旅の回顧録~1993年のカンボジア(3)

タイ語とラオス語は東京弁と大阪弁ぐらいの違いしかないが,タイ語とクメール語では東京弁と鹿児島弁ぐらいの差がある.- だから?

1993/3/16 Tue

この時期のカンボジアの夜はさほど暑くはない.
ただし一晩中響きわたる騒音(自家発電器のモーター音)と,昨日のツールスレーンの光景が頭から離れなくて2~3時間しか眠ることができなかった.

さらにドミトリーの部屋で一番困る事態が発生.
そう扇風機の直撃である.
他人が強風で回しているのを止めるわけにはいかんし...で,朝から風邪気味で鼻ずるずるである.
白人の連中は裸で寝てて寒くないのか?

午前中,プノンペン市内を北に向けて歩く.
おっと,その前に朝食で念願のフレンチ風サンドイッチを食べたことを書かねば.
具(焼き豚と野菜)が山盛りで1000リエルであった.
ラオスで食べたのとよく似た味である.
旧植民地と言えども,本場(?)のフランスパンなので,咀嚼するとアゴが非常に疲れる.

ドーム型の巨大な建物,セントラルマーケットに行く.
中は典型的なアジア市場.
生鮮食品,金物,陶器,服屋の他,札束をガラスケースにわんさか積んだ貴金属屋さんが目立つ.
ついつい銀(っぽい)ネックレスをUS$5で買っちまった.
野外ではサル,ウサギ,オウム,インコ,タガメ,そしてアリクイetc…を売っていた.
ペットショップでないことは確かである.

明日乗る列車の時刻表でもあるかと思い,駅に向かう.
構内がひんやりと涼しいのでベンチでボーッと座ってたら,周囲にカンボジアのオヤジ達が集まってきて,じろじろ見よる.
なんだか居心地が悪くなってきたので駅を退散.
悪意は感じなかったが,まだまだ個人ツーリストがめずらしいのだろうか?

展望を期待して丘の上にあるお寺に登る.
カンボジアもタイやラオスと同じ小乗仏教.
光り輝くネオン・ブッダのお出迎えであった.

「Capitol」に戻る.
同室に時事通信の記者がチェックインしていた.
なんでも金丸さんが逮捕されたそうな.
一階のレストランにてK氏,Y氏を交えてしばし日本世間話.
旅に出ると誰もが評論家になる.
この日は「皇室問題」から「日本文学の現状」まで話が及んだ.

と,そこに大スコール.
ただでさえ未舗装でグチョグチョの道路がドブ川と化した.
排水溝からうじゃうじゃとわいて出る巨大なゴキブリとねずみ.
レストラン内はパニックである.
まさに地獄絵図.
まさにクメン.
やっぱりスゴイ所である,ここは…

今夜は夕食を地元向けの店でとる.
「Capitol」のすぐ近くに「おかゆとモツ煮」の専門店を見つけたのである.
そこの店員の兄ちゃん,クメール人にしてはめずらしく,英語とタイ語を話す.
いやぁ,盛り上がった,盛り上がった.

「おいしい」をクメール語で何と言うのか聞き出す.
「チガニ」らしい.旅する上での必須単語の一つ.
よし,今後はこれを連発しよう.
あまり食料事情(味に関して)が良くないカンボジアだが,ようやく一軒,なじみの店ができた.
(その4へ)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(2)

1993/3/15 Mon

プノンペンの大通りを南下し,ベトナム大使館にヴィザの申請に行く.
警備員のチェックが厳しく,なかなか施設内に入れてくれない.
テロ対策だろう.
せまい一室に通された.
いかにもベトナム人っぽい,色黒でエラの張った担当官が現れた.
ヴィザの申請というよりは,何やら闇取引の雰囲気である.

所要一週間で,30日有効,US$55というのがベトナムへの最低限の手数と入国料のようだ(「Capitol」に頼むとUS$100取られる).

Kazchariの持っているカンボジアViSAの滞在期限は7days.
つまり延長が必要ということになる.
担当官にカンボジア外務省の場所を聞き,大使館を出て4kmほど歩く.
着いたら着いたで「先に入国管理局に行け」と言われた.
たらい回しである.
途上国の旅をさらに安くあげるためには,根気と体力が必要.
ただ,この過程を楽しんでもいる.

