モチベーションの維持

2020/9/08 Tue

モチベーションの維持に目的は必要か.

昨日はツールも休息日
当然,放送もないので,恒例になっているレースレビューもお休み.
昔はJSPORTSで「休息日TV」なんてのもあったな.

今朝,NHKを見ていると,「(ある女子大生が)資格習得のために必須だったTOEICが,新コロのせいで中止になっている⇒モチベーションが下がった」といった内容のニュースが流れていた.

それを聞いて少し違和感.
この女性は何を目的にしているのだろう?
その資格を取りたいのはわかるとして,その先は?
意欲が低下した原因を外に求めていないか?

ここで思い出したのが,先日の『TDF第9ステージ』放送中飯島アニキ畑中勇介選手のエピソード紹介.
「今年は国内レースが軒並み中止になり,目標が消えた,モチベーションが上がらない」という畑中選手に対し,アニキが送った言葉が秀逸.

「レースに勝つことを目的にするな.強くなることを目的にしろ」

この言葉が心にストンと落ちたそうだ.
もちろん,アマチュアとプロではレースにかける意気込みが違うので一概には言えないとアニキも放送中フォローしていたが,モチベーション維持の極意を表していると思う.

自分の意志だけではどうにもならない対象の取得や,何かの達成を目的にすると,新コロのような不測の事態に陥った場合にからきし弱い.
目的の喪失感から何もできなってしまうことが起こりうる.
さらに言うなら,新コロは全人類に平等に降りかかった不運.
それを嘆くよりも,唯一コントロールできる自分自身を変える方向にシフトする方が良い.
ここで踏ん張れれば次の機会で勝てる可能性が上がる.

やはり心理学の大鉄則である「過去と他人は変えられない」,言い換えれば「未来と自分だけは変えられる」という真理が生きてくる.
そして,自分が変われば未来も変わり,過去と他人への“認識”も変わる.

自己啓発本などで話題の「WOOP理論」にしても,「W=wish」なので目標設定から始まっている.

【WOOPの法則とは?】精神論はもう古い?現実的な目標達成を目指せ

確かに目的や目標がはっきりしていれば,モチベーションの維持に有効だろう.
しかし,必須ではないのかもしれない.

つまり,目的の設定は目標(スモールステップ)を経由するにしても,その先,つまり自らの幸福を見据えたものでなければならないし,最終的には一周回って自己完結,つまり「したいからする」「楽しいから続ける」に帰結するのではないだろうか.
先のニュースの女性や,アニキの言葉を聞く前の畑中選手の目標設定は近視眼だったと言える.

...とここまで書いてたら,ホリエモンも同じ様なこと(目的設定不要論)を言っている記事を見つけた.

堀江貴文氏「人生に目的なんて一切いらない」

関連著書もkindleで安い(2020/9/8現在).

多動力 (幻冬舎文庫) Kindle版

別に彼のファンというわけではないが.
自己肯定感が強いという点では共通点があるかも.
まぁ,あちらは壁の中にいたとは言え社会的・経済的成功者だが.

話はガラっと変わるが,今日,社内健康診断の結果が戻ってきた.
オール・ブルー(超健康体)...のはずが一項目だけイエロー(日常生活に注意を要し,経過の観察を必要とします)だった...

その項目は...HDL,いわゆる善玉コレステロールが多すぎるらしいのだ.
男性標準値40~80に対して「89」
かつては長寿症候群だとかなんとか言われていたが,最近の研究ではそうでもないらしい.

善玉コレステロールが多けりゃ体にいいってわけでもない問題

善玉を減らす?
オール・ブルーを目的とするKazchariとしてはどうすれば?
チャリ練を控える? だが断る.

2025大阪・関西万博のロゴマークッ!

2020/8/26 Wed

天才の所業か?

いやぁ,朝のニュースで久々に笑わせてもらいました.
もう,あちこちでさんざん話題になっていますが,『2025大阪・関西万博』のロゴマークですよ.

第一印象は「なんじゃこりゃぁ!」「何かの冗談?」もしくは「誰かのごり押しか!?」と思い,そのキモワルさに否定的だったが,よくよく見れば非常に味のある...いやインパクト抜群のデザイン.

