留学を嫌がるJK~費用か経験か

2022/10/26 Wed

もし自分だったら.

先日,知人からKazchariに「娘さん,交換留学に興味ない?」との話があった,

留学先はアメリカ合衆国イリノイ州
日本人の留学先として人気だそうな.

この話をもらった後,娘にLINE連絡.
すぐさま「やだ」という返事があった.

まぁ,娘の性格を考えると...そうやろな...の想定内.

入学時期にズレがあるので,今の高校を1年間休学することになるのだが,これが娘にとって一番の問題なのだろう.

親であるKazchariは大賛成で,ぜひ行ってほしいところである.

語学が身につくかどうかはともかく,10代のうちにこんなエキサイティングな経験ができるなんて,実にうらやましい.一生の宝となろう(たぶん).

もし,Kazchariがその立場だったら...行くね.

と,かく言うKazchariも高校生の頃は海外なんて全く興味がなかったけどな.

大学生になって始めた新聞社の編集部バイトで,政治・経済や宗教,海外事情について興味を持ち,やがて青年海外協力隊の存在を知り,個人旅行経験を経て,本気で参加を考えるようになった.

親や友人など,特定の誰かに海外体験を勧められたわけではない.
しいてあげれば自分で買って読んだ書籍からかな.

まっ,そういうことでしょう.
内発的動機に勝るものはない.

では現状,うちのJK娘は何を望んでいるのか?

高校卒業後は家を出て,関西の芸術系大学に進学したいらしい.
目当ての学校・学科はあるものの,具体的な職業イメージはまだない.

親として,私立だけは勘弁とだけ伝えている.
ずばり教育費が大問題.

たとえ公立大学に進学したとしても,単純計算で学費が年間120万☓4で,おおよそ500万.
さらに一人暮らしが加わると,その倍はかかりそう.
大阪の祖母宅に居候し,そこから通うとしても,生活費の援助は必要だろうし.

人生の晩年になって,ついに子供の教育費問題が出てきたなぁ.
10年前から続けているインデックス積立投資によって,娘の方はなんとかなりそうだが,うちには次のアホ息子も控えている.

世間のみなさんの,子どもの教育費に関する気苦労が身にしみる.

話を元に戻す.
もし,娘が今回のアメリカ留学に行きたいと言ってきていたら,どのくらい費用がかかっていたのだろう?

アメリカ高校留学費はどのくらい?~公立と私立の費用比較~

これはあくまで学費.
プラス生活費となると...

円安に伴い,日本も物価の上昇が凄まじいが,欧米はそれ以上と聞く.
先日,YouTubeでこんな動画がオススメされていた.

それでも生活できているということは,それだけ高給と言うことなのだろうか?
貯金や投資に回せる余裕はなさそう.

いざ,娘の留学が決まって諸費用を計算したら...たぶん,こっち(親)の生活が詰む.

それでも機会があれば,自らの意思と金で旅行でもいいので海外体験はして欲しいな.

自分探しとは言わない.

でも,旅に出ると,コミュ力,想像力,危機管理能力,度胸など己のスペックを嫌というほど認識させられる.
仮想的自己有能感なんぞ,いとも簡単に破壊されるだろう.

アフリカ,アジア,北米,南米,欧州をあてもなく彷徨い,太平洋の島々でダイビング.
今思うに夢のような日々だった.

そして今がある.

ジャークチキンがコンビニで?~ジャマイカの食べ物

2022/3/15 Tue

そーいや,全然食べてないわ.

iPhone11 Pro

某SNSでのつながりに,青年海外協力隊のジャマイカ時代,同時期に活動していた隊員がいる.
彼女は元々が大のジャマ好きで,今でも関連投稿をよくする.

その彼女が先日「セブンイレブンからジャークチキンサンドが出た!」と投稿していた.

以下,引用.
―――――――――――――――――――――――――――

美味 一般ピーポーにも買って貰えるスパイス量だけど、スパイス内容はジャマイカ本場スタイルから遠く離れていない。これが街角でこの値段で買えるって素晴らしい。お試しあれ

―――――――――――――――――――――――――――
「ジャークチキン」とは,ジャマイカの名物料理.
スパイスやら何やらに漬け込んだ鶏肉を炭火焼きする料理である.
食堂をはじめ,屋台や道端でドラム缶を半分にぶったぎったグリルで焼いていることが多い.

Nikon Coolpix950 / 2002年撮影

店や個人ごとに味付けにかなり違いがあるものの,作るにしても食べるにしても失敗しようがない料理と言える.
ネットで検索すると様々なレシピが出てくる.

つーことで,そのセブンイレブン製の「ジャークチキンサンド」を早速買ってきた.

iPhone11 Pro

開封する.
もちろん冷えている.
これは温めた方が絶対美味いヤツ.
トースターで2分ほど焼く.

iPhone11 Pro

一気に見た目アップ.

食べる.
確かに美味い.

本格的かどうかと聞かれると...パンチ,つまり辛さが少々足りない気もする.
まっ,そこは個人の好みで味付け.
デスソースをかけるとか...

ブレアーズ ホットソース サドンデス ジョロキア デスソース 150ml

この「ジャークチキンサンド」はおそらく季節限定品.
見かけたら買うべし.