炎天下,さすがに疲れたのでバイクタクシーを拾うことにした.
600リエル.最初は2000リエルよこせなんて言いやがる.

外務省では「市場の近く」としか教えてくれなかったので大変である.
どこに管理局があるのかさっぱりわからない.
あちこちで見かけるUNTACの兵隊を捕まえて,つぎはぎで場所を尋ねつつようやく発見.
7daysの延長でUS$20.
これでカンボジアには3月28日まで滞在できることになった.

ベトナム大使館に戻り,無事にヴィザ申請.
ただし,今後しばらくはパスポートなしで旅を続けなければならない.
ここは準戦時国.
身分を証明せねば命にかかわる…といった事態に陥らないことを願う.

帰りにツールスレーン博物館(通称S-21)に行く.
全身に寒気が走るとはまさにこの事.
この世の地獄がそこにあった.
処刑前に撮られた顔写真の群…拷問用器具…放置された死体の写真パネル…牢獄…

ここは本来,学校であったという.
校庭には鉄棒がある.子供たちが遊んでいる.校舎をバックにその子達を撮った.

Capitolホテルに戻る.
一階のレストランではY氏が「下痢だ,下痢だ」と腹を抱えて苦しんでいた.
彼も旅が長い.
それに,この国はお世辞にも衛生的であるとは言えない.
彼に日本から持ってきた抗生物質を渡す.
むやみに飲むのは危険だが,化膿した切り傷から腹痛まで,効くことは効くだろう.

夕食時,昨日のK氏に加え,さらにもう一人の日本人が我々のテーブルにやってきた.
この人,「ねぇ,70番に行きましょうよー」としきりに誘う.
「70番」とはプノンペン市街の北部にある有名な売春宿街,Seventy-streetのことである.
見物だけならともかく,この人は“お試し”まで考えているようなので遠慮した.
買春には興味がない.
それに何より病気が怖い.
一人で行って来い.

アンコール・ワット観光への中継地,バタンバンへの列車はプノンペンを奇数日に出るらしい.
明後日出発することにする.
(その3へ)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(1)

日本を出国して,すでに2ヶ月が過ぎていた.

1993/3/14 Sun

AM6:00-バンコク.
まだ暗闇のカオサン通りを白人の酔っぱらいが闊歩していた.
旅行代理店前から空港行きバス出発.
AM7:00過ぎにドン・ムアン空港着.
空港内レストランでバカ高の朝食をとり,残金をドルに両替.
カンボジアでは少額のドル紙幣が必携なのだ.
シャム・カンプチア航空にチェックインして,出発を待つ.
旅客機は定刻より15分だけ遅れて離陸した.

エビ入りゼリーの機内食はなかなかイケる.
ただしスチューワデスは無愛想.
せっかく覚えたクメール語の挨拶をしてもニコリともしない.
もっとも,インドシナ半島の各言語は発音が非常に難しく,一度で通じたことはほとんどないが...
わずか55分のフライトでキリングフィールド・プノンペンに到着.
バンコク同様,この国の首都も暑い.

空港には白い機体に黒で「UN」と描かれたヘリコプターとランクルが数台並んでいた.
イミグレーションにはPKO 警察の日本人がいた.
「学生さん?」「大学どこ?」「一人?」「何にしにきたの?」「どこに泊まるの?」
この人、ヒマなのだろうか?
カンボジアで職質をしてどうする.
もっともこの時期に,この国を旅行するヤツは怪しいと思われても仕方がない.

US$20を払い,7days 有効のヴィザを買う.
表記がクメール語ではなく英語なのが残念である.
空港施設を出るとタクシーとバイク(カブ)の群れ.
「Where do you go ?」 の嵐の中,バイクタクシーの運ちゃんをつかまえて,中心街への値段交渉に入る.
最初US$10だったのが,前情報通りUS$1 になった.

泊まる宿は決めてあった.
その筋では有名な「Capitol Hotel」である.
バイタクの運ちゃんも場所を知っていた.
いつもそうだが,新しい国での初日は本当にワクワクする.
空路入国では人も建物もガラッと変化する.
陸路入国ではじわじわと変化する.
両方ともおもしろい.
特にプノンペンは停戦まもない特殊な街.
同じような喧噪でも,他のアジアの街とは空気が異なっている.

