新井リオ『英語日記BOY』を読んだ

2020/10/31 Sat

英語学習環境アップデート.

英語日記BOY 海外で夢を叶える英語勉強法

新井リオ著,『英語日記BOY』を読んだ.
何かと話題のこの本,最後まで読み終えた感想は…素晴らしい.
刺激になった.
最新(?)の英語学習環境構築はこうなっている!ということに目から鱗がダダ落ちた(It opened my eyes)!

忘れないうちにポイントをメモ.

【英語で日記を書く】
・「英語が話せる」とは,今言いたいオリジナル英語フレーズが瞬時に出てくること.
・「いつか自分が言うであろう英語フレーズ」を先回りして知っていなければならない.
・著者が実践したのは英語で日記を書くこと.
・自分に必要なのは「今日起きた出来事」+「今日抱いた感情」を英語で言えるようになること,つまりは日記.
・まず日本語で日記を書き,一文もしくは要約を英訳し,オンライン英会話などで講師に添削してもらう.

【英語を話せるようになるためには留学が必要?】
留学には金がかかる.
それに実は効率が良くない(大教室+日本人同士でかたまりがち).
日本に「海外と同じ環境」を作れば問題ない.

【「英語タイム制度」の導入】
・毎日最低3時間,使う言語を全て英語にする
・オンライン英会話の活用(コスパ最高!)
・英語でひとりごと

【自分の部屋を「ミニ海外」にする】
・スマホの言語設定を英語にする ⇒ done
・アプリ「スマートニュース」の設定をinternationalにする ⇒ done
・英語のTwitterだけを読む
・英語ラジオ「WNYC」を流す ⇒ done
・英語版漫画を読む(kindleあり)

【「LINE」デジタル単語帳】
(1)自分専用グループを作る ⇒ done
(2)「これ英語でなんて言うんだろう」をメモする
(3)インターネットで調べ,オリジナル例文を作る

【「Siri」発音矯正】
(1)ボイスメモで自分の声を録音する
(2)YouTubeの解説動画を見る
(3)英語設定の「Siri」に話しかける

以上が,この本の提唱する英会話取得のための方法論(抜粋).
もっと以前に知っとけばなぁ...

Kazchariが人生で一番英語の勉強をしたのは20年ほど前
青年海外協力隊の派遣前訓練から,ジャマイカに滞在していた2年間.

結局,モノにはならなかった.
人口5000人程度の町に住んでいたたった一人の日本人.
もちろん英語は毎日使っていた.
仕事を終えた後,2時間は勉強した.
それでも上手くならなかった.

何が足りなかったのだろう?

専門用語を使う業務上のやり取りは徐々に向上していったのは間違いない.
もどかしかったのは日常会話やパーティジョーク
フレーズがなかなか出てこない.
さらにリーディングもライティングもリスニングも怪しい(全部やん).

何が足りなかったのだろう?

この本の後半は著者の夢の体現者ビジネス成功者としての経験談が続く.
そういう話はあまり面白くないことが多いのだが,この本は別.
英語学習の枠を超えて,良いこと言っている.グサグサくる.

僕たちは,勉強・練習することを「デフォルト」として生きたほうがいい.「私は,〇時~〇時に英語を勉強する人間です」と思い込むのだ.

勉強は「やらなければいけないネガティブなもの」ではなく,「やると夢が叶うポジティブなもの」だという意識を持ち続けるのだ.

スキルの向上とは常に,限りなく「自分主体の課題」なのだ.

いつも後悔してきた.もっと何かができたのはないか.

海外は,ただ「努力がしやすい場所」.

自分はいま,生まれて初めて自分の意志で生きている.

海外志向の強い人こそ,これからは海外という概念を持たないことが重要になる

語学学習における最高の環境にて2年間+αを過ごしたにも関わらず,モノにすることができなかったKazchari.

足りなかったのは覚悟.
将来にわたって英語を使い続ける意志.
環境の有効活用.

そして現在.
立ち止まっていないか?
まだ終わってないか?

スペイン語とインドネシア語,ちゃんと勉強するならどっちがええかなぁ?(←おい!)

2021年9月11日はブルベ100周年らしい

2020/10/27 Tue

懐かしき日々よ.

Audax Japan BRM911北海道200km石狩

前に「AJ北海道2021年ブルベ情報」の発表に伴い,その雑感を書いた.

AJ北海道2021年度ブルベ情報

その後しばらくしてから新コースが追加.
いや,「新」ではなく復活?

その『BRM911北海道200km石狩』が開催される9月11日は,フランスで最初に200kmブルベが開催された日(1921年9月11日)から100周年にあたるそうな.
ほぉ,ほぼツールやジロと同時期に始まったということか.

フランスはもちろんのこと各国で記念イベントが行われ,なんと完走記念メダルも用意されるらしい.
つ,つまりこの日のみの限定メダルがあるということ?(推測
これは出なあかんやろ~

『R札幌』では恒例の「旭川200」の開催が告知済み.
『AJ北海道』では予定されていた「地球岬400」の日程をずらして,「石狩200」を新たに設定した次第.

このコース,どうやらいわくつきらしい.

AJ北海道での初めてのBRM開催は2005年5月7日。しかし積雪によってこのBRMは途中中止となりました。あれから16年…。AJ北海道の原点とも言える幻のBRMがACPBRM開催100周年を記念して復活します。日本海と樺戸の山を巡る200kmのコースをぜひお楽しみください。(AJHのサイトより)

このルート何が良いって,スタート地点である.
札幌市内ではなく,石狩の「番屋の湯」発.
以前訪れたことがあるが,海水浴場に近い広大な土地にあったように記憶している.