もちろん,ジャマイカ・ビール「レッドストライプ」も用意すべし.

Jamaica beer ジャマイカ ビール レッドストライプ 330ml/24n

さて,ここでジャマイカ滞在中の2年間の食生活を思い出してみる.
まず「ジャマイカ料理」でネット検索.

現地で絶対食べたいおすすめジャマイカ料理10選

このサイトで紹介されている料理が一番イメージに近いかも.
ジャークチキンに次に「アッキー&ソルフィッシュ」も有名だが,こちらはほとんど食べたことがない.よって味も覚えていない.

↓これが生で食べたらあかん「生アッキー」

Nikon Coolpix950 / 2002年撮影

そして,旅行者ではなく居住者だったので,朝晩はほぼ自炊.
Kazchariが住んでいたのは,人口6000人ほどの地方都市セントアンズベイ.

ここの公立病院に勤務し,敷地内にある寮で寝泊まりしていた.
幸い冷蔵庫があったのでスーパーで肉や卵を買っても保存できた.

まず朝食.
トーストにジャムを塗って食べる.
サイズがやたらに小ぶり.

Nikon Coolpix950 / 2002年撮影

昼は病院の売店.
「パティ」をほぼ毎日.
これとコークなどの炭酸.
よくこれだけで保ったものだ.

Nikon Coolpix950 / 2004年撮影

休みの日などで町に出た時はファーストフードのハンバーガー.
日本にも進出している「バーガーキング」がお気に入り.

Nikon Coolpix950 / 2003年撮影

夜は自炊.
基本メニューはチャーハン.
まず米(長粒米)を鍋で炊く.
ブロックで買った凍ったチキン胸肉を必要な分だけ包丁で削ぐ.
レタス,肉,玉ねぎを適当に切る.
オリーブオイルで上記材料を炒め,中華ソースでからめて食べる.
まぁ...不味くはない.栄養が摂れれば良し.
何度作ったことか...

Nikon Coolpix950 / 2002年撮影

ベーコンが手に入った時は「巻かないロールキャベツ」

Nikon Coolpix950 / 2003年撮影

めったに売っていない「ひき肉」が手に入った時は「ハンバーグ」

Nikon Coolpix950 / 2003年撮影

日本から救援物資が届いた時は「カレー」作ったなぁ(ルーなんて便利なモノは売っていなかった).

Nikon Coolpix950 / 2002年撮影

どうしても,作る気がでない時はインスタントラーメン(香港製).

Nikon Coolpix950 / 2003年撮影

たまーに(半年に一度くらい)首都のキングストンに戻った時は,隊員宿舎で飲めや歌えの大宴会.
料理好きな隊員が色々作ってくれるので助かる.
何より日本語で会話できるのがうれしかったりする.

Nikon Coolpix950 / 2003年撮影

他にも,ローカル価格のため,格安で利用できるオールインクルーシブホテル.
もちろん食べ放題なので,ここぞとばかり肉,肉,肉.
とは言え,悲しい事に,普段のストイックな食生活のおかげで,そのいざという時あまり入らない...シクシクシク36.

とまぁ,思い返しても現地の名物ってあまり食べていない.
これは長期滞在のジャマイカに限らず,他の旅先でも同じかも.
例えばタイだと屋台のぶっかけメシばかり食ってる.

Kazchariはグルメに興味がない,もしくは味音痴?

違うな.

各種エスニック料理は日本で食うのが一番美味い.正にアレンジの妙.

話は変わるが,ジャマイカの国旗は超カッコよい.

構成もカラーも.
個人的に世界で一番イケテルと思う.

つーことで,セブンイレブンの「ジャークチキンサンド」おすすめです.

『南の島の大統領』を観た~モルディブの思い出

2021/11/10 Wed

個人の力で世界は変わるのか.

南の島の大統領 -沈みゆくモルディブ-(字幕版)

新コロのせいでここ最近海外に渡航できていない.
となれば,過去の訪問先に関する映画でも観て思い出に浸りますかぁ...と思って観たこの映画,見事にテンション・ダウン系でした.

モルディブは,この世の楽園と称されるインド洋の島国.
Kazchariは1994年と2011年の2度,訪れたことがある.

噂にたがわぬ,それはそれは美しい国である.
日本でもハネムーン先の候補によく挙げられる.

1994年,最初の訪問時はモルディブが目的地ではなかった.
元々は南インド旅がメイン.
まずはカルカッタ(コルカタ)からスタート.
数日後,列車にてマドラス(チェンナイ)へ移動.

インド経験者ならわかると思うが,いわゆる“インドらしさ”は有名な観光地が集中する北部に凝縮されている.
とりわけ「ボラれた」「騙された」などのトラブル系に関しては北インドの圧勝.
バナラシ,アグラ,ニューデリーとかは地名を思い出すだけで腹立たしい...ってそれが“らしさ”でもある.何もかもみな懐かしい.