ネットは大騒ぎで,早くも様々な大喜利,パロディ作が生まれている.
「R-TYPE」だとか「腸」だとか「目玉を全部つぶさないと倒せない中ボス」だとか「コ…コロシテ」だとか,色々言われていますが,kazchari的には「寄生獣」かな.

なぜか,一般ニュースに続くヤフコメ民の間では否定派が多い.
噂では40代の保守派が多数層らしいので,固い思考で無難なモノを選びがちなのかな.

いずれにせよ,「注目を浴びさせる」というのがロゴマークの最大目的だとしたら,大成功だろう.
それは最終候補に残った他の4つと比べても明確.

正直,他のは「普通」で「ありがち」
幻の…おっと延期された東京五輪2020のロゴはよくできていると思うが,それだけ.
つまりは話題にならない,遊べない.

それにしてもよくこんなのが選ばれたものだ.

そこで思い出したのが最近読んだこの本.

美術展の不都合な真実 (新潮新書)

この本に日本の「画壇」についての話がでてくる.

「日展のような美術団体は,いわゆる公募展によって成り立っており,出品料を払えば誰でも応募できる.(中略)理事クラスの重鎮たちが,自分の教え子を入選させる枠を話し合って割り振っていた(中略).それが工芸や洋画分野でも広がっている(中略).理事や審査員たちがそれぞれ教え子を持ち,いわば政治家のように派閥を作っている(中略)」

このような既得権益を守ろうとする固着化した組織からは,新しい人,新しい発想が表に出て来ない(一番ひどいのは国会だが).

今回のロゴマークは,少なくともこうした「画壇」からは生まれてこなかっただろう.

ここでもう一人思い出すのが,天才デザイナー永野護である.
言うまでもなく「モーターヘッド(MH)」から「ゴチックメード(GTM)」へのデザインおよび名称変更事件だ.
未だにGTMには慣れない.
どう見てもMHの方がカッコよい.
それは商業展開にも現れていて,GTMへの変更後結構な年月が経つのに,ガレキをはじめとするプロダクツは圧倒的に少ない.
売れないからだろう.

しかし,永野護は設定変更前に発表した『ファイブスター物語』12巻にて,登場人物にこんなセリフを言わせている.

ファイブスター物語 (12) (ニュータイプ100%コミックス)

まず状況説明.
星団最強ファティマ(人型コンピュータ)ヒュートランの自己鍛錬プログラム.それは「最弱の騎士(操縦者)をパートナーに強い騎士と戦う」ということ.騎士は弱ければ弱いほどよい.当然戦闘は苦戦する.その状況に喜びを覚えるという変態ファティマとして描写される.

それを「星団最強の意味が全くない」と断ずる桜子(メカニック).
それに対しログナー(むっちゃ強い騎士)は,

「では聞くが 貴様 自分の最高傑作にそれができるか? それができる者こそ超一流と呼ばれるのだ! なぜだ? それは最高作が生まれた瞬間に”次”が見えるからだ!」

と論破する(ワケわからん人すまん).

最高の評価を得,以降のメカニックデザインに多大な影響を与えた傑作を捨てる.その決意をキャラに先行して言わせててんなぁ...
とは言え,Kazchariは凡人なのでMHの方が好きです.

要するに新しい発想は大事ということ.それが社会を推進させる.
うがった見方をするなら,今回の新コロ騒ぎで,これまでの方法が通じず,新しいことを色々な人がやり始めた.
例えばZoomをはじめとする遠隔会議などの普及も一気に進んだ.
この2025万博デザインが選ばれたのも,ありがちで無難なものを避け,「新しい生活」「新しい時代」にあわせた起爆剤として考えた人,もしくはベクトルが働いたからかもしれんなぁ...

と,元のニュース記事を改めて読んでみると,選考メンバーに...荒木飛呂彦がいるぅ!

大阪万博ロゴマークに“キモい”“どうしてこうなった”の声も公式「受け入れて~」

そら,波紋使いもしくは吸血鬼の言うことはみんな聞くわな(妄想).

飲茶『正義の教室』が面白い

2020/8/8 Sat

正義とは何か? えっ?