天然石狩温泉 番屋の湯

つまり駐車場問題完全解決
前日,早めにinnし,この温泉に入って(ついでに夕食)車中泊
当日朝7時の出発に間に合わせ,15時頃予定のゴール後も湯につかってから帰宅.ベネ!

コースそのものも海あり山ありで魅力的.
強いて言えばR451を使った滝川までのピストンが少々退屈かも.

いずれにせよ,今年は全ブルベ中止になってしまったので,再開が待ち遠しくて仕方がない.
ロードでは休日200~300kmの走行が標準になりつつあるが(もちろんボッチ),やはりブルベにはブルベの良さがある.不思議だ.

つーことで,ブルベ情報の更新と参加表明のお知らせでした.

Amazon Prime Videoで『ロンドン・エディンバラ・ロンドン』のドキュメンタリー配信中.
全く派手さはないが,ランドヌールなら共感できることしきり.
日本人の方も登場している.

ロンドン・エディンバラ・ロンドン (字幕版)

『世界一過酷なレース:エコチャレンジ フィジー大会』を観た

2020/8/27 Thu

ヒドすぎて笑うしかない.

世界一過酷なレース:エコチャレンジ フィジー大会

番組内容を紹介.

World’s Toughest Race: Eco-Challenge Fiji.本作は人気リアリティ番組「サバイバー」の制作者が放つ、世界規模の壮大なアドベンチャーレース。世界中から集まった66チームがフィジーで熱い戦いを繰り広げる。司会のベア・グリルスが11日間、選手たちを心身共に限界まで追い込んでいくレースを紹介する。ベテランチームにとっての目標は優勝だが、大半のチームにとっては完走することにある。 “世界一過酷なレース”を戦い抜く力があることを自分自身と世界に証明するためだ。

獲得標高が異常なブルベ豪雨・雪中ライドなど,過酷な環境に身を置き,そして無事に戻ってきた時,SNSなどでつぶやく言葉がある.

「ヒドい」「死ぬかと思った」「二度とやらん」

実はこれらはホメ言葉である.
主催者がいればそのルーティングを称え,プライベートであれば「楽しかった」と同義となる.

しかしだな,それにも限度がある.
それが今回,Amazon Prime Videoで観た『エコチャレンジ フィジー大会』
平和な大会名だが,その中身はとんでもない.
”最恐のアドベンチャーレース”とは正にこのこと.
大会そのものは2019年開催.新コロ騒ぎの前である.

そもそもアドベンチャーレースとは,スタートからゴールまで3日以上かかる超長距離レースのこと.山,ジャングル,沼,川,湖,海はては洞窟や海底など,世界各地(秘境)の自然を舞台に無茶なコース設定を無茶な方法で行う,超サバイバルなオリエンテーリング
主な移動手段はトレッキング,マウンテンバイク,パドリング(カヌー/SUP),ロープワーク(滝登り,降下)など.
いつ事故っても,いや,いつ死んでもおかしくないような展開が延々と続く.
心身ともに極限まで追い込まないと,勝負うんぬん以前に完走すら危うい

その中でも「エコチャレンジ」は特にスーパーハード.
観てる分には文句なしに面白い.

視聴中,「マジか」と何回つぶやいたことか.
45分×10回の放送なので,ボリュームもたっぷり.
全員とはいかないが,各チームメンバーの掘り下げもしっかりできている.
60歳越えの参加者もいるし,それに失聴者やアルツハイマー者もいる.
ヒューマンドラマとしてもよくできている.

スタートは,まず川から外洋までカヌーを漕ぎ,別の島へ移動.そこからトレッキングというコース.
この初日のコースすら事前告知されず,選手にとっては全く未知.
その後も,先ほど挙げたありとあらゆる移動手段で,ひたすらゴールを目指す.
もちろん途中にはメダル収集イベントチェックポイントキャンプ(強制休憩)があり,タイムアウトも設定されている.

一番エグかったのは300mの滝クライミング直後の川の遡行.
深いので泳ぐ必要があるのだが,その水温はなんと11℃!
もちろんドライスーツのような便利グッズはない.
低体温症にかかる者もいる.
実際,ここでかなりのチームがリタイヤした.

リタイヤと言えば,1チーム4人構成だが,うち最低1人は女性,かつ“全員で”ゴールする必要がある.
つまり,そこでドラマが生まれる.
誰か一人がリタイヤしそう...さぁ,他のメンバーはどうする?といった具合.

エグイのはコースだけではない.
制限時間内にゴールおよびチェックポイントにたどり着くには,睡眠時間を極限まで削る必要がある.
つまり体力・気力回復の最大の手段を使えない.遅れているチームほど厳しい.
いやぁ,400や600のブルベで寝るか寝ないか悩むのがバカバカしくなる.

日本のアドベンチャーレース界の第一人者,田中正人さんも出場している.
今回はAmazonとMGMが番組制作に入るので,配信開始前にブログなどで,レース内容を報告する行為は一切禁止だったそうな.

チームイーストウインド プロダクション

ネタばれになるが,このレースで日本チームはリタイヤとなった.
メンバーのうち2名が「塹壕足」になってしまったようだ.
まぁそうなるやろなぁ...

さて,これだけ極限まで自分を追い込んで苦労しまくった挙句の賞金は...言っちゃなんだがたった10万ドル.スタッフや機材費などを考慮するとせいぜい選手一人200万円くらいでは?

もちろん,賞金目当てに参加する人はまずいない気がする.
途中途中で参加者のインタビューがはさまれるが,異口同音に「生の充実」「生の実感」を参加理由として挙げる.
つまり真波くんだらけ.

