2021/1/14 Thu
なぜ勉強するのか.
ウチの息子は勉強ができない.
いや,集中力がないという方が正しいだろう.
少しでもひっかかると,途中で寝るか投げ出してしまう.
好きな科目,例えば漢字の書き取りなどは比較的取り組めているようだが,算数はからきしダメ.
学校でもいわゆる問題児扱いされ,担任の他にサブ教師が常に横についている.
先日は,算数の時間にいきなり粘土板を机の上に出して,粘土をこねくりはじめたそうな.
あげくに注意した先生に暴言を吐き,軽く手を出してしまった.
全くどうしようもない.
息子の教科書を確認すると,練習問題の回答欄は空白で落書きだらけ.
よくあるパラパラ漫画や肖像画への落書きならまだしも(そうなのか?),単に鉛筆でぐりぐりと丸を書き散らしていたりとか...
Kazchari(50代)の小学校やったら,先生にビンタされてたけどな.
今,そんなことしたらYahooのトップ記事...
Kazchariの大好きな作家,森博嗣の『勉強の価値』(幻冬舎新書)によると,
ずば抜けて頭が良くて勉強ができる子供は,周囲から叩かれないように,自分の能力を隠す術を覚えるだろう.また,逆に勉強ができない子供は,それを誤魔化すか,あるいは別のもので挽回するような術を覚えるはずである.僕が観察した範囲でも,賢い者は馬鹿な振りをして,相手を油断させるように振る舞う.また,馬鹿な者は,ふざけることで注目されることを覚え,ときには,悪ふざけで失敗をするようだ.
あぁやっぱりアホなのか.
さらに,森は学校教育の価値として,
学校で行われるものが「勉強」だとすれば,つまり,個性を抑制し,周囲の仲間に歩調を合わせること,協調性の学習が,もともと含まれている.
世の中にはどんな人たちが存在しているのか,ほかの子供たちはどの程度の能力なのか,ということを知る機会として価値がある.
勉強をしないと,己を知ることができないまま社会に出ることになる.社会人として直面する種々の問題に対して,自分がどう対処すれば良いのかわからない人間になるだろう.
とも書く.
全く同意.
さて,うちの息子,学校だけではなく,家庭内学習でも,勉強嫌いの片鱗は伺える.
気分がのらない時は徹底してやらない.
それに対し「勉強しろ!」と怒鳴りたくなる.
まぁ.宿題や勉強を強制的にやらせたところで身に就かないのもわかっている.
「今は九九を覚えてなくても,大人になってできない人はおらんしなぁ...」と諦めつつある.
では,小学二年生に「学習」していただくにはどうすればよいのか?
森曰く,
「楽しくないけれど我慢しなさい」と説得することが正しい.
うわ,身もふたもないアドバイス.
らしさ全開.
で,Kazchariなりに,別の方面からのアプローチを考えてみた.
あらためて息子の勉強道具を観察してみると,まず鉛筆がやけに短い.
結果,非常に持ちにくくなっている.
鉛筆削りも雑誌の付録の,ロクに削れないもの(電動式)を使用.
さらには消しゴムもボロボロ(遊ぶため).
専用机がなく,リビング学習のため,場合によっては食事後のランチョンマットの上にプリントをのせて,書き物をしている.
つまり,プリントがしわくちゃになったり,酷い時は穴が開いていたりする.
これらを見逃していたのは親であるKazchariの怠慢.
まず道具や,その使い勝手などを十分評価していなかった.
そのツケが今になって回ってきている.
そこでとりあえず,以下の勉強セットをAmazonで購入.
誕生日が近いため,その時に渡すべきか悩んだが,こういうのはなるべく早く使ってほしいと判断し,到着後すぐに渡した.
もちろん,これまで持っていなかったわけではない.
“おとうちゃん”直々にプレゼントした勉強道具という点が重要と,勝手に考えている.
大事にしてくれるかどうか,学習への意欲が増すかどうか,果たしてその効果は?
もはや,そのような神通力はKazchariには存在しないかもしれんが...
そして『勉強の価値』は以下の言葉で締めくくられる.(ぎくっ)
教育とは,大人が楽しく勉強しているところを,子供たちに見せつけることなのだ.