飲茶『正義の教室』が面白い

2020/8/8 Sat

正義とは何か? えっ?

正義の教室 善く生きるための哲学入門 (日本語) 単行本(ソフトカバー)

飲茶さんの『正義の教室』が実に面白かった.
近未来(?),とある高校の生徒会室と「倫理」の教室がメイン舞台.
主人公は頼りない生徒会長(男).
それを取り巻く三人の女生徒.
この三人は正義の三基準,つまり「平等」「自由」「宗教」を具現化するキャラ付け.
ラノベ調のストーリー仕立てで展開されるため,純粋に哲学や倫理の解説本として読みたい人には不向きだが,ラストが…なので,この方式がベスト.

さて,Kazchariなりに内容や理解をまとめると…(以下ネタバレ注意)

「正義」の基準は3つある.
1)平等の正義:功利主義.最大多数の最大幸福.ベンサム.快楽計算
2)自由の正義:自由主義.弱い自由主義と強い自由主義.愚行権.
3)宗教の正義:直感主義.枠の外側.イデア論.ソクラテスとニーチェ

【平等の正義】

最大多数の最大幸福
物事の正しさを功利によって決める
幸福→「快楽が増加,または苦痛が減少」
不幸→「快楽が減少,または苦痛が増加」

(平等の正義の問題点)
-幸福度を客観的に計算できるのか?
-身体的な快楽が,本当に幸福だと言えるのか?
-功利主義は強権的になりがち(全体の幸せを重視→個人に強制すること)

【自由の正義】

弱い自由主義者→ 自由に生きることが人間の幸福であり,社会は個人の自由を尊重しなくてはならない

強い自由主義者→ 自由を守ることは,結果にかかわらず,正義であり,自由を奪うことは,結果にかかわらず,悪である.

『自由にやれ.ただし,他人の自由を侵害しないかぎりにおいて』(個人の権利を重視→個人に強制しない)

-有能・無害な人間→ 自由にさせても誰の自由も奪わない(ゆえに自由を保証)
-有害な人間→ 自由にさせると『他人』の自由を奪う(ゆえに自由を制限)
-無能な人間→ 自由にさせると『自分』の自由を奪う(自己責任として自由を保証する?しない?)

(自由の正義の問題点)
-「バカな人間は死ねばいい」で良いのか?
-富の再分配の停止による格差の拡大,弱者の排除
-自己責任,個人主義の横行によるモラルの低下
-当人同士の合意による非道徳行為の増加

【宗教の正義】

宗教的である→ 物質または理性を越えたところにある何かを信じていること
枠の中:宇宙(物質の世界)/理性(言葉の世界)
枠の外:善/正義

以下の点において人類は2500年間論争してきた.

相対主義:物事の価値は他との関係性によって決まるのだから,絶対的なものはない.
絶対主義:「絶対的に正しい」「絶対的に善い」といったものが,この世には存在する.

原子論:世界は物質の集まりでできていて,それ以上でもなければそれ以下でもない.
イデア論:善や正義などの概念は,物質を越えた世界に本当に存在している.

唯名論:名前はただ名前
実在論:人間という概念は,ただの名前ではなく,”どこかに”実在している.

経験主義:人間が思い浮かべられる概念はすべて経験から作られたものであって,それ以上でもそれ以下でもない
合理主義:合理的に理性を働かせれば,人間は絶対的な正しさに到達できる.
本来,知りえないものをなぜか人間は知っている.それはおかしい.だから理屈を超えた何かが存在しないと説明がつかない.

※前者が枠の「中」,後者が枠の「外」

ニーチェが死んだといった『神』.それは『真理』『善』『正義』など枠の外側にある,超越的な存在のこと

(宗教の正義の問題点)
理想を頑なに求めるあまり,現実の存在を蔑ろにする

【構造主義とポスト構造主義】
『人間は何らかの社会構造に支配されており,決して自由に物事を判断しているわけではない』
『人間は自分の意志で行動しているように見えて,実は,周囲の環境や役割や立場によって,無意識にその考えや行動が決定づけられている』

構造主義の希望⇒『自分たちが生きている社会の構造をきちんと把握しよう.そして,その構造上の欠陥を見つけ出し,それを修復してもっと豊かで幸せな未来を作り出そう』

ポスト構造主義の反論⇒『そんなことは不可能だ!人間は自分の意志で構造を作り変えることなど絶対にできない!なぜなら,その作り変えようとする意志自体が,とらわれている構造から生み出されたものにすぎず,元の構造を越えたものを作り出すことなんてできないからだ!』

刑務所は,誰かを悪人すなわち『社会的に異常な人間』として断定し,その生活を監視して『正常な人間』に矯正する装置である.
その究極形態が「パノプティコン」.すなわち「見られているかもしれない」という意識を持ち続けさせること.

我々は昔に比べ,道徳的になったのか?
もし,なっていたとすれば,その理由として『市民の誰もが監視カメラと盗聴器をポケットに忍ばせ,しかもその情報をいつでも公の場に発信できる時代になったから』と考えられる.

もはや人間が『人間にとって正しい社会』を作っているのではない.社会が『社会にとって正しい人間』を作っている.

以上の思考展開後,作者の飲茶さんはこう締める.

-人間は「正義」を直感なんてできない
-人間に完全な「正義」がわかるわけがない
-「正義」は答えを出してはいけない
-事前に「正義」を決めつけることはやってはいけない

よって,
『万人に見られていなかったとしても,もしくは見られていたとしても,それに関わりなく自分がやるべきだと思ったことが,自分にとっての善いことである』

頭の中でごちゃごちゃになっていた用語やその成り立ちや意味が,この本によって整理できた.
Kazchari自身は,若いころ(20代)は「直観主義者」だったけど,その後「強い自由主義者」となり,今では「功利主義者」かな.
そう,年代とともに「正義」は変わってしまうのだ.納得.

おまけに,またまたシンクロニシティ発生!
文中に「歴史を学ぶ意義」に言及する箇所があり,そこで引用されるのが,「時は移り,所は変われど,人類の営みに何ら変わることはない」という現在ドはまり中の『銀河英雄伝説』冒頭の言葉が出てくるのだ.そう,このアニメにも「正義」に関する考察が何度も出てくる.

久々に知的好奇心を刺激されるワクワク本.超オススメです.
ラストに大仕掛けがあるので,色々な意味で要注意.
メタだ.

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