あぁ異国の地よ~過ぎ去りし日々

2023/9/7 Thu

全てが愛おしい

先日,Yahooニュースで面白い記事を読んだ.

いま空港でトラブル続出…日本人の若者の7割がじつは知らない?「パスポートの落とし穴」

この記事の若者(?)を笑えない.
新しいことに関しては誰もが初心者,失敗して成長するのだ.

むしろ,代理店に頼まず自分でやろうと思ったことを評価したい.
その考え方だけで既にチャレンジング.素晴らしい.

新コロ禍が(ほぼ)明け.今夏から海外旅行に出かける人が増えているようだ.
ただし円安が猛威を振るっている.

PBP参戦などの記事を読むと,燃料サーチャージはもとより,現地での飲食代,日用品の値段がえげつない.
赤コーラが¥500とか...

Kazchariが最後に海外(インドネシア)に出かけたのは2019年12月.

2019年のラジャ・アンパットダイビングクルーズ(1)

当時ですら,円の価値は既に怪しかった...

本当に時代は様変わった.
海外旅行って,もっと気軽に行けていた気がする.
では,そんなKazchariは,これまでどこを旅してきたか.

Kazchariが人生初の海外旅行に出かけたのは1989年である.
大学の卒業一人旅.行き先はケニア,インド,ネパールだった.

なぜこのように変則的なのかと言うと,当初は西アフリカのトーゴが目的地(フォスターペアレントの寄付先)だったからだ.
旅行代理店に相談したところ,「旅行初心者に西アフリカは難易度MAX」と諭され,代わりにメジャーな観光地であるケニアを薦められて変更した経緯がある.
今のスキルがあれば,ケニアからトーゴに飛べただろうが,当時はレベル1の雑魚.素直に断念した.

その際,利用した航空会社はエア・インディア.
往路,復路ともムンバイ(旧ボンベイ)でのトランジットが可能だった.

それで,インド(とネパール)を旅することになったのだが...いやもう,噂に違わぬカオスっぷり.それまでの全ての価値観がぶっ壊れた22歳の春だった.

その後,会社勤めをしたが,仕事のあまりのつまらなさに3年も経たずに退職.
大企業だったため,いわゆるブラックではなかったけど.
ひたすら自由が欲しかった.山の向こう,海の向こうの景色が見たかったのだ.

向かったのは盗難...おっと東南アジア.
タイ(バンコク)を皮切りにラオス,カンボジア,ヴェトナム,マレーシア,シンガポール,インドネシアを10ヶ月ほどバックパッカー.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(1)

旅の回顧録~1993年のヴェトナム(1)

戻ったタイにて睡眠薬強盗の被害に遭い,パスポートと有り金を全部ヤラれたので旅は強制終了.
そんな26歳,無職の秋.

猛勉強(?)の末,専門学校に合格.
入学前に旅館住み込みバイトで軍資金をため,再びタイの事件現場へ渡航.
その時,お世話になった方々に御礼.
落とし前をつけるため,そこから前回の旅をリスタート.
訪問を予定していた国,ミャンマー(ビルマ)を訪れる.
あそこまでやさしい国民性を他に知らない.

専門学校にておとなしく1年を過ごす.
比較的時間のあるうちにと,進級前の春休みに再びインドへ.
全く予定になかったが,現地思いつきでモルディブを訪問.
ありえない美しさの海にて,初めてスキューバ・ダイビングを経験する.

『南の島の大統領』を観た~モルディブの思い出

残りの専門学生生活を送る.
バイク事故により1年留年する羽目になったが,無事卒業し国家試験合格.
同級生だったヨメさんと結婚し,久々にまともな社会人生活を送る.

3年が経過.
かねてからの野望,青年海外協力隊への参加を模索.
参加要件を満たしたため,選考試験を受ける.
ちょっとした病気に罹患したことにより,見事に不合格.
資格を活かして1年間パート勤務.

2回目の選考試験で無事合格.
ジャマイカに2年間滞在することになった.
そんな35歳の冬.