その点,南インドは違っていた.
一言で表現するなら平和で紳士的.
北で散々お見舞いされながらも身に着けた料金交渉術が,南では全く役に立たない(いい意味で).
タクシー料金も固定,宿代も食事代も固定.
ボラれているのではない.普通にfixed priceだった.
駅でもバス停でも客引きが寄ってこない.
米中心の食事も美味いし,人もおだやかで親切.
これは後年,スリランカに行った時も同様に感じたので,大陸の南地域はそういう基質の住民が多いのだろう.

それはさておき,インド大陸南端に近いトリヴァンドラムという町を散策中,旅行代理店に貼ってあったモルディブの観光ポスターに目が留まった.
美しい写真であった.
そしてこの町から往復US$100で飛べるとのこと.
これは安い.
それまではモルディブなんて,バックパッカーに無関係な国と思っていたが,
これは面白そうと行ってみることにした.

有名な話だが,モルディブは島ごとに機能が分散している.
ざっと分けると空港島,首都マーレとなる行政島,リゾート島,ローカル住民島そして無人島である.

で,インドからあっと言う間に着いた空港.
宿も何も決めていない客はめずらしく,かつインドからの入国ということもあり,めちゃくちゃ怪しまれた.久々の荷物総チェックだった.

スタンプをもらってロビーに出ると旅行代理店のカウンターがあった.
よくわからないまま食事付きのリゾート,一泊US$60に決める.
ちなみに前日は1泊60インドルピー(約¥600)の宿に泊まっていたのだが.

空港島からはボートで島まで移動.
それほど離れていなかった.
宿はコテージタイプ.
目の前は白い砂浜と青い海.
いや,ただもうびっくりするぐらい美しい風景で,正に天国(あれですよ,炭治郎の深層みたいな).

計算外だったのは、このリゾート島の客はドイツ人オンリー.
レセプションの表記もドイツ語オンリー.
知らなかったが,モルディブには1島1リゾートおよび(場所によっては)1島1国という法則もあるようなのだ.
もちろんスタッフに英語は通じたので問題ない.

ここで人生初めてのスキューバダイビングにチャンレンジした.
いきなりモルディブ・ダイビング.
初心者ドライバーが「いきなりベンツ」に乗るようなものである.
体験なのでそれほど深いところまで潜れないが,逆にそれが良かったかも.
陽が差すサンゴ礁にカラフルな小魚の群れ.
カメラも何も持っていなかったが,あの海は今でも鮮烈に覚えている.

となれば,帰国後直ぐにライセンス(Cカード)を取得して,ダイビングにはまりそうなものだがそうはならなかった.
本格的なダイバーデビューは,約10年後にジャマイカで,ということになる.
最初が良すぎたのだ.

時は流れて2002年.
青年海外協力隊の派遣前訓練のためKazchariは長野県駒ケ根にいた.
訓練時間のほとんどは現地語の取得に費やされる.
入所早々の選抜テストによって,まずクラス分けされた.
Kazchariの派遣先ジャマイカは英語圏なので英語クラス.
全部で8クラスだったかな? 上から4番目のクラスだった.
その時,一緒になったのが「職種:音楽」としてモルディブに派遣予定のIくんだった.
確かまだ現役の音大生ではなかったかな?
20年前ではあるが,ほぼ毎日顔を合わせていただけあって,今でも顔を覚えている.
モルディブの隊員OBから「あそこで2年も過ごしたら人間ダメになるよ~」と散々脅されていた.他にもモルディブの食事は「カリー」「カツオ・カリー」しかないとか...
今どうしているのだろう.無事,音楽教師になれたのだろうか?

さらに時は過ぎて2011年.
既にガチ・ダイバー(フォト派)に進化していたKazchariは,満を持してモルディブ・ダイビングクルーズに参加.
以下,写真をいくつか.

OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS E-5 / 2011年10月撮影
OLYMPUS XZ-1 / 2011年10月撮影
OLYMPUS XZ-1 / 2011年10月撮影

ジンベイ・スイムを経験できたり,ローカル住民島,無人島に上陸できたりとこれはこれで楽しかったのだが,気づいたこともある.
モルディブ行くなら,クルーズではなく島リゾート滞在が良い.
クルーズの場合,深場にてマンタやジンベイなどの大物狙いポイントに行くことが多い.
Kazchariはサンゴ礁に群れるハナゴイ,岩場やイソギンチャクに隠れるエビ・カニの方が好きなのだと気づいた.

そして...やはり白いビーチと青い海,ヤシの木の下でくつろぐ時間がないと!
プラス,ローカルな人たちとの交流も欲しい.

ダイビングクルーズはとにかく忙しい.
寝るか食べるか潜るの3点.
それがいい,それを求めているという人には良いけど,忙しすぎるクルーズはもういいかな,という感じ.

そんな一個人,一旅人の身勝手な印象はさておき,冒頭の映画の話にようやく戻る.

観客にモルディブの美しい風景を見せて,ウエルカム!という映画ではなく,硬派なドキュメントである.
以下,Amazon Prime Videoにおけるあらすじ.