「GRIT」という言葉がある.
自己啓発本などでよく使われるが「やり抜く力」という意味である.
アウシュビッツの生き残りから,軍隊の特殊部隊員まで,どの様な困難,肉体的精神的苦痛の限界に達しても,くじけない強固な思考・意志のことである.
これがないと,過酷なアドベンチャーレースでは,まず完走できない.

https://www.youtube.com/watch?v=Fj27OenpAas

では,そのやり抜く力,GRITを身に付けるにはどうすれば良いのか?
ある困難なことを一定期間(最低2年)し続けることらしい.
うーん,そう解釈してしまうと生まれつきの才能のような気もしてくる.

アドベンチャーレースはともかく,来年の『納沙布岬1200』では,GRITが発動しますように.

網走方面家族キャンプの巻(その4)

2020/8/9 Sun ~ 8/10 Mon

12年ぶりの収監.

OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO

家族全員が起きて来た.
朝食後,撤収開始.
相変わらず息子は戦力にならん.

「その3」では静かなキャンプ場と感想を述べたが,一つだけ例外があった.
隣というか,こちらから見て山側の家族が犬連れだった.
この雑種犬,放し飼いではないものの,うちのテントとの中間地点に刺したペグに“伸縮式の”リードでつながれているだけ.
距離をとって歩いていたにも関わらず,いきなりじゃれついてきて困った.

Kazchariは犬が好きではない.
あいつらはクサい.
その上「なめる」というコミュニケーション手段をとるのが我慢ならん.
何よりも人間に媚びる態度が(以下略)
ようするに,Kazchariはネコ派です.

にしても,犬好き派の「みんな(ウチの)犬が好きに違いない」という思い込みはなんとかならんか?
あ,これって子供(赤ちゃん)好きにも言えるか.

息子はもちろん興味津々.
近づいたり離れたりして遊んでおる.
戦力にならなかった原因の一つはこの犬.

撤収を急ぐのにはわけがある.
昨夜風呂から帰還した後,Kazchari号を木と木の間に停めたのだが,うちと他車に挟まれてちょうど動きがとれないクルマがあるのだ.
誰だか知らないそのオーナーが出発する前に,Kazchari号を動かす必要がある.
少しずつパッキングした荷物をクルマのそばまで運ぶ.
ちょうどそこへ,その動けないクルマのオーナーがやって来た.

Kazchari「すいません.動けないですよね.今すぐ出しますんで」と挨拶すると,そのオーナー(若いにーちゃん),「いいですよ~ まだ出ないんで」とさわやかに返答.
ただし,気になったのは,半袖シャツから見えている両腕にびっしりのタトゥー
別に偏見を持つわけではないが,何の職業かなと思う.
少なくとも,温泉に入れへんやん.

気になったので調べてみたらこんなページを見つけた.

【経験談】タトゥー・刺青がOKの仕事まとめ|タトゥーだらけの筆者のケースは?

以前に比べると,そんなに特別なことではなくなってんねんなぁ…と認識をアップデート

つーことで9時頃にはキャンプ場を後にする.
まず,前日に日帰り入浴したホテルに娘が忘れたバスタオルを取りに行く.
丁寧な対応に感謝

そして「網走監獄」へ.
ご存じの方も多いと思われるが,現在は刑務所ではなく,あくまで“博物館”である.
ちなみに運用中の「網走刑務所」は別の場所にちゃんとある.
殺人などの凶悪犯はおらず,刑期10年以下の短期収容施設で,4割以上は暴力団組員および覚醒剤関連だそうな.

OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO

網走監獄には朝一到着.まだ人少なめ.
入場券の販売所では,なぜか「どこから来たのか」の確認がある.
これがまぁ周囲に丸聴こえで,関東や関西の地名がポンポン飛び出すが,例の「Go to インパール」…じゃなかった「キャンペーン」で来た人たちだろうか?
近頃めっきり減っていると思われる外国人の場合,どの様に尋ねるのだろう?英語?

最近読んだ本が面白かった.

まんが アフリカ少年が日本で育った結果

筆者はカメルーンに生まれて育ったルネさん.
母親が日本人と再婚したので4歳頃から日本に住んでいる.
日本語で教育を受けたのでほぼネイティブ.しかも神戸なのでバリバリの関西弁
黒人の少年が周りからどう見られてきたか,特に日本人のステレオタイプな発想をユーモアたっぷりに紹介した本である.

首都圏に限らず,日本在住の外国籍の方は確実に増えてきている.

息子の友だちにもロシア人がいて,10歳の彼は日本語ペラペラである.
このまんがの作者やロシア人の少年に限らず,白人顔,黒人顔だと“必ず”英語が話せると思われるらしい.
日本人から話しかけられる時の第一声はたいてい英語
当然,母国語ではない英語を苦手とされる方も多い.

そりゃそうだ.
英語の世界共通語化は未達成.
逆に日本人が海外に出かけた場合,「ガイド」「商売人」「詐欺師」以外は,容赦なく自分たちの母語で話す.それに対応するため,こっちも現地の言葉を覚える.
よく考えれば,日本を訪れた人に“英語”で対応する義理はない.

とは言え,日本語のマイナーさ(とは言っても話者は1億人以上.ただし地域的に狭小)から考えると,共通語として,わずかでも知っている“英語”になるのはやむなしというところか.

似たような話で,インバウンドだかなんだか知らんが,ここ最近急激に増えた中・ハングル・英併記の看板.看板がデカすぎて景観を損ねている場合すらある.
旅に求めるのは母国同様の便利さではなく,非日常・異文化体験なのでは?
あまりに配慮しすぎると,かえって旅がつまらなくなる...と思うのは少数派なのだろうか?