「Capitol」のドミトリーはUS$4だった.
一泊US$10は覚悟していただけに単純にうれしい.
荷物を置いて部屋の外へ.
Capitolホテルの一階は中華料理レストランになっている.
いや,レストラン業だけではなく,両替、周辺国のヴィザの手配,レンタルバイク/サイクル,ガイド,観光案内など,なんでもやっている.
ざっと店内を見渡すと日本人がいた.
軽く会釈して早速情報収集開始.

彼,K氏はすでにアンコール・ワットにも行っていて,料金所を通らずに遺跡に行く道やら,バタンバン,シェムリアプの安ホテル情報を聞き出す.
また,K氏はなんとベトナムのハノイ大学に留学中であった.
カンボジアの後はベトナム行きを予定していたので,貴重な情報を得ることができた.
そこへ現れたもう一人の日本人Y氏と3人で市内散策.
やたらにあるベトナム料理店の一軒で寄せ鍋を食い,アンコール・ビアを飲む.
しめて一人9000R(リエル,US$1≒2500R).
初日から贅沢している(どこが?).
明日からは少し節約要.
(その2に続く)

晩秋の美瑛(やはり寒い)ライド

OLYMPUS TG-5

Mostly Cloudy, 12°C, Feels like 12°C, Humidity 62%, Wind 4m/s from SW

今日は1日フリー.
最近ご近所グラベル探索が続いたので,今日は久々にロードでお出かけ.
行き先は晩秋の美瑛方面.
紅葉というより落葉やろなぁ.

当たり前だが,通常ロードバイクにスタンドはついていない.
重量増および見た目の問題が嫌われる主な理由であろう.
ゆえに,停車時や写真撮影時は壁スタンドやヘルメットスタンド,路肩ブロックスタンドなど,安全性や転倒に配慮した場所や方法を試すわけだが,写真撮影においては,構図の自由度が限定されたり,余計なモノが写るなど悩みがつきない.
ようするにスタンドとは付けたくないけど,付けたいジレンマアイテムなのである.
これまではこういう品を自作し,使っていた.

OLYMPUS TG-5

BBの穴に差し込んで使う,アクリル棒をヒートガンであぶって曲げたもの.
透明なので目立たないのはGood.
しかしながら安定性が悪い.転倒事件も数回発生.

そこに新たな救世主が!
Amazonで見つけた簡易スタンドである.

【強化版】U-LIX(ユーリックス) KickStand 自転車用 携帯 スタンド 簡単脱着 26インチ 700c用クイックスタンド タブ強化版 予備底ゴム付

重量わずか80g(コネクト部10g,スタンド70g)で,装着時はこんな感じ.室内では非常に安定しておる.では早速レビューライドへ.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

9時過ぎに出発準備が整いタイヤに空気を入れる.
いつも通り7Bar.
すると後輪からシュー音が.
まさかのパンクである.チューブをはずし空気を入れるがどこも漏れていない.
次にタイヤをチェック.
なんと,タイヤの内側に,肉眼では確認できないほどの,極めて細い針状のものを発見.
指で触ってようやく感じるレベル.
何じゃこれ? 外から刺さったものではない?
ひょっとしてタイヤを構成するワイヤーがほつれてる?
このまま出かけていたらスローパンク?
いずれにせよ出発前に気づいてよかった.
ストックしておいたGP5000と新チューブに交換.

Continental Grand Prix (グランプリ) 5000 タイヤ

何年か前のセンチュリーライド100kmコースを逆走でなぞる.
足の調子やや重し.
昨夜は懇親会で飲んだからなぁ...
とい言い訳しつつ,かなり人が減って静かになった美瑛を駆ける.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

落葉とは言え,やはり美しい丘の風景.
雲の切れ間から太陽が時折除く.
その瞬間を狙って停車.
グローブ外して,背中からスタンド出して伸ばして,コネクタにはめて,安定した地面を探して,前輪が動かないようにバランスとって,構図を決めるためにバイクから離れて,デジカメの電源入れて...ああ太陽が消えたぁの繰り返しで悲しい.

まぁ,それでも軽いバイクでのロングライドは楽しいものですな.
と言いつつもメインロードから延びるグラベルが気になって気になって...
♪好きな男の腕の中でも,違う男の夢を見るぅぅ~あぁぁという感じ.以後『魅せられて症候群』と名付けよう.