ジョン・シェンク監督作品『南の島の大統領-沈みゆくモルディブ』は,モルディブのモハメド・ナシード元大統領のある一年間を描いた物語である.当時彼は,世界の他のどんなリーダー経験したよりも大きな問題に直面していた

知らなかった.
Kazchari滞在中もこのような強権的な独裁政権が30年も続いていたとは...
この映画は主に2009年のコペンハーゲンで開催された「国連気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)」での声明に向け,独裁政権を倒した若き大統領モハメド・ナシード(Kazchariと同い年!)の奮闘を描いたものである.
結局は規制などが当初よりかなりマイルドになった条約が採択されたが,その削減目標を守れなかったからといってペナルティがあるわけではない(某星マーク国旗の2大国のせい).

エンドロールが衝撃的.
結局,翌年はCO2排出量がさらに増え,水没の危機性はさらにアップ.
さらには2012年,旧政権支持派のクーデターでナシード失脚...
未来の心配よりも,今を豊かに生きていきたいという人の欲望を抑えることは難しいのか.

さらにWikipediaでナシードを調べると,衝撃の事実が.

モハメド・ナシード

現在,テロに巻き込まれ重体?
なんという悲劇的な人生だろう.

折しも,現在イギリスにてCOP26が開催中.
これがまた茶番だ茶番だと騒がれている(このご時世,どうして航空燃料を使いまくって一か所に集まる必要があるのか?).

中でも,エキセントリックな言動で注目を浴びるグレタさん.
あまりも激しすぎて,主張内容はともかく,彼女を見ていると不愉快になるというのが正直な感想.

とは言え,グレタさんを批判する側の「彼女は中国を批判しない(黒幕だから)」もしくは「彼女のバックにはウォール街がついている」といった陰謀論すらも左右多数入り乱れて,わけのわからない状況になっている.
日本でもグレタさんに賛同した学生がデモをしたりしているようだ.

ここで頭に思い浮かぶのは『逆襲のシャア』におけるアムロの名言.

「革命はいつもインテリが始めるが,夢みたいな目標を持ってやるから,いつも過激なことしかやらない」

「地球温暖化懐疑説」も含め,Kazchariには何が正しいのかよくわかりません.
例えばここで何らかの意見に賛同したところで,それはネットや書籍からの情報でしかない.
また,批判側のソースも結局はネット情報.

結局”言うだけ番長”になるぐらいなら,黙って日々の省エネに努めようとは思う.
無駄なエネルギー,特に化石燃料の使用は控えるしかできない.
クルマにはあまり乗らず,リッター70kmのモンキーに乗り,休日は人力オンリーのチャリで汗を流す.
これで許してください(誰に向かって?).

『LONG WAY DOWN』の感想(その3)「エジプト~スーダン~エチオピア編」

2020/12/4 Fri

旅と旅行の間.

ユアン・マクレガーとチャーリー・ブアマンのアフリカ縦断バイク旅『LONG WAY DOWN』(LWD)をAppleTV+で視聴中.

今回はエジプト-スーダン-エチオピアの感想.
いわゆるアラブ・アフリカからブラック・アフリカへと舞台が移っていく.

以前も書いたが,Kazchariはこの番組をDVDで一度観ている.
にもかかわらず,内容を全く覚えていない.

なんてこった.

いくらDVDが英語字幕のみだったとは言え,これほど濃いドキュメントの内容すら忘れてしまうとは...自分の脳に絶望するなぁ.

実はこの現象は読書にも起きており,ここ数年は読了した本の内容をすぐに忘れてしまう.
その一方で,20代の頃に読んだ書籍,漱石やヘッセの小説に関しては,あらすじは元より,場合によっては印象に残ったフレーズやセリフまで覚えている.

結論.

若い脳は感受性が非常に鋭い.
入力された刺激や新発見を,自分の糧として取り込もうとする機能が最高潮に発揮されているということだろう.
言い換えれば,年齢を重ねる=残り時間が短いゆえに,提示された情報を,将来活用する可能性がないと脳が自己判断しているのかもしれない.

寂しい話だ.

では,探求の精神を諦めるのか?
たとえ,その場限りの喜び,好奇心の充足だけでも良いではないか,つまり「同じ対象であったとしても毎回新鮮な経験ができる」と前向きに捉えるのが良いかもしれない.
実際,老人施設などのレクリエーションを「毎回同じでつまらない」とグチっているのは当人たちではなく,スタッフ側ということはままある.

閑話休題.

さて,エジプト編である.
『水曜どうでしょう』における大泉ポジション,ユアンのスケジュールの都合があるのか,例によって急ぎ足の旅.
悪天候だろうがなんだろうがガシガシ進む.
観光名所だらけのエジプトの滞在すらも短い.
それでもしっかりピラミッドの脇をBMWで走り,内部も見学.
ええなぁ.

2004年8月のエジプトはひたすら暑かった.
あまりの暑さに一緒に旅していたヨメさんがダウン.
カイロのゲストハウスからほとんど動けず.
Kazchariはそんなヨメさんを放置して,国立美術館でツタンカーメン像を見学し,バスを乗り継いでギザへ.
冷房の効いたケンタッキーからスフィンクスとピラミッドを眺め,いよいよ敷地内へ.
そう,有名な話だがピラミッドは街に隣接している,というより後から街が発展したのだが.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z / 2004年8月17日

メキシコに次いで,何しろ暑かった.
確実に40℃越え
2リットルのペットボトルを持ち歩いていたのだが,それを一気飲みできるレベル.
水が残り半分になると不安になるので雑貨屋に買いにいくのだが,エジプトはこうした生活必需品を買う時でさえボッてくるので油断できない(厳密には紙幣を渡してもおつりを返してくれない).
他の国ではありえないので,印象はあまりよくない国の一つとなってしまった.