そんな脳内妄想から,網走に戻る.
ここで大失敗に気づく.
この博物館も私学共済のフリー入場特典の対象だった.
保険証や割引証なんぞ持っておらん.
どこまで優遇すんねん,私学共済.
そやけど,ゴールドカード年会費の件,あれはダメだ.

チケットを買っても,なぜかもぎりの人はいない.
実質スルー? なんてアバウト.

敷地内は非常に広い.
全部回るためには結構な体力が必要.
詳細は公式サイトにて確認していただくとして,撮影したものをのせる.

OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO

どうして花写真ばかり?

OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
iPhone11 Pro
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 Mk-II / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 IS PRO

前回(12年前)訪問した3月は寒々感が強かったが,今は夏.明るい.
それに施設や展示物がクレードアップしている気がする.
インバウンド効果のおかげかも.
これまでなかった北海道推しマンガ『ゴールデンカムイ』関連の展示もちょこちょこと.

「網走から北見へとつながる道路建設に受刑者たちが従事させられていた.その過程で多くの受刑者が死んだ」事実をやたら悲劇的な出来事として,妙に囚人側に同情的な演出が気になった.
犯罪人だから何をしてもいいとはもちろん思わないが,アメリカ並みに“加害者”や“受刑者”の人権が強調されてないだろうか?
まぁ当時の発想では刑務所は「懲罰施設」であって「矯正施設」ではない.
人の命,ましてや犯罪者の命は今よりはるかに軽い時代だったのは間違いない.

そういや,先日レビューした『正義の教室』でもパノプティコンの話があったな.
網走監獄の斜め格子五翼放射状房は,より効率的な監視システムへの過渡期的設計なのかも.

刑務所と言えば刑務作業
多くの展示物があったが,網走監獄で作られた加工品や農作物は非常に評判が良かったとのこと.
現代の刑務所の話になるが,昔,Web記事でこんな比較表を見たな.

【刑務所とブラック企業の比較】

労働時間    8時間厳守       最低12時間
通勤手段     徒歩数分     満員電車1~2時間
朝食         健康食      食べない
昼食         健康食      コンビニ弁当
夕食         健康食      コンビニ弁当
夕食後        自由        仕事
残業         無い        当然
残業代        無い       サービス
休憩         あり       喫煙時のみ
土日祝      確実に休み      出勤か接待
年数       刑罰に応じる     倒れるまで
健康       健康になって出所    ボロボロ

さて,けっこうな気温の中,ほぼ全ての展示物を見学後帰路へ.
めったに来ない地域なので,行ったことのない道の駅『東藻琴』へ向かう.
ここで昼食.

iPhone11 Pro
iPhone11 Pro

昨夜の『ARCADIA』ステーキの衝撃が収まらぬ中,無謀にもここでもステーキを注文.
まぁ,美味しかったかな(そんなもんです).
やはり道東は肉だ.

ようやく帰路へ.
往路と同じ道だと面白くないので,帰りは高速を使わず,下道(石北峠)を通る.
特に大きな事件もなく(あったら困る)無事帰宅.
ずっと運転していたせいか,もはや持病となっている頸コリが悪化
そろそろ病院かな.

こうして年に一度の家族キャンプは終了(本当に?)
次は一人で行きたいなぁ...ボソっ

『崖の上に街があった』を観た

2020/8/4 Tue

迷い道くねくね.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z / 2004/8/5 Cordoba,Spain

オリンピックが中止…おっと,延期になったり,甲子園が中止になったりと,番組編成に苦慮しきりのNHK.
録画予約中のレギュラー番組が特番になっていることが多々ある.
そしてそれが大当たりの場合も.

今回,知らずに録画されていたのが『NHK神秘のヨーロッパ絶景紀行「崖の上に街があった」』という番組である.内容をサイトから引用.

ヨーロッパの国々の、断崖の上にある街の美しい風景や住人の暮らしなどを紹介する。ギリシャ・エーゲ海のサントリーニ島やノルウェーのフィヨルドなど、大西洋や北極圏を半周して集めた空撮映像が登場。標高が高いそれらの街は道が険しく、水も十分ではないという。そんな不便な断崖の街の魅力に迫る。

さすがのNHK.ドローンを駆使した素晴らしい映像である.
有名どころからツール・ド・フランスで観たような街まで,どれもこれも美しい.

こういう街って,自分で実際に歩いても「白い壁の狭い通路が視界いっぱい」で絶景に会いにくい気がする.
いつ撮影されたのかわからないが,出演者(一般人)へのインタビュー内容からすると,コロナによる移動制限中のようで,観光客の姿がほとんどない.
後世に残る貴重な映像になるかもしれない.

ドローン撮影と言えば,2016年にメキシコのラパスに行った時にお会いした,”セレブしか客にしない”という歯医者さんが大型ドローンを持参していた(PHANTOMとかいうヤツ).
ダイビングボートから飛ばして真上から撮影するなど,ホンマにプロみたいな画像撮ってたなぁ.
ドローン撮影は国によって規制が厳しく,撮影許可が下りないどころか空港にて問答無用で没収されることもあるとか.

そのドローン,最近はすっかり盛り下がっている.
確か,流行りだした頃って自動追尾式が一般コンシューマーに広まって(安くなって),自分の旅姿を第三者的視点で記録しまくれるようになるという噂もあったが,現状そこまで普及していない(たぶん).
いや,技術的には可能かもしれないが,規制の方が厳しくなったのかもしれない.中華製の独壇場やしね.

さて,番組内容に戻る.
Kazchariはあまりヨーロッパに詳しくない.
行ったのは2004年の地球一周旅で立ち寄ったスペイン,ポルトガル,フィンランドぐらいか? 端っこばっかりやな.