13時過ぎ,100kmコースを完全にトレースするつもりが空腹と寒さに挫折し,いつものセイコマで補給.
家路に向かうものの,寒さのあまりジレ着用.
太陽はどこへ.
このジレ,なんと初Rapahウェアである.
定価は結構するが,安売り時に7000円台で購入.
いやぁ,なんつーか,やはり造りが違う.
機能的にも文句なし.デザインも良い.

Rapha – Classic Wind Check ベスト

16時頃無事帰宅.
光なし(天気悪し),ミニ三脚忘れ(構図限定),ワイコン忘れ(画角限定)と三重苦ライド.
よって,今日の写真はパッとしない.

コンパクトスタンドの総評.
風が強い時は不安だが使えないことはない.
ただしファットくんだと『頑丈なスタンド+こけても気にしない=気軽に撮影』の図式が成り立つのだが,ロードだと『やわいスタンド+こけたらフレーム破損=慎重に撮影』となってしまう.
まるでコンバットアーマーVSモーターヘッド(今はGTMか).
うーむ.
まだまだ検討の余地がありそうだ.

シンクロニシティ

今日は少々オカルトチックな話題.

興味のない人,申し訳ない.
時系列が少々ややこしいので,上手く伝えられるかどうかわからないが...

今日の午前中,大阪に住む義理の母が,大動脈解離で病院に搬送されたという連絡が義妹からあった.
こちらは旭川,すぐさま駆けつけるというわけにはいかない.
幸い自覚症状を伴ったままの発症で,搬送先の病院でも意識ははっきりしており,手術にはなるが,とりあえず命に別状はないとのこと.
当然ながらヨメさんは憔悴しきっており,飛行機の予約が取れ次第,帰省することになった.

表題のシンクロニシティとは,精神科医・心理学者カール・グスタフ・ユングが提唱した「意味のある偶然の一致」のこと.
学術的な定義や詳細は専門のサイトや書籍で確認していただきたいが,「ある出来事の前に起こる前兆」もその説明に含まれる.

それは昨夜,義母が倒れる前に起きた.
外出しようと玄関ドアを閉めた際,自宅の表札(石製)が,突然外れて落下し,8片ほどに割れてしまったのだ.
もちろん誰かが細工したわけでもないし,見た目ぐらついているということもなかった.
確かに接着後15年以上経過しており,北海道の四季の寒暖差を考慮にいれると,接着剤が自然劣化したと考えるのが当然だろうと,昨夜は思った.
ただし,落下を目撃したヨメさんが「不吉やなぁ...」と言ったのが忘れられない.

さらに,これも偶然なのだが,一昨日には,普段は全く気にも留めていなかった表札の接着部位が気になって仕方がない自分がいた.
なぜだかわからないが「そろそろ外れるかもなぁ...」と表札を凝視しながら考えている自分がいた.
そして今日の一報である.

もちろん後付けの解釈に過ぎないのかもしれない.

割れた表札は緊急連絡の前,つまり昨夜のうちにエポキシボンドで修理しておいた.
石仮面のごとく亀裂が入り痛々しい姿である.
しかしながら,この即時行動が良かったのか,義母は命を取り留めた.

ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)

ご近所お写ん歩ライド

東京は雨で大変らしいが,ここ旭川は昨日に続き今日も晴れ.
たぶん最初で最後の祝日の午前中は家の掃除.
午後からようやく2時間ほど時間ができたため,紅葉撮影に出かけることにした.

OLYMPUS TG-5

いつものグラベル探索時はもとより,普段ロードで出かける時は重量増を嫌ってコンデジのみを持参している.

OLYMPUS デジタルカメラ Tough TG-5 ブラック

ワイドコンバージョンレンズを装着しているもののせいぜい500gほど.
そこそこキレイな絵は撮れていると思うが,ここは一発,メイン機のミラーレス『OM-D E-M1』&『OM-D E-M1 Mk-II』で出撃してみたっ.

OLYMPUS ミラーレス一眼カメラ OM-D E-M1 MarkII ボディー

レンズは4本.
あえて標準レンズなし,望遠およびクセ物しばりで.