カイロ観光の前には,紅海沿いのハルガダにてダイビング.
Kazchari的にはピラミッドより紅海の美しさ(固有種だらけ)が印象に残っている.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z / 2004年8月13日

さて,『LWD』の一行は一週間に一便しかないスーダン行のフェリーにバイクとクルマを乗せるためアスワンへ急ぐ.
人は別便らしく,ここで不思議というかテレビ番組ならではの行動.

ユニセフのバイク診療チームのメンバーと会談するため,いったん飛行機にてケニアに入国.
交流後,再びアスワンに戻ってくるという旅程.

うーん.

こういうシーンを見せられると,やはりこれは「旅」ではなく「テレビ番組」なのだとあらためて認識させられるな.
途中でトラブルがあっても「演出でしょ」「何とかなるんでしょ」という思いが頭をよぎってしまう.

さて,スーダンへ.
これまた南北に分断される前の撮影.
サハラ砂漠とまでは言わないが,十分な悪路

舗装路がほとんどなく,チャーリーはともかく,ユアンは転倒しまくって「オフロードは好きじゃない」とグチる.
そら,パワーはあるかもしれんけど,あの巨大なGSやもんなぁ.
無理な走行が祟ったのか,ユアンとクラウディオのBMWのサスペンションが砂漠の真ん中で壊れる.
予備パーツが一つしかないので,ユアンのバイクだけ修理し,クラウディオのバイクはトラックを探してきて搬送することに...って,これも個人旅行では無理な話.

一方,自転車で旅している人も数人登場.
10年以上母国を離れ,現在スーダンを自転車旅というだけで,もう十分“アレ”な人たちなのだが...なんてうらやましい.
その間,歯の治療とかどうしてるんやろ?(そこ!?)

首都のハルツームは大都会.
イラクの副大統領が同じホテルに投宿しているらしく,やや緊張感.
しっかりBMWの修理を行い,エチオピア国境に向かう.

ちなみにスーダンから南スーダンが独立したのは2011年.
現在世界で一番新しい国家だが,その内情は悲惨.
失敗国家の代名詞とされている.

ゼロからわかる南スーダン「国づくり大失敗」の真相

お次はエチオピア

乾いた砂漠は濡れたジャングルに変わる.
ブラック・アフリカの入り口.

ジャマイカに縁のあるKazchariとしては,エチオピア=ジャーことハイレ・セラシエ,帝国のラストエンペラー
日本人にはレゲエ&ドレッドヘア&マリファナというイメージしかないラスタマンだが,本来はラスタファリズムという宗教の教えを具現化しているのがラスタマン(ラスタファリ)なのである.

ラスタファリ運動

ようするに,アフリカから奴隷として連れてこられた我らは,この退廃・堕落したバビロン(ジャマイカ)を脱出して,ジャーが統治するザイオン(天国)たるエチオピアへ帰ろう運動.
ボブ・マーリーの歌詞にもバンバンでてくる.

まぁ,実際のジャマ人は大多数がプロテスタントなので,ラスタファリは少数派.
病院で活動していたKazchariもラスタファリの患者さんを複数人担当した.

Nikon COOLPIX E950 / 2004年3月18日

さて,現代のエチオピアは,ジャマ人たちが焦がれる天国なのだろうか?
あまりそんな印象はないなぁ(特に某国に忖度しまくりのテドロス,てめーのせいだ).

さて,『LWD』の一行は,あまりのタイトスケジュールのせいか,スタッフ間の諍いが目立ってきたようだ.
ハンディカムでユアンとチャーリーが愚痴をこぼしまくっているのだが,こういう描写って誰得?

結局,こうしたギクシャク関係も快適な(?)都会のアジアアベバでの休養を経てクールダウン.

エチオピアのシャシャマネにあるラスタ村を訪ね,長老にラスタの教えを聴くユアン.
目が少々イッテル長老の話に「こいつ,何を言ってんのか,さっぱりわかんねー」という表情がナイス.
その直後,長老が倒れて『LWD』の随行ドクターが治療するという展開へ.
ホンマ,ラスタの人たちって健康なのか不健康なのかよくわからん.

現地に入植し,花卉ビジネスを展開しているイギリス人(?)のプラントも見学.
2007年当時,既にSNSが浸透しており,このイギリス人たちも,ネットで一行のルートを予測し,幹線道路に“歓迎”の横断幕を張って,二人が気づくことに期待していた.
その目論見は大当たり(仕込みでなければ...).

将来,『LONG WAY in ASIA』(仮)が制作される際には,Kazchari実行してみるかな?
稚内から樺太に渡るルート設定だと,旭川通過もありうる?

ジャマイカ&レゲエ A to Z 2010年増補改訂版

アフリカ縦断旅『LONG WAY DOWN』の感想(その1)「イギリス~イタリア編」

2020/11/27 Fri

アフリカ編を再び.