番組で紹介されたような崖上の街の雰囲気に一番近かったのって,スペインのコルドバかな.
いかにも~な迷路的路地裏に点在する民宿バルフラメンコテアトル浴場もあったっけ?
ものすごく暑かったことを覚えている.

崖の上にある街はほぼ城塞都市.外敵の攻撃を防ぐ造りになっている.
増改築を重ねて迷路の様…って守備には好都合か.

ただし,番組内容にも書いてあるが,生活そのものは不便そう
坂が多いし悪天候の時はどうなるやら…
そして買い物は?
ものすごく細い路地をクルマが走っていて驚く.すごいテクだ.

それにしても旭川というか今の居住地は平和だ.
台風も地震も火山も原発も(ほとんど)ない.
懸念の雪も近年は暖冬でそれほどひどくない.
また,我が家は川から離れた高台にあるのでハザードマップ上も安全地帯にある.
引っ越す前は全く気にしてなかったなぁ.

去年に引き続き西日本の水害がひどい.
もし引っ越すことがあるなら,ハザードマップを意識する必要があろう.

改めて当時のコルドバおよび一日観光したモロッコの写真を見なおしてみる.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z / 2004/8/5 Cordoba,Spain
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z / 2004/8/5 Cordoba,Spain
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z / 2004/8/5 Cordoba,Spain
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z / 2004/8/6 Tanger,Morocco

こうして探してみてもあまり街の写真を撮ってないな.
さほど写欲が掻き立てられなかったか…

2004年の旅からは写真のテクというか撮影方法の知識はついた
今,行くならもう少しマシな画を撮れる気がする.

年老いたらヨーロッパを巡る旅もええね.
そのためにもチャリで健康維持

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z / 2004/8/6 Lisbon,Portugal

旅の回顧録~2015年のコ・タオ

2020/7/30 Thu

正気の沙汰とは思えない.

OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO

旅の回顧録シリーズ.
今回は2015年10月コ・タオ-ダイビングである.
コ・タオ(KohTao)は「タオ島」という意味のタイ語.

この島には1993年の東南アジアバックパッカー旅でも立ち寄った.
逆算すると22年ぶりの来島となる.

1993年の旅ではバンコクから深夜バスで南部のチュムポーンという町へ行き,そこから船に乗り換えてタオ島に渡った.
他の旅人のおすすめで行ったのだが,見事なまでにさびれた島で,ボロボロのバンガロータイプの安宿に泊まった記憶がある.
島の散策でも,ヤシの林の中の未舗装路が延々と歩き,旅行客向けの店もほとんど見かけなかった.
残念ながらとある事情により,その当時の写真は残っていない.

その後のタイの経済成長および観光開発に伴い,タオ島もすっかり姿を変えた.
人の往来が増え,船や港が立派になり,リゾートホテルが立ち並び,外国人向けの飲食店が増えた.

昔が良かったとは言わない.
自分がそれだけ年を取ったいう事実だけがある.

2015年の旅ではSTWのダイビングツアーに申し込み.利用ショップはタイで有名な,ほぼ日本人限定の「BIGBLUE」
羽田発8日間14Dive付で約23万円と手ごろな値段だった.しかも器材レンタル無料といううれしいサービス付き.預け荷物の重量に悩まされずに済む.

ツアーと言っても現地まで一人旅.Kazchariの場合は旭川発となり,羽田→バンコク→サムイ島までは飛行機.サムイ島からは船でタオ島に渡った
宿も決まっており送迎もスムーズ.もはやバックパッカーではない自分がいる.

OLYMPUS XZ-2
OLYMPUS XZ-2
OLYMPUS XZ-2
OLYMPUS TG-3
OLYMPUS XZ-2

夕食は久々のタイ屋台めしの代表たるカオ・パット.めちゃめちゃ美味い.
一人旅の夜は何もすることがない貴重な時間.特に初日は.

翌朝,ホテルを出て「BIGBLUE」に隣接する食堂へ.朝食である.

OLYMPUS XZ-2
OLYMPUS XZ-2

別のホテルの敷地内を通って,まず小さなボートに乗り込む.そして海上に浮かぶ大きなダイビングボートへ.
「BIGBLUE」だけでなく,他のショップのゲストとここで合流し,ポイントへ向かう.

ここまでは順調.いつものダイビングツアーの始まりである.
しかし悲劇はこの初日の,しかも1本目のDiveで起こった.
ジャイアントストロークで海に飛び込んだ際,左足を後方に強く引きすぎてしまい,踵の上方を船のへりに思いきりぶつけた.

少し嫌な音がしたような気がしたが,痛みもなかったため,ただの打撲のはず(と祈った)...

いずれにせよ,ドリフトダイビングだったので,飛び込んだ以上潜るしかない.
確かに足首の動かしにくさは感じたが,フィンキックそのものはむしろ足首,膝を固定し股関節の屈伸で行うので,潜ることはできた.

タオ島の海は透明度が低く,濁っているものの,それは栄養豊かな証拠でもある.結果,群れの規模が半端ない

さて,1本目のダイブを終え浮上する.
ラダーにかけた左足の踏ん張りが全く効かない.
重器材を外し,スタッフに手伝ってもらいながらようやく船上に.
左足首を見るとわずかに腫れている.

OLYMPUS TG-3

続いて,2本目,3本目も潜るものの,もはやジャイアントストロークは不可能(重器材をかついだまま立てない).
船の縁に座りながらゆっくりと沈む.

予定のダイブが終了し,港に戻る.
左足を引きずりながらショップ経由で宿へ.