OLYMPUS 単焦点レンズ M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8

OLYMPUS 超広角ズームレンズ M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO

残りは『M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO』『M.ZUIKO ED 40-150mm F2.8 PRO』の2本を持参.
ご察しの通り,Kazchariはバリバリのオリ党なのである.
その理由は主な被写体が水中にいるから.
チャリ趣味前からフォト派ダイバーだったりする.
名機『CAMEDIA C5050-Z』以来,ずっとオリンパス.
なんと言ってもコスト,小型軽量,画質のバランスが良い.
純正の水中ハウジングを作っているのって今やオリぐらい?
NやCの一眼用ハウジングはあまりにも高価.

三脚とサブ機のTG-5も持っていきますよ.
カメラリュックに詰めて.

OLYMPUS TG-5

重量は...5Kg以上はあるな(量ってない).
目当ての神楽岡公園までは5kmほど.
前回のパンクの際,ちゃんと空気圧のチェックもしたので舗装路も快適快適.
だいたい前後1Bar.
以下,何枚か撮影したものを.

OLYMPUS OM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8
OLYMPUS OM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8
OLYMPUS OM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8
OLYMPUS OM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8
OLYMPUS OM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8
OLYMPUS OM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8
OLYMPUSOM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8
OLYMPUS OM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8
OLYMPUS OM-D E-M1 MK-II M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 MK-II M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 MK-II M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 MK-II M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 MK-II M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 MK-II M.ZUIKO DIGITAL ED 7-14mm F2.8 PRO

8mm Fisheyeは使わずじまい.
やはりお気に入りは,75mmのキレキレ感.
カミソリピントで背景ボケボケ.
何を撮っても作品になってしまう.
ファットくんなのに,このポートレイト感!

OLYMPUS OLYMPUS OM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8

2時間ほど楽しんだ後,暗くなる前に近所の公園に遊びに行っているバカ息子を迎えに行く.
最近,自転車に乗れるようになったと思ってたら,もうこの坂を足つきなしでクリア.

OLYMPUS TG-5

Vamos! バカ息子よ!
いつの日か父をブチ抜くのだ.

まだまだグラベル探索(東神楽編)ライド

OLYMPUS TG-5

極寒&雨から一夜明け,今日は午後に向けて天気回復とのこと.
さぁ,ロードかファットか.
「あーなんか路面が濡れてるなぁ.ファットくんにしよう(棒読み)」.
まっ,ようするにグラベル探索にドハマリ継続中なのだ.
後でSTRAVAを見ると,走行中の気温は13℃,風速3m.体感はそれ以上の暖かさ.
ここまでコンディションが良いのは今年最後かも.

少々悩んだ末,今日は東神楽を目指す.
まっすぐ向かっては面白くないので,脇道にダートを見つけたらちょこちょこ寄り道.
最近,東神楽町は自転車道の整備に力を入れているのか,川沿いに新しいルートができそう.
素晴らしい.雪が降る前に間に合うのか?

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

紅葉がさらに進み,公園の樹木さえ美しい.雨上がりのしっとり感で写真映えしまくり.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

途中でいつもの忠別川サイクリングロードに合流,ボーイスカウトのキャンプ場からはほぼ林道となる.ここから『森のゆ花神楽』に抜けるまでの道が,これまた最高.ストップしまくりで全然進まん.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

ちょっとした峠を越えると旭岳方面と美瑛方面に分かれる丁字路がある.直進するとよい感じのグラベルが見える.旭川に住んで15年,ずっと気になっていたその道に,今日初めて踏み込む!

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

なんも言えねぇ.
贅沢言うなら赤が足りない程度.
どこかに赤いもみじはねぇがぁ~
やがて牧場を抜けて就実の丘からつながる丘に出る.
志比内の境目峠で道道213号に合流.
そろそろ昼飯の時間.
補給食はあるもののハンガーノック防止のために,どこかのコンビニに寄らねば.
少々退屈な道だが仕方がないと道道を美瑛方面に向かうも,そこはファットくん.
川沿いのダートを見つけてはガシガシ進む.

OLYMPUS TG-5

気分よく走ってたら,いきなりパン!という破裂音と後輪に何かが絡まる音!
停車して確認するとシュー音.
まさかのパンクでした(泣).