ユアン・マクレガーとチャーリー・ブアマンのバイク旅最新作『LONG WAY UP』を7日間の無料トライアルで観きれなかったため,600円払って一か月間延長した.
結果,12/20までAppleTV+を楽しめることになった.

そこで今度は,2007年のアフリカ縦断バイク旅『LONG WAY DOWN』(LWD)を視聴.

実はこの『LWD』に関しては,輸入盤のDVDを所有し,一度通して観ている.
ただ,残念なことに日本語字幕がなく(英語字幕あり),Kazchariの英語力では細かなニュアンスを追いかけることは不可能だった.

もちろんAppleTV+の放送ではしっかりと日本語字幕が付いている.
あらためて観ると,色々発見があって面白い.
というか,内容を大方忘れており,ほぼ初見状態.

(一応)二人の旅程を追いつつ,心にうつりゆくよしなしごとを,そこはかとなく書きつくろうと思ふ(徒然草か).

さて,旅は前回同様に準備段階から始まる.
2007年の旅なので画像や音声がややプア
これは仕方がない.

以前アップした『LWU』の記事では「旅の途中でユアンの奥さんが突然出てきて興醒め」という感想を書いたが,今回確認すると序盤のうちから合流することは既定路線でした.
失礼しました.
それでも不要やったと思うけどな(チャーリーも同意).

『LONG WAY UP』の感想(その5)「中米編」

旅は例によってロンドン市内に基地を作るところから始まる.
そして,通過するアフリカ各国のビザ取得などの事務手続き.

Kazchari自身はアフリカでの陸路国境越えは未経験だが,ビザ申請も大変で,さらには北や西アフリカのイミグレーションでは賄賂要求が横行しているとのこと.
想像するだけでも面倒くさい.
無事通過できたら話のネタになるけどな(ゲームクリア!)

アフリカと言えば,疫病・治安・不衛生で有名.
バックパッカーの間でも,「アフリカ行くなら30代が限界」などと言われていた.
それくらいキツイ.

思い起こせばKazchariの初めての海外旅行はケニア-インド-ネパール行(1989年)
今は知らないが,当時はアフリカの多くの国で黄熱病のワクチン接種,つまりイエローカードの所持が義務付けられていた.

後の青年海外協力隊参加時(2002年)には,黄熱病,A型肝炎,B型肝炎,破傷風,狂犬病,日本脳炎,ポリオ他のワクチン接種したように思う.
自分で打つと結構な料金.協力隊だと無料...おっと税金です.
この中で特に重要なのは狂犬病やな.
野良犬はマジ怖い.

そういえば,オーストラリアのカンタス航空が,海外からの搭乗に際し,新コロワクチン接種証明書の提出を義務づける予定とか.
まぁ,当然の処置でしょう.

出発数週間前のユアンの交通事故による腓骨骨折やら,スタート地点に向かう空港でのチャーリー暴言-逮捕事件(何があった?)を経ていよいよスタート.

今回の使用バイクは『BMW R1200GS Adventure』

文句なしにカッコよい.
個人的にバイクデザイン史上最高かも.

ただしあまりに巨大な車体ゆえ,平均的な日本人の体格ではまず扱えない
平均以下のKazchariではなおさら...(泣)

たまーに極端にシートアンコ抜きした機体に乗っている(小さい)おぢさんを見かけるが...無理矢理感あり.
もちろん個人の自由です.
ひょっとしたらガストン・ライエ並みのテクを持っているかもしれんしな.

縦断と名乗るだけあって,出発点はスコットランド北端
これは後の『LONG WAY UP』にも引き継がれる.

スコットランド→イングランドを縦断しつつ家族との別れ.
そしてユアンが出資している小児ホスピスに立ち寄る.
『スター・ウォーズep.Ⅲ』(2005)の公開から間がないためか,オビ・ワンネタ多め

ドーバー海峡をユーロスターで渡りフランスへ.
フランス国内はほぼスルーし,モンブラントンネルを通ってイタリアへ.
コモ湖のそばにあるモト・グッチのファクトリーにBMWで立ち寄る.
バイクの組立工程のアナログぶりというか,手作り感がたまらん(品質は?)

そういや縦置きVツインが特徴的なモト・グッチのバイク,最近日本で見ないな.
一時期(と言っても80年代後半),モト・グッチの赤い『イモラV35』が女性ライダーに大人気だったように記憶している.

オートバイに夢中だった20代のKazchari.
片岡義男を筆頭に,オートバイが出てくる小説をむさぼるように読んだ.
その中でも特に印象に残っているのが,香咲弥須子の『終わらない夏』(1987年).

終らない夏 (角川文庫)

一風変わったふわふわ小説.あらすじは以下の通り.

理解のある夫とエアロビクスのインストラクターという仕事をもって、おだやかに暮す恵子。けれど、愛車イモラでのツーリングで謎めいた「風のような男」に出会ってから、恵子の心はゆれ動く。もう一度、会いたい。そのためだけにすべてを賭けて、オートバイを走らせる。そして―。青空の引き裂くような、光につつまれるような、バイク乗りの快感とともに、愛の高揚と決別を描いた、新鮮なバイクノベルの登場!

