2023/4/4 Tue
Art is long,life is short.
中学生の時だったか.
「Yellow Magic Orchestra」つまり「YMO」を知ったのは.
世の中はアイドル全盛期.
その中で異色の存在,異色の音楽,異色のファッション.
興味を持たずにいられなかった.
そして聴いてしまったあるラジオ番組.
1980年NHK-FM「サウンド・オブ・ポップス」にて,糸井重里司会,YMOの三人をゲストに5夜連続で曲紹介&トークを繰り広げるという放送があった.
この番組は大反響を呼び,その後も数回再放送された.
もちろん“エアチェック”.
録音した120分のFUJIのカセットテープを何度も何も聴きまくった.
第1夜は「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」「テクノポリス」など,ブレイク(当時こんな言葉はない)曲の紹介.
第2夜は細野さん特集.
「はっぴぃえんど」「ティン・パン・アレイ」時代の話から始まり,YMO結成前のアルバム『トロピカル・ダンディー』『泰安洋行』『はらいそ』から数曲をピックアップ.
当時は「何これ?全然テクノとちゃうやん」と全くイミフ.
だがしかし.今となってはどれもこれも魅力的でCDも買った.
アジア放浪中,雑踏を眺めながら,ウォークマンでこれらのエスニック系ミュージックを聴くのは至福だった.
いずれにせよ,売れっ子アイドルへの曲提供など,細野さんが当時の邦楽に与えた影響は凄まじい.
そして...YMO最後のメンバーになってしまった.
第3夜はユキヒロ特集.
大大ヒット曲「ライディーン」(♪今日の~仕事は辛かったぁ~)
「サディステックス」および「サディステック・ミカバンド」時代の話.
武蔵美中退,そしてファッションデザイナー...など,YMOのイメージ作り(人民服もどき)に一番貢献していたユキヒロ.
さらに磯釣りが趣味とか,
全く浸透しなかったが,糸井重里に付けられた「ホバークラフト・ユキヒロ」というニックネームが秀逸だった.
そして紹介されたアルバム『サラヴァ!』.
こいつがもう空前絶後の名盤で,今でも週に一度は聴いている.
後半はソロ・アルバム『音楽殺人』の紹介もあったかな.
ここからは一気にテクノっぽくなり,そして回帰していく.
そして第4夜は教授.
始まりは「東風」,そして「千のナイフ」へ.
教授の曲は長いのでトーク時間は少なめだったような記憶.
ぼそぼそと話す教授.
糸井重里もなぜかつっこみを遠慮がち.まぁ「教授」だし・
掴みどころのない一番謎の人物だった.
※ ここでGoggle先生で検索したら,なんと書き起こしを発見! スゲー!
教授の話は一旦置いとく.
続く第5夜は,他のミュージシャンとの関係とNEWアルバム『増殖』の話が中心.
シーナ&ザ・ロケット,サンディ,大貫妙子だったかな.
もちろん『増殖』は例のコントをカット.
増殖(Standard Vinyl Edition)(アナログ盤)(特典なし)
それにしても,このNEWアルバムの構成にびっくりした.
そう,YMOはアルバムが出る度「思ってたんとちゃう」と物議をかもす.
だって『増殖』の次はこれまた衝撃の『BGM』ですよ.
とても同じグループの作品とは思えない.
それでも,やがて全てが好きになる.
さて,その後しばらくたってから,毎週火曜日の10時だったか,これまたNHK-FM『サウンドストリート』を教授が担当することになった.
自虐的に“ワーストDJ”と名乗るぐらい,朴訥で何言ってんだかよくわからない,不思議なノリの番組だった.
その人脈ゆえ,ゲストは超豪華.
デヴィット・ボウイも来なかったっけ?
ちょうど『戦場のメリークリスマス』の公開時期と重なっていたように思う.
個人的に好きだったのは,やはり矢野顕子ゲスト回.
マジで夫婦漫才.
世間的に一番有名な企画は「デモテープ特集」だろう.
Kazchariもエアチェックして何度も聴いてはまった.
正確なタイトルは不明だが,印象に残るフレーズを思い出してみる.
「なんめのきなこ」
「マニ60の歌」
「モンゴロイドが来るぞ」
「ぬらりひょん」
「ぼくの買った本には主人公がいない」
「かしくれロックンロール」
「にゃあ(猫を怒らせるだけの曲)」
「はい/いいえ(酔っ払った二人の女子)」
「こんなのはもー」
「超電磁アヘホヘ」
実はCDにもなっていたようだ.
何人かはメジャーデビューしているらしい.
ホンマ40年以上たった今でも耳から離れない,貴重な思い出.
もちろん曲を作り,送りつける(笑)リスナーもスゴイが,それを一曲一曲ちゃんと聴いて選抜する教授もスゴイ.
中にはオリジナルを丸々ダビングした曲もあったけど,どうして流した(^^;
はい.
これらに刺激されて,実はKazchariもオリジナル曲作りました.
そう,うちには当時一世を風靡していたSHARPのダブルカセットデッキがあったのだ.
家にあった縦笛やら,鈴やら,タンバリンを順番に鳴らして多重録音,
世にも奇妙な雑音を作り出した.
もちろん送る勇気(図太さ)はなかったけど.
結局YMOの音楽に触れたことがきっかけとなり,Kazchariの嗜好はクラシック音楽に流れていくことになる.
同時に日本文学や世界文学,絵画,映画にも興味を抱くようになり,正に「芸術が人生を豊かにしてくれる」と実感できるようになった.
人間の死亡率は100%だし,末期ガンであることは周知だったので,教授の死に驚きはない.
ただし,己が一番多感だった時期に,その作品とともに過ごしたことは事実.
そんなプレゼントをくれた教授に心から感謝します.
そしてそれらは今でも,いつでも聴ける.
正にArt is long.
マスゴミは,今さらのように教授の女性関係を取り上げていたりするけど,その相関図が,大河ドラマのそれみたいで笑ってしまった.
『増殖』ジャケットのYMOフィギュア.
いつか財団BがSHFフィギュアーツ化してくれる日を待っています.