派遣中は3週間の自主的な海外研修が可能.
近隣&許可された国だったドミニカ共和国,パナマ,コスタリカを訪問.
各国の隊員によるアテンドがディープだった.

無事2年間の任期を終えた...のだが,これまた自費での帰路変更可能.
メキシコ,ベリーズ,グアテマラに立ち寄ってから成田の地を踏んだ37歳の春

これまた資格を活かして職を見つけ,大阪から北海道へ引っ越し.
失業状態から再就職まで3ヶ月ほど時間ができたので,ヨメさんと地球一周の旅に出る.

世界一周堂の3大陸コースを選択.

アメリカ(アラスカ),メキシコ,チリ,アルゼンチン,パラグアイ,ブラジル,スペイン,モロッコ,ポルトガル,エジプト,フィンランドを訪問.
特に幼年期からの憧れ,イースター島が想像以上に素晴らしかった.

旭川に住み,再び定職についてからしばらくはGWおよび秋の連休を利用して渡航する生活が続いた.

その多くはダイビング目的.

パプアニューギニア(マダン,キンベ湾)から始まって,フィリピン(セブ)タイ(コタオ)インドネシア(コモド)パラオメキシコ(ラパス)...

リゾート滞在やクルーズ船での旅である.
国内も沖縄の離島や小笠原にも行ったなぁ.
特に気に入ったのは西表島多良間島だ.

やっかいなのは潜るだけでなく,一番金のかかる水中写真にもはまってしまったこと.

スキューバダイビング,やめよっかな?

他にレンタルバイクによる「ボルネオ島縦断ツーリング」(ツアー)にも参加.
東マレーシア(コタキナバル),ブルネイ,インドネシア(ポンティアナック)を走破.
モニターツアーだったせいか,代金が格安だったのが印象的.
その大盤振る舞いのせいなのかどうなのかわからんが,数年後旅行会社が倒産するというオチ付き.

ボルネオ島縦断ツーリング

モルディブ帰りにスリランカもバイクで走った.

娘が生後4か月の時にはグアム,2歳の時にはタイ(プーケット)に連れて行った.何の記憶も残っていないそうな.

息子ができてからは4人で台湾に行った.
娘はともかく,こちらも1歳に満たなかった息子は何も覚えていない.

そして2020年,新コロ禍の到来.
以降,パスポートのスタンプは増えていない.

こうしてまとめてみると,行きたいと思った場所にはほぼ足を運んでいる.
一度は断念した場合も,なんだかんだで最終的には到達している,なかなかリベンジな人生やな.

辛いこともあったけど,やはり旅以上に楽しいことはないな.

自由が欲しい,社会的地位も欲しい.
内面が見たい,外面も愛でたい.
片方しか知らない人生は送りたくない.
これは19歳でヘルマン・ヘッセの『知と愛』を読んで以降,Kazchariの行動指針となっている.

知と愛(新潮文庫)

何だか全てが終わってしまったかのような書き方だが,まだ見ぬ土地への憧れはあるか?
答えはYESだ.

「若い時旅をせねば老いての物語がない」(とある古典)

見るべき物,経験すべきこと,会うべき人ははまだまだ存在する.

『南の島の大統領』を観た~モルディブの思い出

2021/11/10 Wed

個人の力で世界は変わるのか.

南の島の大統領 -沈みゆくモルディブ-(字幕版)

新コロのせいでここ最近海外に渡航できていない.
となれば,過去の訪問先に関する映画でも観て思い出に浸りますかぁ...と思って観たこの映画,見事にテンション・ダウン系でした.

モルディブは,この世の楽園と称されるインド洋の島国.
Kazchariは1994年と2011年の2度,訪れたことがある.

噂にたがわぬ,それはそれは美しい国である.
日本でもハネムーン先の候補によく挙げられる.

1994年,最初の訪問時はモルディブが目的地ではなかった.
元々は南インド旅がメイン.
まずはカルカッタ(コルカタ)からスタート.
数日後,列車にてマドラス(チェンナイ)へ移動.

