旅の回顧録~1993年のカンボジア(4)

列車の旅が、良い

1993/3/17 Wed

AM4:00.起床.簡単に荷造りしていると,隣のベッドの西洋人も起きた.
「バタンバンに行くのか?」
「ああ」
「ついてっていいか?」
ドイツ人,クンツが仲間になった.

AM5:00.プノンペン駅.
電灯がついておらず,真っ暗な駅で途方にくれていたところ,タイ語を話す僧侶を発見.
チケット窓口やらプラットホームの番号を教えてもらう.
うーむ,しかしこちらから「プーツ パーサ タイ ダイ マイ?(タイ語を話すか?)」なんて尋ねるようになるとは,我ながら成長したものである.
この坊さん,タイ-カンボジア国境の街,アランヤプラテートまで行くらしい.
外国人には許可されていないが,僧侶は陸路で国境を越えることができるのだ.

列車がホームに入ってきた.
待ちくたびれた人々が群がる.
しかし,7両編成の列車のうち,客車の数はわずかに2両ほど.
他は貨車やら家畜輸送車両である.
つまり全員が客車に乗るのは不可能.
実は僧侶に話しかけて「トモダチ」になったのは理由がある.
思惑通り,人々は僧侶に席を譲る.
それに便乗してクンツと2人,席を確保できた.
くっくっく.計算通り!

客車に入りきれなかった人はどうするのか?
列車の屋根に登るのである.
窓から見える景色がすばらしい.
草原-森-草原と変化に富む.
村落内を通る.
一見,牛車を引いた人が歩くのどかな風景なのだが,その村には「DANGER MINE!(地雷危険)」と書かれた赤い立て札があちこちに立っていた.

水程度しか持参しなかったのだが,意外に食事には困らない.
列車が停まると,地元民が飲み物や串焼き(ビーフ!),果物をカゴを下げて売りにくる.
中でも「蜘蛛の姿焼き」に驚愕.
タランチュラサイズの蜘蛛の脚を1本づつちぎって食べた後,黒い団子状になった胴体部にかじりつくのである.
さすがにこれは食えなかった.

PM4:00.試しに屋根に上がる.
この時間になると車内よりはるかに涼しい.
それにすばらしい眺めである.
世界屈指のワイルド路線でないか.
何人か旅行者らしき者もいた.
「Capitol」で会ったY氏が,日に灼けて真っ赤な顔で座っていた.
下痢が治りたてなのに大丈夫なのか?

PM6:00.終点バタンバン駅着.
駅から少し歩くとホテルだらけである.
しかも新しい建物が多い.
アンコール・ワット観光が(一応)できるようになってから建てられたのだろうか?
結局「23-TOLA HOTEL」 のツインをクンツと一人US$5でシェアすることにした.

夕食は駅前の屋台街へ.
ひさしぶりの「ぶっかけめし」と...てっきりゆで玉子だと思って手にした,インドシナ名物「もう生まれるんですタマゴ」もしくは「半熟ひよこタマゴ」を初めて食す.
コリコリとした舌触りがなんとも...珍味である.

帰り道,とある商店のテレビにニュースが映っていた.
情報収集しようと画面を観ていると,その店の人たちがイスを薦めてくれるわ,お茶をくれるわ,商品のミネラルウォーターをくれるわでさぁ大変.
タイ語を解するじーさんとコミュニケーションをとる.
日本で働いているという息子の写真を見せてもらった.
23日にまた来ると約束し,家族全員と固い握手.
すごく単純なことだけど,不思議に感動して泣いてしまった.
「これだから旅はやめられない」とつぶやきつつ,ホテルに戻る.

KazchariとクンツとY氏,それに同じホテルに泊まっていた日本人のO氏と4人で,明日タクシーをシェアし,アンコールの町,シムリアップに行く相談をする.
(その5へ)

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