正義の教室 善く生きるための哲学入門 (日本語) 単行本(ソフトカバー)

飲茶さんの『正義の教室』が実に面白かった.
近未来(?),とある高校の生徒会室と「倫理」の教室がメイン舞台.
主人公は頼りない生徒会長(男).
それを取り巻く三人の女生徒.
この三人は正義の三基準,つまり「平等」「自由」「宗教」を具現化するキャラ付け.
ラノベ調のストーリー仕立てで展開されるため,純粋に哲学や倫理の解説本として読みたい人には不向きだが,ラストが…なので,この方式がベスト.

さて,Kazchariなりに内容や理解をまとめると…(以下ネタバレ注意)

「正義」の基準は3つある.
1)平等の正義:功利主義.最大多数の最大幸福.ベンサム.快楽計算
2)自由の正義:自由主義.弱い自由主義と強い自由主義.愚行権.
3)宗教の正義:直感主義.枠の外側.イデア論.ソクラテスとニーチェ

【平等の正義】

最大多数の最大幸福
物事の正しさを功利によって決める
幸福→「快楽が増加,または苦痛が減少」
不幸→「快楽が減少,または苦痛が増加」

(平等の正義の問題点)
-幸福度を客観的に計算できるのか?
-身体的な快楽が,本当に幸福だと言えるのか?
-功利主義は強権的になりがち(全体の幸せを重視→個人に強制すること)

【自由の正義】

弱い自由主義者→ 自由に生きることが人間の幸福であり,社会は個人の自由を尊重しなくてはならない

強い自由主義者→ 自由を守ることは,結果にかかわらず,正義であり,自由を奪うことは,結果にかかわらず,悪である.

『自由にやれ.ただし,他人の自由を侵害しないかぎりにおいて』(個人の権利を重視→個人に強制しない)

-有能・無害な人間→ 自由にさせても誰の自由も奪わない(ゆえに自由を保証)
-有害な人間→ 自由にさせると『他人』の自由を奪う(ゆえに自由を制限)
-無能な人間→ 自由にさせると『自分』の自由を奪う(自己責任として自由を保証する?しない?)

(自由の正義の問題点)
-「バカな人間は死ねばいい」で良いのか?
-富の再分配の停止による格差の拡大,弱者の排除
-自己責任,個人主義の横行によるモラルの低下
-当人同士の合意による非道徳行為の増加

【宗教の正義】

宗教的である→ 物質または理性を越えたところにある何かを信じていること
枠の中:宇宙(物質の世界)/理性(言葉の世界)
枠の外:善/正義

以下の点において人類は2500年間論争してきた.

相対主義:物事の価値は他との関係性によって決まるのだから,絶対的なものはない.
絶対主義:「絶対的に正しい」「絶対的に善い」といったものが,この世には存在する.

原子論:世界は物質の集まりでできていて,それ以上でもなければそれ以下でもない.
イデア論:善や正義などの概念は,物質を越えた世界に本当に存在している.

唯名論:名前はただ名前
実在論:人間という概念は,ただの名前ではなく,”どこかに”実在している.

経験主義:人間が思い浮かべられる概念はすべて経験から作られたものであって,それ以上でもそれ以下でもない
合理主義:合理的に理性を働かせれば,人間は絶対的な正しさに到達できる.
本来,知りえないものをなぜか人間は知っている.それはおかしい.だから理屈を超えた何かが存在しないと説明がつかない.

※前者が枠の「中」,後者が枠の「外」

ニーチェが死んだといった『神』.それは『真理』『善』『正義』など枠の外側にある,超越的な存在のこと

(宗教の正義の問題点)
理想を頑なに求めるあまり,現実の存在を蔑ろにする

【構造主義とポスト構造主義】
『人間は何らかの社会構造に支配されており,決して自由に物事を判断しているわけではない』
『人間は自分の意志で行動しているように見えて,実は,周囲の環境や役割や立場によって,無意識にその考えや行動が決定づけられている』

構造主義の希望⇒『自分たちが生きている社会の構造をきちんと把握しよう.そして,その構造上の欠陥を見つけ出し,それを修復してもっと豊かで幸せな未来を作り出そう』

ポスト構造主義の反論⇒『そんなことは不可能だ!人間は自分の意志で構造を作り変えることなど絶対にできない!なぜなら,その作り変えようとする意志自体が,とらわれている構造から生み出されたものにすぎず,元の構造を越えたものを作り出すことなんてできないからだ!』

刑務所は,誰かを悪人すなわち『社会的に異常な人間』として断定し,その生活を監視して『正常な人間』に矯正する装置である.
その究極形態が「パノプティコン」.すなわち「見られているかもしれない」という意識を持ち続けさせること.