アキレス腱が切れる時は,かなり大きな音がするという.
その時は何も聞こえなかった.
「まさか,こんな外国の離島でこんな大けがを負うはずがない」と,障害受容段階でいうところの否認期全開(一応リハビリ職なので知識はある).

ツアーを打ち切って強制帰国? まさか.
なんとかしなければならないと焦る.
偶然にも宿の目の前が病院だった.もちろん旅行保険にも加入済みなので,診察してもらうことにした.

問題は…内科の病院だったこと…
医師の診断は「打撲」.もちろんレントゲンは撮っていない.
抗炎症の塗り薬と包帯をもらって終了.3000円くらいだったか.

OLYMPUS TG-3

結局,大事を取って翌日のダイビングはキャンセル
痛みはないのだが,腫れがひどくなったため氷をもらってひたすら冷やす
この日は退屈で退屈で仕方がなかった.
外は快晴.なのに南の島で丸一日,一人で部屋にいることのむなしさよ…

ここで決断.
「明日からはダイビングに参加してやる! でないと後悔する!」
このおっさん,正気か?

以下,その後のDiveで撮った写真を数枚.

OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS TG-3
OLYMPUS TG-3
OLYMPUS TG-3
OLYMPUS OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO

結局,3本ほどDiveがキャンセルになってしまったが,写真のデキはおおむね満足.
素晴らしい海だった.
特に群れ好きの人におすすめしたい.

「BIGBLUE」のスタッフにもお世話になった.
このツアーの半年後,カオラック側でも利用させてもらったのだが,本当に気持ちの良いショップだった.
そやけど,心の中では「潜るのやめてくれ~」と思ってたやろなぁ…

無事(?)日程を終え,往路と逆ルートで帰国.
街中,空港と,道中ずっと左足を引きずっていたのは言うまでもない.

旭川到着の翌日,整形外科を受診.
ひと目見るなり,医師からは「アキレス腱断裂」の診断が下された.

今思うに,地上よりも海中の方がはるかに自由に動けた.不思議なものだ.
こういう記事を書いていると,やはり猛烈に海に行きたくなってくる.

新コロのせいで観光客がいなくなり,自然環境が凄まじく回復しているらしい.
喜んでいいのか,悲しんでいいのか.

旅の自由が再開すれば,また荒れてしまう.
行っていいのか,悪いのか.

OLYMPUS XZ-2

OLYMPUS XZ-2
OLYMPUS TG-3

旅の回顧写真~2004年のイースター島にて

2020/7/22 Fri

あこがれの地.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z 2004年7月9日撮影

青年海外協力隊の隊員として2年間をジャマイカで過ごしたKazchariは,2004年の4月に無事帰国.
就職活動をし,大阪から旭川に居住地を移すことを決めた後,ヨメさんと世界一周,もとい地球一周の旅に出かけた.
その最大の目的地は南太平洋に浮かぶ絶海の孤島,イースター島である.

スペイン語で「Isla de Pascua」.南米チリ領である.
言わずと知れた巨象,モアイが乱立している島として有名(後に勘違いだったことが判明).
幼少の頃からのあこがれの地だった.

タカラ・スクールパンチシリーズ『謎のイースター島』

「いつかはイースター島へ」と胸に秘めてはいたが(いや秘めてないか)何しろ遠い.そして時間と金もかかる.
よほどの覚悟がないと行けない土地なのは今も同じ.
行くなら再就職まで4ヵ月ほどあるその時しかなかった.
2004年当時,普通に日本からチリ経由でイースター島を目指すと,航空チケットだけで往復24万円ぐらいかかった.
そこで目をつけたのが『世界一周チケット』
ワンワールドグループの航空機を使って3大陸(北米・南米・ヨーロッパ)のそれぞれの都市でトランジットできる夢のようなチケットである.
なんと,その寄港地にイースター島が含まれているのだ.1年オープンで35万円.どう考えてもこれを使う方がお得.

ちなみに他の寄港地は,
日本⇒アンカレジ,カンクン(メキシコ),サンティアゴ(チリ),イースター島,プンタアレナス(チリ),マドリッド,カイロ,ヘルシンキ⇒日本
だった.

今のようなe-チケットではないので,最初にドンと分厚い束が送られてくる.
旅行が進むたびにどんどん薄くなっていくのが少々悲しいものがあった.

というわけで,6月半ばに日本を出発後,イースター島に着いたのは2004年7月8日だった.
歴史や文化の話はgoogle先生やWikipedia先生にお任せするとして,以下,モアイ写真をアップ.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

行ってみて気付いたのだが,モアイは島中に乱立しているわけではなく結構分散している.
そこへのアクセスは実際レンタカーしかない.
当時のKazchariはペーパードライバーだったので少々困った.
しかし,偶然にも飛行機が一緒のメキシコ留学されていた日本人の方に助けられた.
クルマの運転は元より,留学されていただけあってスペイン語がペラペラだったのだ.

さて,イースター島の名物はモアイだけではなかった

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z
OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

火口湖があったり,なんとダイビングサービスまである.
絶海の孤島ゆえ波が高い日が多く,潜れる日は少ないらしいが,運よく滞在中1日だけチャンスができた.
残念ながらこれっという水中写真は撮れずじまい
一昔前であれば,映画『ラパ・ヌイ』(現地語でイースター島のこと)の撮影で使われたモアイ像のセットが沈められていて,面白い被写体になっていたそうだが.

他には,倒されていた15体モアイを引き起こした日本製クレーンが放置されていたり.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

安宿のネコがやたらに人懐っこくてむっちゃ美猫だったり.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

モアイの足元でサッカーしてたり.