そうそうこんな内容の話やった.
最高なのはバイク小説にも関わらず,メカニカルな描写が適当なこと(ってけなしてるんかい!).
ラストシーンはまるでアメリカン・ニューシネマ.

そして,驚くべきはその後の香咲さんの人生.
えーっ,そっち!?

ホーリースピリットからの贈りもの (日本語) 単行本

つーことで,『LWD』を堪能しよう!

『LONG WAY UP』の感想(その5)「中米編」

2020/11/22 Sun

今度は娘.

『Long Way Up』の感想その5は中米編.

通過国はパナマ-コスタリカ-ニカラグア-ホンジュラス-グアテマラ
南米編に比べ,妙にあっさりと通過した印象.
あまりネタがなかった?

そして,前作の『Long Way Down』でも(個人的に)大不評だった演出を,またしてもやらかした.

それは,テコ入れだったのか何なのかわからんが,東アフリカあたりでユアンの奥さんが合流し,しばらく一緒に走るというエピソードのこと.
おかげで男二人旅のストイックさが台無し.
不評なのはKazchariだけで,他の人は受け入れたのだろうか?

第一作『Long Way Round』におけるユーラシア極東編のあの悪戦苦闘の絶望感が大好きなので,家族との交流などという軟弱路線は不要っ!

そこで思い出すのが,バックパッカーの永遠のバイブルこと沢木耕太郎の『深夜特急』の件.

深夜特急(1~6)合本版(新潮文庫)【増補新版】 Kindle版

Kazchariもこの本のおかげで会社辞めて,東南アジアを1年ほど旅してしまいました.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(1)

この『深夜特急』は1996から98年にかけて,3部構成でTVドラマ化された.
主人公の“僕”こと沢木耕太郎役を王騎将軍(大沢たかお)が演じていたのですよ.ココココ
当然だが旅行記のドラマ化ゆえ,全て現地ロケ.

劇的紀行 深夜特急 [DVD]

さすがにアフガニスタンには入国できなかった(原作のここのパート面白い)ものの,全般にデキが良く,毎回放送を楽しみに観ていた.
倉庫を探せば当時録画したVHSテープが出てくるはず.

しかし...第三部のヨーロッパ編にて,原作にないシーンをねじ込んだおかげで全てが台無し!
これまで積み上げてきた一人旅ならではの自由や不安,孤独感や寂寥感を全て破壊しやがった.おのれ松嶋ぁ!
別に松嶋菜々子が悪いわけでなく,完全にスポンサーか事務所のゴリ押しやろな.

話を『Long Way Up』に戻す.
つーことで,今回は奥さんに代わり,ユアンの娘がコスタリカで合流.
この娘さん,実は訳ありで『Long Way Round』ウランバートルに立ち寄った際,ストリートチルドレン保護施設にいたのをユアンが養女に迎え入れたという経緯がある.
現在17歳ぐらいかな.
ブラピとアンジェのところもそうだが,西洋人のセレブがアジアの孤児を養子にする例は多いようだ.

米国の養子縁組制度

国際養子縁組制度の今.年間50人以上の日本人がアメリカで養子に?

とまぁ,環境や人権問題を旅の途中で取り上げるのも番組の趣旨なので,先の『深夜特急』ほどコンセプトとかけ離れているわけではないが,ストイックな男バイク旅を望むKazchariとしてはちょっと萎える.
ただし,娘さんの「どうして選ばれたのが私だったのかわからないが,今はものすごく幸せ」という言葉には考えさせられる.
偶然が偶然を生んで“いま”があることを改めて認識する.

さて,例によって本編とKazchariの旅の思い出を融合合体.

【パナマ】
ユアンは壊れたバイクをハーレー本社の技術者に見てもらうためコスタリカのサンホセに先行.
チャーリーは1人(+カメラマン)でパナマ運河を観に行く.
Kazchariもパナマシティから列車で運河を訪れたことがある.
その時も巨大タンカーを間近に見ることができた.
デカイです.
運河は,現在さらに拡張されているようだ.

Nikon COOLPIX E950 / 2003年9月8日撮影

初めて知ったのだが,チャーリーの父親のジョン・ブアマンは映画監督で『テイラー・オブ・パナマ』という映画を撮っている.
2001年の公開.たぶん観てない.日本ではコケた?

テイラー・オブ・パナマ [DVD]

【コスタリカ】
自然の宝庫コスタリカ.
バイクの一行はほとんどスルー.
2003年に訪問したが,Kazchariの目当てはカエル.
そうコスタリカと言えば,『水どう』で有名な極楽鳥の他,カラフルなヤドクガエルが有名.
ガイドさんを雇ってジャングルの奥へ.

Nikon COOLPIX E950 / 2003年9月12日

何気に手のひらにのせているが,もしキズがあったら...アウトらしい.

【ニカラグア】
Kazchari未訪問.
協力隊の同期によると「超つまらん国」らしい.
ただし,以下の本によると内戦で国が荒れに荒れたものの,中米は珍しい平和国家のひとつ.