OLYMPUS TG-5

もちろん修理道具は持ってきているが,この26×4.6のごっついタイヤ,ロードと違ってビートがなかなか落ちない.
毎年のスパイクタイヤ交換で,むっちゃ苦労するのがわかっているので,できれば避けたい苦行.
ヨメさんに電話してピックアップを頼むかと一瞬考えたが,電話しても「ふざけるな.ボケ」と返されるのが目に浮かび(♪ヨメに怯えて生きるっ 俺たち恐妻人間なのさ~).
思い切ってパンク修理を決意.
手持ちの携帯工具,タイヤレバー,修理パッチを使い,30分程度で完了.
あれ,案ずるより産むが易しとはこのことか.

携帯ポンプは例のヤツではくTOPEAKのMICIRO POMP.
ロードと違ってパンパンにする必要もないのでシャコシャコと指押し確認で適当に入れる.
使える使える.

TOPEAK(トピーク) マイクロ ロケット AL マスター ブラスター PPM05100

例のヤツはこれ↓ ロードはこっちがいいかも.
LANDCAST 自転車 空気入れ 仏式・米式 携帯ポンプ 300psi ロードバイク・クロスバイクに軽い力で高圧まで空気が入る

それでも30分のロスはロス.
行き先を変えて千代ヶ岡のセイコマへ.

OLYMPUS TG-5

そろそろ帰ろうか.
雨上がりのグラベル走行でドロドロのファットくん.
帰宅したら水ぶっかけて適当に洗ってあげよう...のはずが空港脇を遠回り.
今日も楽しいライドでした.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

『キング・オブ・コメディ』を観た

先日のブログで『JOKER』について書いた.

現代版『タクシー・ドライバー』という印象を強く持ったが,ネット上でもプロ・アマ含む様々な映画評で同意見が散見された.
『JOKER』を楽しむには,もう1本『キング・オブ・コメディ』も必見とある.
監督がマーチン・スコセッシの大ファンゆえ,この2本を確信的にリスペクトしていたそうで,ストーリーや演出,映像表現に類似点が多数あるらしい.

『キング・オブ・コメディ』をAmazonで検索すると,ちゃんとPrimeで配信されいるではないか.
つーことで,今日のZwiftの友はこれに決定.

The King of Comedy (字幕版)

以下,内容にふれます.

...見終わった感想.

前半は一級のストーキング・ホラー映画でした.
後半はブラックジョークかな.
ストーカー仲間のねーちゃんは最初から最後まで怖かった.
今風の演出やと間違いないジェリーを刺してたな.
電気屋のTVを観ている所を横からグサッと.
確かに『JOKER』に与えた影響はすごい.
舞台設定は言うまでもなく,現実と妄想(願望や思い込み)が入り混じっている点も.

『JOKER』のアーサーは,脳外傷により,認知的に問題ありというような描写だったが,この映画の主人公はパーソナリティ障害やね.
悪いことをしている,迷惑をかけているという意識が全くない.
主人公は本当にコメディアンになりたかったのか?
底辺で生きるより,(犯罪者になってでも)一夜だけでもキングになりたい.
ただ人に認められたかっただけ?

誘拐事件以降は(たぶん)現実で話が進む.
何が怖いって,パプキンのネタに聴衆が笑っていること.
アメリカ人的にはおもろいのか?
あの聴衆の笑い声は本物?
警官のホメ言葉は皮肉?
これらも主人公の妄想かと思いきや,著書が売れてるのは本当っぽい(だけで実は...)

ジェリーのスターになってからの苦労,ストレスの吐露もあった.
劇中のジェリーは常に不機嫌でストレスを抱えている様子が執拗に描かれている.
スターも幸福ではない.
パプキンがそれに耐えれるとは思えない.
ラストシーンの出所後の初舞台では,何も話せないまま終わるような気がする.
でも,このシーンも妄想?

鑑賞後,いろいろ解釈できる映画は見ごたえがある.
『タクシー・ドライバー』も,もう一度観よう.

タクシードライバー (字幕版)

2020年は『ツール・ド・下半分』

先日,ツール・ド・フランス2020のコースプレゼンテーションが行なわれた.
今年はツール・ド・左半分,来年は下半分でどっちも山岳メインのルート.
今年はスプリンター涙目的なコース設定である.
個人TTも一つしかないうえ,しかも山岳ゴール.
復活前提のフルームやデュムラン,ログリッチェはともかく,これでTTスペシャリストも涙目.