我々は昔に比べ,道徳的になったのか?
もし,なっていたとすれば,その理由として『市民の誰もが監視カメラと盗聴器をポケットに忍ばせ,しかもその情報をいつでも公の場に発信できる時代になったから』と考えられる.

もはや人間が『人間にとって正しい社会』を作っているのではない.社会が『社会にとって正しい人間』を作っている.

以上の思考展開後,作者の飲茶さんはこう締める.

-人間は「正義」を直感なんてできない
-人間に完全な「正義」がわかるわけがない
-「正義」は答えを出してはいけない
-事前に「正義」を決めつけることはやってはいけない

よって,
『万人に見られていなかったとしても,もしくは見られていたとしても,それに関わりなく自分がやるべきだと思ったことが,自分にとっての善いことである』

頭の中でごちゃごちゃになっていた用語やその成り立ちや意味が,この本によって整理できた.
Kazchari自身は,若いころ(20代)は「直観主義者」だったけど,その後「強い自由主義者」となり,今では「功利主義者」かな.
そう,年代とともに「正義」は変わってしまうのだ.納得.

おまけに,またまたシンクロニシティ発生!
文中に「歴史を学ぶ意義」に言及する箇所があり,そこで引用されるのが,「時は移り,所は変われど,人類の営みに何ら変わることはない」という現在ドはまり中の『銀河英雄伝説』冒頭の言葉が出てくるのだ.そう,このアニメにも「正義」に関する考察が何度も出てくる.

久々に知的好奇心を刺激されるワクワク本.超オススメです.
ラストに大仕掛けがあるので,色々な意味で要注意.
メタだ.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(17)

1993/3/29 Mon

コンポンソムはかつて,シアヌークビルと呼ばれていた.

人に対して何か良いことをすると,それを神様が毎回チェックしていて,その分だけ楽しい人生を与えてくれる…心のどこかではそうであることを望んでいる.これが自分の道徳観,倫理観の正体.単純単純.

周期的に訪れる鼻炎のおかげでくしゃみが止まらない.時期的に花粉症なのだろうか?

その様な状況ではあるが,コンポンソムに来た本来の目的である「ピーチで泳ぐ」をようやく完遂することができた.

宿を出て海を目指す.しばらく荒涼とした大地をさまよう.まるでヨーロッパの芸術映画のごとき風景が広がる.刑務所風建物の壁沿いを通過し,たどり着いたビーチは遠浅の美しい白浜であった.
ホテルらしき建物もあるが,我々以外に人影はない.全くない.

持参した競泳用ゴーグルをつけて潜る.魚はほとんどおらず,シュノーケリングには不向きであったが,久々の海水浴に満足.シャワー生活が続いた後の湯船みたいなものである.曇天の下,静かな波間をふわふわと漂う.
“リゾート”というわけにはいかなかったが,なんとなく哲学している空間だった.

3時間ほどビーチで過ごした後,市場へ.途中,駐車場付きのバンガローが立ち並ぶ通りに出る.そのいくつかにUNTACのランドクルーザーが停車していた.ネオン付きのけばけばしい看板には「大香港旅社」と描かれていた.用途はおおよそ想像がつく.

市場の食堂のテーブルは真っ黒だった.そう,ハエテーブルと化していた.カンボジアにはハエが非常に多い.慣れというのは恐ろしいもので,その様な場所でも食事が平気になった.適当に選んだおかずをのせたぶっかけメシを食う.

宿に戻ってテラスで読書.たまたま読んでいるのが『ガリバー旅行記』.馬人国,フウイヌム編が実におもしろい.全ての人間は唾棄すべき畜生,ヤフーなのだ.昨日読んだ巨人国の食事場面を思い出した.先ほどのハエテーブルと重ね合わせると…ウッぷ.(その18へ)