インド経験者ならわかると思うが,いわゆる“インドらしさ”は有名な観光地が集中する北部に凝縮されている.
とりわけ「ボラれた」「騙された」などのトラブル系に関しては北インドの圧勝.
バナラシ,アグラ,ニューデリーとかは地名を思い出すだけで腹立たしい...ってそれが“らしさ”でもある.何もかもみな懐かしい.

その点,南インドは違っていた.
一言で表現するなら平和で紳士的.
北で散々お見舞いされながらも身に着けた料金交渉術が,南では全く役に立たない(いい意味で).
タクシー料金も固定,宿代も食事代も固定.
ボラれているのではない.普通にfixed priceだった.
駅でもバス停でも客引きが寄ってこない.
米中心の食事も美味いし,人もおだやかで親切.
これは後年,スリランカに行った時も同様に感じたので,大陸の南地域はそういう基質の住民が多いのだろう.

それはさておき,インド大陸南端に近いトリヴァンドラムという町を散策中,旅行代理店に貼ってあったモルディブの観光ポスターに目が留まった.
美しい写真であった.
そしてこの町から往復US$100で飛べるとのこと.
これは安い.
それまではモルディブなんて,バックパッカーに無関係な国と思っていたが,
これは面白そうと行ってみることにした.

有名な話だが,モルディブは島ごとに機能が分散している.
ざっと分けると空港島,首都マーレとなる行政島,リゾート島,ローカル住民島そして無人島である.

で,インドからあっと言う間に着いた空港.
宿も何も決めていない客はめずらしく,かつインドからの入国ということもあり,めちゃくちゃ怪しまれた.久々の荷物総チェックだった.

スタンプをもらってロビーに出ると旅行代理店のカウンターがあった.
よくわからないまま食事付きのリゾート,一泊US$60に決める.
ちなみに前日は1泊60インドルピー(約¥600)の宿に泊まっていたのだが.

空港島からはボートで島まで移動.
それほど離れていなかった.
宿はコテージタイプ.
目の前は白い砂浜と青い海.
いや,ただもうびっくりするぐらい美しい風景で,正に天国(あれですよ,炭治郎の深層みたいな).

計算外だったのは、このリゾート島の客はドイツ人オンリー.
レセプションの表記もドイツ語オンリー.
知らなかったが,モルディブには1島1リゾートおよび(場所によっては)1島1国という法則もあるようなのだ.
もちろんスタッフに英語は通じたので問題ない.

ここで人生初めてのスキューバダイビングにチャンレンジした.
いきなりモルディブ・ダイビング.
初心者ドライバーが「いきなりベンツ」に乗るようなものである.
体験なのでそれほど深いところまで潜れないが,逆にそれが良かったかも.
陽が差すサンゴ礁にカラフルな小魚の群れ.
カメラも何も持っていなかったが,あの海は今でも鮮烈に覚えている.

となれば,帰国後直ぐにライセンス(Cカード)を取得して,ダイビングにはまりそうなものだがそうはならなかった.
本格的なダイバーデビューは,約10年後にジャマイカで,ということになる.
最初が良すぎたのだ.

時は流れて2002年.
青年海外協力隊の派遣前訓練のためKazchariは長野県駒ケ根にいた.
訓練時間のほとんどは現地語の取得に費やされる.
入所早々の選抜テストによって,まずクラス分けされた.
Kazchariの派遣先ジャマイカは英語圏なので英語クラス.
全部で8クラスだったかな? 上から4番目のクラスだった.
その時,一緒になったのが「職種:音楽」としてモルディブに派遣予定のIくんだった.
確かまだ現役の音大生ではなかったかな?
20年前ではあるが,ほぼ毎日顔を合わせていただけあって,今でも顔を覚えている.
モルディブの隊員OBから「あそこで2年も過ごしたら人間ダメになるよ~」と散々脅されていた.他にもモルディブの食事は「カリー」「カツオ・カリー」しかないとか...
今どうしているのだろう.無事,音楽教師になれたのだろうか?

