2020/6/8 Mon
知らぬ間にヒトは成長する
息子が小学校入学以来続けていた「そろばん教室」をやめた.
深刻かつ照れ笑いが混じったような顔で「あのね,怒られるかもしれないけど,そろばんもうやめたい」と自分から言ってきた.
最初は”自転車で行けないのが嫌だ“とか,”学童保育を途中で抜けていくのが面倒くさい“とかなんとか色々理由をつけていたが,ようするに向いてなかったのだろう.
なかなか集中できず,他の生徒さんに迷惑をかけることもあったらしいが,新コロによる教室閉鎖の前までは続けてきた息子.
結局,そろばんも借り物のままだった.
そろばん教室の先生によると,閉鎖のせいで習い事の間があいたために,続かなくなってしまった事例は多いようだ.
幸いにも,息子は同様の措置がとられたにもかかわらず「英語教室」と「体操教室」には行きたいと言っている.
いずれにせよ,やめたいという意志を言葉にした息子はエラいと思う.
男児の言語能力の発達は女児より遅いという.
さらに大人になってもコミュニケーションの量的・質的な男女差は明確.もちろん個人差が大きいのはわかったうえでの感想である.
よく言われるのが会話の目的.
相談事に対し,男性は答えを求める,もしくは解決法を提案してしまう.
それに対して女性は自分の気持ちへの共感を求める.
女性同士の会話をそばで聞いているとそれがよくわかる.互いの話を聞いていない,誰も答えていない,解決になっていない,オチはどこへ?
そう,場の雰囲気の共有が大事.
岡田斗司夫ゼミでも話題にしていたが,未来少年コナン第四話「バラクーダ号」におけるコナンとジムシーの関係が,もう完璧に男の子していてわかりやすい.
酔っぱらったジムシーをかばって,尻たたき40発の罰を受け,お尻が真っ赤に腫れあがったコナン.
意識が戻ってからも決してジムシーに理由を説明しない(恩着せがましくない).
ジムシーが悪態をついて仕事をさぼっても責めない.
一方のジムシーも,自分のせいでコナンが身代わりになったことを知った後でも決して謝らない.
そう,男の子は言葉でなく態度で表す.口で謝ったり,相手に嫌味や皮肉を言うことはかっこ悪い(し,そこまで語彙が豊富ではない).
家族でこの回を視聴後,Kazchariがこのやりとりの宮崎演出をベタ褒めしても,ヨメさんはピンときていなかったようで,以下の様に解説した(しなきゃいいのに).
「あのな,男の子が何かした時,なぜそうしたと責めても答えられない.謝りたくてもプライドが許さない.言葉にせずとも,表情や行動で反省していることがわかったら,それ以上責めたらあかん.追い込むだけ…と心理学では言われています」(最後は小声)
これぞまさに地雷原会話.
もう一つ,評論家の橘玲(たちばな あきら)の書籍にこんな話が(意訳).
大人は無口な子どもが苦手である.
何を考えているかわからない=恐怖心をあおられるから.
同じいたずらをした子供でも,言い訳だろうが何だろが話す子は許してもらえる可能性が高い.
しかし無口な子の場合,詰問している大人をよりいらだたせてしまう.
無口な子どもは誤解もしくは本音を聞いてもらえないまま育つ.
結果,話さなくても生きていける世界,つまり自分のことを皆が知っている=生まれ育った環境から出ようとしない.
一方,言語能力の高い子どもは,その能力を使えば周りは許してくれる,失敗しても上手く切り抜けられるという経験を得,その自信からどんどん世界を広げ,そして出ていく.
これは言語能力が男性より高い女性の方が,海外留学率が高いというデータとも関連がある.
さぁ,我が息子はどうなるのか.
魔の思春期を越えて,黙って背中で語る旧型オトコになるのか,口八丁手八丁で世界を渡るプレンゼン型ニュータイプに育つのか.
まだまだ予断は許さないが,楽しみだ.