主催者は一体誰を勝たせたいのか?
このコースに向いてるフランス人選手いたっけ?
もはやバルデは無理やろうし.
ピノかな?
アラフィリップの激走が再び見られる?
でも,やっぱり最後は例のチームかなぁ...まさか,再来年はツール・ド・上半分ってこたぁないやろね.

現状頭が痛いのは,東京オリンピックのおかげでスタートが例年より早い6月27日になったこと.
毎年J-Sportsの1ヵ月登録(月単位契約なので7月のみ)だけをしているので,最初の第4ステージまではダイジェストか海外オンデマンドしか視聴できない.
今年だけ配慮して「TDFパック」とか作ってくれへんかなぁ.
そういや毎年第1ステージだけは無料視聴だっけ.

どのチーム応援かというと,やはり例の赤黒軍団かな.
あれだけ強いと逆に爽快感がある.
フルーム復活するかなぁ...

グランツールでは,ジロ・デ・イタリアをDAZNの1ヵ月登録(こっちは登録日から1ヵ月)で観ている.
ジロと言えば,なんつっても2018年第19ステージのアレでしょう.

↓ジロ・デ・イタリア 2018 第19ステージ【2018年のベストレース1位】
https://youtu.be/AirQGSzscbA

これ生放送で観ましたよ.
ここ数年のスポーツ中継でここまで興奮したことはありません.

2017年のデュムランも別の意味でかなりのインパクトでした.
ライド前にココアを飲みすぎてはいけません.

ブエルタ・エスパーニャはダイジェストのみ視聴.
ブエルタはブエルタでレースそのものより,そのコース設定や運営のユルさが笑える.

超人たちの祭典,今から楽しみである.
そういや東京オリンピック,暑いので危険というなら,ロードレースも北海道に移したらええのに.

外国語の習得は難しい(その2)

外国語の話のはずだったが,Kazchariの半生記もしくは旅行記っぽくなってきたので,以降要点だけ.
それぞれのエピソードは別の機会に.

伊丹決意したのは良いが,ではその方法はどうする?
そうだ,現地に住めば嫌でも話す,話せるようになるという単純な発想で,この決意の約10年後,Kazchariは青年海外協力隊に参加して英語圏で2年間生活することとなる.

↓JICA海外協力隊
https://www.jica.go.jp/volunteer/application/seinen/

はたして語学力は向上したのか,ネイティブ並みになったのか,その結果は...いやぁ,ダメでした.
いわゆる業務会話はわりと流暢に話せたが(ワンパターンなので),日常会話やパーティ会話は全然身につかず,帰国直後に受けたTOEICでも640点程度.
今はもっと下がっているはず.
今,思うに(その1)で書いた原則やら実践をあまり行っていなかったなぁ...と思ふ.

と済んだことを後悔,反省していても仕方がない.
終活中なのだ.
残りの人生,行動あるのみ.
再挑戦してやる.サイドバーでオススメされていた別の動画も観た.

『どんな言語でも簡単に習得できる方法.マシュー・ユールデン』

まとめると以下の通り.

【要約】
1) 母国語との共通点を探せ ⇒ 日本人だとハングルか中国語?
2) シンプルに ⇒ 複雑な言い回しはドツボにはまる
3) 状況と必要性に関連させよ ⇒ 効率よく
4) 1日30分,定期的に短く勉強 ⇒ 少量頻回で習慣化
5) ラジオや映画を言語で楽しむ ⇒ 学習と並行して

【ルール】
1) その言語を使いながら生活する ⇒ 夢まで見れたら最高
2) 間違えよ ⇒ 人は失敗から学ぶ.※ここやね,恥を恐れすぎ
3) 競争を楽しめ ⇒ モチベショーン維持に欠かせない

(その1)で紹介した動画と言っていることはほぼ同じやね.
結局,王道しかないということか.
習慣化が何より重要.
特にルール№3には完全に同意.
自分には実績がある.
そう自転車だ.
ここ2年間ほど毎日乗っていても飽きない.
これも全てSTRAVAのおかげ.記録と競争は偉大だ.

次の旅まであと2ヶ月を切った.
さぁ,インドネシア語をマスターするぞ!(えっ?)

旅の指さし会話帳2 インドネシア(インドネシア語)[第3版]