全て外国から輸入できるとかやたらに保守な意見言う人…と思いきや,なぜか反原発志向だったり,アイヌ問題に詳しかったりと,右か左か(最近ではこんな区分馬鹿馬鹿しくなってきたが)よくわからん人であった.

長期旅行者はなぜかよくしゃべる評論家タイプと,寡黙な哲学者タイプに分かれるような気がする.

大前田氏改めT氏.またも夕食の支払い時,店員ともめる.今回も外国人料金の請求が原因.多少は良いんでないの?

Kazchariはカンボジア滞在の実質的な最終日を,これらの人と過ごした.明日の今頃はサイゴンである.今,ノドが少し痛い.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(22)

自家発電のやかましさにはいい加減慣れたと思ってたのになぁ…いや,ひょっとしたら,今日タケオに行くと決めたので興奮してたのかもしれんなぁ…Kazchariは神経質やからなぁ…あーあ,眠れへんまま5時半になってしもた.

1993/4/3 Sat

「Capitol」で5ドル払ってカブを借りる.最初は大前田氏が運転.その後は1時間ごとに交代で運転することにした.

時折クメール人に地図を指さして道を尋ねるが,シャイなのか,やっかい払いしたいのか,どうも適当に教えてるフシがある.

で,そこそこ大ウソつかれながらも,なんとかタケオへの道,国道2号線を爆走する.ホンマに自衛隊が直したんかいな?と疑いたくなるヒドイ道.半分ぐらいはボコボコのダートであった.

たかだか80kmちょっとの道程を3時間かけて10時ごろタケオ着.入り口には「PKO~JAPAN」とかいう看板が立っていた.

タケオの町は小さい.
酒屋には「どうぞお気軽にお入り下さい」なんて日本語の看板があって笑えた.

駐屯地は広い.
戦車や装甲車はなく,大量のランクルやらトラックがズラーッと並んでいる.UNカラーの白が美しく,まるで新車の展示場のごとし.

入口ゲートでパスポートチェックを受ける.手持ちの服で一番マシなジーパンをはいていたが,胡散臭く見られるのは仕方あるまい.「個人での訪問はめずらしくてね」とかなんとか言われつつ身元照会.

この時,大前田氏のパスポートには別の名前が書かれていたことが判明.理由をしつこく尋ねたがはぐらかされてしまった.怪しい.今後の旅行中に追求せねば.

施設大隊本部内は冷房がきいていた.新聞記者らしき人たちがたくさんいる.
Visiterカードの記入を求められたので「○○大学学生」と大ウソ(母校なのは本当だが)を書く.正直に「無職」と書くのは不味かろう.

広島部隊所属の広報官の方が施設内を案内してくれた.

浴室(湯船あり!),PX(日本円OK),図書室,スーファミ,ビデオ部屋,それに隊員宿舎を見学させてもらう.宿舎テーブルに置いてあったカップヌードルやらふりかけが泣かせる.写真も自由にOKとのことでバチバチ撮る.

PXや自動販売機は調整中で利用できなかった.せっかく100円玉持ってきたんやけどなぁ…ジュース60円,ビール140円やって.と,色々考えているうちに見学終了.迷惑そうなそうでなかったような...

自衛隊PKOの是非なんて全く考えなかった.「現実」の中に取り込まれて何も考えられなくなった.Kazcahriの性格ってそんなもの.

駐屯地を出,タケオ市街の食堂で昼食.
お店のおねーさん曰く「ジェータイ」の人もよく来るとのこと.

食事後,店の前でカブにまたがる.アクセルふかしすぎて思わずウィリー! 町の人たちが大勢驚いた目でこっちを見る.大前田氏改めT氏,「ダメだよ~この辺,刺激ないんだからさぁ,驚かせちゃ」.まぁ納得.

帰りは3号線でプノンペンに戻る.こちらの方が道が良い.
宿に戻って休憩後,T氏からよせばいいのに広瀬隆『危険な話』を借りて読む.疲労に加え,考え事を詰め込まれ過ぎである.頭が飽和した.(その23へ)