世界244の国と地域 197ヵ国と47地域を旅の雑学とともに解説 (地球の歩き方BOOKS)

番組中では火山を紹介.
これは見てみたい.

【ホンジェラス】
これまたKazchari未訪問国.
これまた同期隊員によると...イマイチな国らしい.
驚いたのはサン・ペドロ・スーラに行く旅程になっていたこと.
ここは言わずと知れた“世界治安悪い都市ランキング”で常にトップを競り合うマッドマックスな町.
番組では,近くの町のUNICEFを訪問している.
今ではややマシになったが,以前は昼夜間問わず,子どもは外に出れなかったそうな.
理由は「殺されるから」
わけわからん.

【グアテマラ】
この辺りから麻薬ギャングがらみの話が増えてくる.
夜間走行を避けるべき地域がある.

Kazchariは2004年に訪問.
その際は隣国ベリーズから陸路国境を越えて入国.
ちなみにグアテマラはベリーズを独立国家として認めておらず,地図上はグアテマラの一部扱い.
ティカル遺跡を見物した後,これまたバスに乗って陸路でメキシコに抜けたのだが(チアパス州),たぶん外務省的にはヤバイ地域やったと思う.
だいたい国境地域はそういうもの.

Nikon COOLPIX E950 / 2004年4月10日 グアテマラーメキシコ国境

バイク組+娘一行は湖のそばでキャンプしたりしていたが,その間,四輪組は来るべきメキシコ通過に備え,無茶な計画を準備中であった.

次回はいよいよクライマックス.
文句も言っているけど,面白い(うらやましい)旅である点は揺るがない.

もうじき終わってしまうのが何とも寂しい.

旅の回顧写真~2004年のイースター島にて

2020/7/22 Fri

あこがれの地.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z 2004年7月9日撮影

青年海外協力隊の隊員として2年間をジャマイカで過ごしたKazchariは,2004年の4月に無事帰国.
就職活動をし,大阪から旭川に居住地を移すことを決めた後,ヨメさんと世界一周,もとい地球一周の旅に出かけた.
その最大の目的地は南太平洋に浮かぶ絶海の孤島,イースター島である.

スペイン語で「Isla de Pascua」.南米チリ領である.
言わずと知れた巨象,モアイが乱立している島として有名(後に勘違いだったことが判明).
幼少の頃からのあこがれの地だった.

タカラ・スクールパンチシリーズ『謎のイースター島』

「いつかはイースター島へ」と胸に秘めてはいたが(いや秘めてないか)何しろ遠い.そして時間と金もかかる.
よほどの覚悟がないと行けない土地なのは今も同じ.
行くなら再就職まで4ヵ月ほどあるその時しかなかった.
2004年当時,普通に日本からチリ経由でイースター島を目指すと,航空チケットだけで往復24万円ぐらいかかった.
そこで目をつけたのが『世界一周チケット』
ワンワールドグループの航空機を使って3大陸(北米・南米・ヨーロッパ)のそれぞれの都市でトランジットできる夢のようなチケットである.
なんと,その寄港地にイースター島が含まれているのだ.1年オープンで35万円.どう考えてもこれを使う方がお得.

ちなみに他の寄港地は,
日本⇒アンカレジ,カンクン(メキシコ),サンティアゴ(チリ),イースター島,プンタアレナス(チリ),マドリッド,カイロ,ヘルシンキ⇒日本
だった.

今のようなe-チケットではないので,最初にドンと分厚い束が送られてくる.
旅行が進むたびにどんどん薄くなっていくのが少々悲しいものがあった.

というわけで,6月半ばに日本を出発後,イースター島に着いたのは2004年7月8日だった.
歴史や文化の話はgoogle先生やWikipedia先生にお任せするとして,以下,モアイ写真をアップ.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
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OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

行ってみて気付いたのだが,モアイは島中に乱立しているわけではなく結構分散している.
そこへのアクセスは実際レンタカーしかない.
当時のKazchariはペーパードライバーだったので少々困った.
しかし,偶然にも飛行機が一緒のメキシコ留学されていた日本人の方に助けられた.
クルマの運転は元より,留学されていただけあってスペイン語がペラペラだったのだ.

さて,イースター島の名物はモアイだけではなかった

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

火口湖があったり,なんとダイビングサービスまである.
絶海の孤島ゆえ波が高い日が多く,潜れる日は少ないらしいが,運よく滞在中1日だけチャンスができた.
残念ながらこれっという水中写真は撮れずじまい
一昔前であれば,映画『ラパ・ヌイ』(現地語でイースター島のこと)の撮影で使われたモアイ像のセットが沈められていて,面白い被写体になっていたそうだが.

他には,倒されていた15体モアイを引き起こした日本製クレーンが放置されていたり.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

安宿のネコがやたらに人懐っこくてむっちゃ美猫だったり.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

モアイの足元でサッカーしてたり.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

と,なかなかシュールで楽しい場所であった.
やはり行って良かった.
この時はチリ,アルゼンチン,パラグアイを訪れたが南米旅の満足度は総じて高い.
それなりにリスクも高く緊張をしいられる場面もあったが,それを越える魅力がある.
めったに行けない南米大陸残りの人生用にまだ北半分を残してある

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z