さらに時は過ぎて2011年.
既にガチ・ダイバー(フォト派)に進化していたKazchariは,満を持してモルディブ・ダイビングクルーズに参加.
以下,写真をいくつか.

OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS XZ-1 / 2011年10月撮影
OLYMPUS XZ-1 / 2011年10月撮影

ジンベイ・スイムを経験できたり,ローカル住民島,無人島に上陸できたりとこれはこれで楽しかったのだが,気づいたこともある.
モルディブ行くなら,クルーズではなく島リゾート滞在が良い.
クルーズの場合,深場にてマンタやジンベイなどの大物狙いポイントに行くことが多い.
Kazchariはサンゴ礁に群れるハナゴイ,岩場やイソギンチャクに隠れるエビ・カニの方が好きなのだと気づいた.

そして...やはり白いビーチと青い海,ヤシの木の下でくつろぐ時間がないと!
プラス,ローカルな人たちとの交流も欲しい.

ダイビングクルーズはとにかく忙しい.
寝るか食べるか潜るの3点.
それがいい,それを求めているという人には良いけど,忙しすぎるクルーズはもういいかな,という感じ.

そんな一個人,一旅人の身勝手な印象はさておき,冒頭の映画の話にようやく戻る.

観客にモルディブの美しい風景を見せて,ウエルカム!という映画ではなく,硬派なドキュメントである.
以下,Amazon Prime Videoにおけるあらすじ.

ジョン・シェンク監督作品『南の島の大統領-沈みゆくモルディブ』は,モルディブのモハメド・ナシード元大統領のある一年間を描いた物語である.当時彼は,世界の他のどんなリーダー経験したよりも大きな問題に直面していた

知らなかった.
Kazchari滞在中もこのような強権的な独裁政権が30年も続いていたとは...
この映画は主に2009年のコペンハーゲンで開催された「国連気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)」での声明に向け,独裁政権を倒した若き大統領モハメド・ナシード(Kazchariと同い年!)の奮闘を描いたものである.
結局は規制などが当初よりかなりマイルドになった条約が採択されたが,その削減目標を守れなかったからといってペナルティがあるわけではない(某星マーク国旗の2大国のせい).

エンドロールが衝撃的.
結局,翌年はCO2排出量がさらに増え,水没の危機性はさらにアップ.
さらには2012年,旧政権支持派のクーデターでナシード失脚...
未来の心配よりも,今を豊かに生きていきたいという人の欲望を抑えることは難しいのか.

さらにWikipediaでナシードを調べると,衝撃の事実が.

モハメド・ナシード

現在,テロに巻き込まれ重体?
なんという悲劇的な人生だろう.

折しも,現在イギリスにてCOP26が開催中.
これがまた茶番だ茶番だと騒がれている(このご時世,どうして航空燃料を使いまくって一か所に集まる必要があるのか?).

中でも,エキセントリックな言動で注目を浴びるグレタさん.
あまりも激しすぎて,主張内容はともかく,彼女を見ていると不愉快になるというのが正直な感想.

とは言え,グレタさんを批判する側の「彼女は中国を批判しない(黒幕だから)」もしくは「彼女のバックにはウォール街がついている」といった陰謀論すらも左右多数入り乱れて,わけのわからない状況になっている.
日本でもグレタさんに賛同した学生がデモをしたりしているようだ.

ここで頭に思い浮かぶのは『逆襲のシャア』におけるアムロの名言.

「革命はいつもインテリが始めるが,夢みたいな目標を持ってやるから,いつも過激なことしかやらない」

「地球温暖化懐疑説」も含め,Kazchariには何が正しいのかよくわかりません.
例えばここで何らかの意見に賛同したところで,それはネットや書籍からの情報でしかない.
また,批判側のソースも結局はネット情報.

結局”言うだけ番長”になるぐらいなら,黙って日々の省エネに努めようとは思う.
無駄なエネルギー,特に化石燃料の使用は控えるしかできない.
クルマにはあまり乗らず,リッター70kmのモンキーに乗り,休日は人力オンリーのチャリで汗を流す.
これで許してください(誰に向かって?).