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

と,なかなかシュールで楽しい場所であった.
やはり行って良かった.
この時はチリ,アルゼンチン,パラグアイを訪れたが南米旅の満足度は総じて高い.
それなりにリスクも高く緊張をしいられる場面もあったが,それを越える魅力がある.
めったに行けない南米大陸残りの人生用にまだ北半分を残してある

OLYMPUS CAMEDIA C5050Z

旅の回顧写真~2013年のレンベダイビングにて

2020/7/17 Fri

「ストックフォトを使って写真で稼ごう!」と思っていた時がKazchariにもありました.

OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro

Amanaimagesにアカウントを作って,さぁ投稿と思ったら色々と制約が厳しい.
特に人物が写っているものは許可が必須.
一方で人物写真でないとなかなか売れないとか.

というわけで,“稼ぐ”は諦めて,より気軽に投稿できそうなinstagramを本格的に始めた.
アカウント自体はかなり以前に取得していたのだが,ほぼ放置.
投稿写真のテーマはこのブログ同様,チャリと水中写真がメイン.

両方を趣味にしている人は少ない気もするが,まぁ良いでしょう.

当初は元々の知り合いしか見ないので,当然「いいね」も「フォロー」も少ない.
最近ようやく「ハッシュタグ」の存在と意味を知り,写真の説明に記入してみる.
すると面白い.色々な国,職業,年代の人が次々に見てくれる.
こりゃクセになるわ.

さて,最近は一日一枚のペースでアップを続けている.
時々フォローがあると書いた.
その方の写真を確認する.
正直言って,うーんな人のフォローバックはしないことにしている.
ようするに写真から“こだわり”が感じ取れるかどうかで判断.えらそうだ.

せっかくなので,instagramの小さいコメント欄にはハッシュタグだけつけて,その写真にまつわる思ひ出うんぬんはこちらのブログで語ってみようかなと思った次第.たぶん不定期やけど.

さて,今日instagramにアップした一枚は,2013年9月19日8:10に撮ったこれ.

OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro / f2.8 1/160 ISO200

場所はインドネシアのレンベ
レンベと言えば,マクロというか変ないきもの天国
いわゆるマック・ダイブである.
差し棒で泥土をぶすぶす刺しながらの被写体を探し.
レンベではエビ,カニ,ボロカサゴたちが主なターゲット.
そこそこ大きな物から,1cm未満の極小物まで.
まるで宝探しの様.
結果,1回の潜水時間が70分以上と長い長い.水温が意外に低いので,防寒が重要かも.

大物が迫ってくるのを待ったり,群れに囲まれるのも悪くないが,マックのような宝探しも面白い.
じっくり写真が撮れるという点で,自分に向いているかも.

黒い泥の上を,とんでもないデザインと色彩のウミウシほかがうごめいている.
そのコントラストが面白い.

写真をいくつかピックアップ.あえて魚類以外を.

OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro
OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro

特に,この時のダイブはガイドさんとほとんどマンツーマンだった.
どれだけ粘っても周りに気を遣う必要はない.
最近のダイブでは,こうした”じっくりマクロ”してないなぁ.
いや,全体を通じてもこの時のレンベが最初で最後だったかもしれない.

新コロが終息したら,「じっくりねっとりマクロ撮影ダイブ」から再開させたい.
絞り開放,全集中でピント合わせ!

この旅では,レンベで泊まった宿「ヨスダイブ・ヴィラレンベ」も忘れがたい.
部屋がキレイな上に食事も最高.少人数制ゆえか,こちらのリクエスト通りのものを作ってくれるのだ.
味も文句なしにうまい.
実に快適な宿だった.

何よりも,テラスから見える海の景色が好きだったなぁ.

OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZ

ゴダイゴ『銀河鉄道999』English ver.

2020/6/15 Mon

実はおっさん向けソング

言わずと知れた神曲.ゴダイゴの歌う劇場版『銀河鉄道999』の主題歌である.
Kazchariはどストライク世代.
アニメも観たし,曲も数えきれないぐらい聴いた.
それに,旅先での長距離バスや列車の中でも,一人ボソボソ歌ったなぁ...

曲も良いが,なんと言っても歌詞が素晴らしい.
特に2番
もう聴くたび,歌うたびに泣ける
著作権上,歌詞をどこまで書いていいのかわからないので一部掲載.
そう,ここ!

♪そうさキ~ミはぁ気づいてしまぁったぁ~ 安らぎよりも素晴らしいぃものぉにぃ~

の部分.
元,いや心はいつでもどこでも旅人の,Kazchariの胸に突き刺さるのだ.
あ~旅に出たい.

ゴダイゴのメンバーは外国人がいたり,ボーカルのタケカワユキヒデが外語大出身だったりするためか,通常の日本語版に加え英語版だけのCDも発売されている.
Kazchariも所有.今ではAmazon prime musicでも聴ける.

GODIEGO GREAT BEST 2 HQCD, 限定版

ある日,チャリの洗車をしながら聴いていると,「あれ? これって日本語の歌詞と意味が全然違うくね?」と気付いた.

https://www.youtube.com/watch?v=MD5gHh9_W5I

もうひとつの有名曲「ガンダーラ」なんかは,日本語と英語でそれほど変わらないが,この曲は意味合いが全然違う.
英語歌詞原文の掲載はまずいと思うので,Kazchariが適当に訳したのが以下.

ついに終わりかと思ったさ
でもこの長い旅はまだ終わってなかった
探検すべき場所はまだたくさんある

誰も知らない宇宙のどこかで
輝く星の海で
別の星が呼んでいる
探し続けろと

夢みる限り
若いころの情熱は燃えつづける
焦がれる限り
キミは人生に退屈しない

銀河鉄道999はキミを旅に連れてくよ
終わりのない旅へ
星への旅へ

だいたいこんな感じ.
なんと,いきなり旅が終わっとるがな.
日本語版は出発前の心境.英語版は到着してからの感慨.
日々の生活に疲れている(元パッカー)おっさん向けソングに変わっている.
こりゃ,ささるわ~

自由人だった頃は,毎日会社に行き,定期的な収入があり,家族がいて,娯楽情報をチェックするという平凡な生活に憧れた.
いざ,その生活を手に入れると今度は逆に何をしても自由,気の向くまま必要最低限の旅生活,すなわち食べる,寝る,観るに徹することができた時代に焦がれる.

人とは贅沢な生き物だ.
Kazchariは現在そこそこの社会的地位もあり,日々の楽しみにも事欠かない.控えめに言って幸福.
しかし,何者でもなかったあの頃へのあこがれは未だにある.

ちなみに,ささきいさおの歌うTVアニメ版もOP,EDともに素晴らしい.

https://www.youtube.com/watch?v=IqEqEhG0L_Y

コロナ後の旅

2020/6/4 Thu

そうさ君は気づいてしまった

人生初の海外旅行.インドのバラナシ.1990年3月.大学の卒業旅行で訪れた.
貧乏旅行バックパッカーブームの真っただ中であった.
地球の歩き方』を片手にいかに安く旅行するかを競い,ハードな交通手段をあえて選び,陸路の国境を越え,ダニだらけのベッドに耐え,詐欺師と闘うなど数々のクエストをクリアし,自分の能力を試し,勝利に酔い,失敗しても何とかなるさとつぶやく.
愛読書は『深夜特急』と『ゴー・ゴー・インド』だった.

深夜特急(1~6) 合本版 Kindle版

新ゴーゴー・インド (日本語) 単行本

時は流れて2020年.新コロ後の海外旅行について,旅行業者やブロガーが次々に記事をアップしている.

まず,悲観的な意見として,

【航空運賃が高くなる】
感染対策への巨額投資.
座席数を減らす=客数が減ることで,コスト増
格安運賃,LCCが消滅することにより競争原理が働かなくなる.
オンライン会議が普及し,企業の出張が減る.

【終息までまだまだかかる】
先進国はともかく,Kazchariが好む途上国や秘境では新コロ終息に,より時間がかかる.一説にはワクチンの完成が2020年末.全世界に行きわたるのが2021年末…

【入国手続きが大変】
これまでのように日本のパスポートホルダーならほぼフリーパス…ではなくなり,健康状態に関する検査や聴取が煩雑になる.

【外国人差別】
客商売ならともかく,一般の人の外国人観光客への視線が厳しくなる.息が詰まりそう.治安も悪化しているかも.

次に楽観的な意見

旅ホリック,旅しなければ生きている意味がないと感じる人々が,反動によって大挙してでかける可能性がある.特にバカンス大国のヨーロピアン.
日本政府も検討中のようだが,旅行クーポンの発行などにより,航空運賃の値上げがペイできる.
また,多少料金が上がったとしても,以前よりお得感がある.つまりダイビングに関して言えば,しばらくヒトが海に入らなかったため,かつてないほど自然環境が回復しているらしい.

Kazchariもここ十何年,毎年海外旅行に出かけていた.
最近は旅行会社の海外ダイビングツアーに申し込むことが多い.何しろ楽.日本人経営のショップだと,英語すら使わずに全てがスムーズに進む.ダイブクルーズに至っては寝るか食べるか潜るかしかできない.

何もかも自分で手配する方が,安くて融通がきき,面白いプランが組めるのはわかっている.
しかし,Kazchariも一応社会人なので帰国できなくなるような不測の事態はなるべく避けたい.

しかし,ダイビングもたいていの有名どころ,行きたいところは潜ってしまった(ガラパゴスやココ島はまだだが).
そろそろ,昔に戻って古式ゆかしいパッカー旅を再開したくなった.

きっかけは最近楽しみに観ているこのシリーズ.

このYouTuberさんの旅,若き日のKazchariが1993年に10ヵ月ほどかけて回った東南アジア周遊コースによく似ているのだ.
もちろん,この動画ほど飛行機は多用しなかったが,ラオスの街並みなんて懐かし過ぎて涙が出た.一方でこの30年間の発展もしっかり感じた.
もう一度あの地に立ちたい.これも思い出補正にあたるのだろうか.

昔と今ではバックパッカースタイルもかなり変わったようだ.
以前は飛び込みで宿を探すことが普通.予約したくても方法がないし,電話があっても語学堪能でなければ電話での会話はハードルが高い
宿を確保できたらできたで,次は情報収集.
有名な安宿にはたいてい情報ノートがロビーにおいてあり,有益な(?)情報が得られたものだ.
もちろん直接会話による情報はより貴重.特にとんでもないへき地で日本人を見かけるや否や,もう互いにしゃべりまくる

今のパッカーは,それぞれが端末を持っているので,情報から予約まで全て事前検索.宿では個室にこもり,SNSにひたすらアップしたり,YouTubeでお笑い番組を観ていることが多いとか…

その行動を否定するわけではない.かく言うkazchariも次にパッカー旅に出るとしたら,必ずスマホを持参する.保証付きの便利さと安全は捨てがたい.
部屋にこもることはしたくない.けど,おっさんに話しかけられても,若いパッカーは引くやろうなぁ…日本語に飢えてなさそうやし

後,あれやな.若者が困っていたら周りは助けてくれる.おっさんだと,みんな冷たそう.そういう意味でも旅立つなら若いうちに

何はともあれ感受性が全く異なる.パッカー旅を経験できてよかった…って,まだ行けるで!

1990/3/24 アグラ-インド