『奇跡の2000マイル』を観た

2020/1/23 Thu

ロードムービーは難しい

奇跡の2000マイル(字幕版)

Amazon Prime Videoで映画『奇跡の2000マイル』を観た.もちろんZwiftしながら2日に分けて.

この映画の前に,ロバート・レッドフォード主演の『ロング・トレイル!』を鑑賞.80歳になろうかという名優の,いや,じいさんの旅に共感.後半に少しだけ事件が起こるが全体にゆるーい雰囲気で話が進む.基本的には毎日同じことの繰り返し.長旅ってこうでしょう.主人公のつぶやきはレッドフォード自身のそれなのだろうか.

で,この『奇跡の2000マイル』(原題:『TRACKS』)の話である.こちらはノンフィクション小説がベース.70年代.オーストラリア在住の20代前半の女性が人生に悩み,家族や故郷から離れて(あくまで国内ですが),ラクダを調教し,その後,7ヵ月の砂漠横断にチャレンジする話.

原作『ロビンが跳ねた―ラクダと犬と砂漠 オーストラリア砂漠横断の旅』は1990年に邦訳が出版されているものの現在絶版.Amazonでは上下巻の上だけ読んだ人のレビューが一つだけアップされていたが,これがまぁ不評.元々文才がない上に前半は愚痴が延々と続き,単なる旅日記になっているそうな.まぁ想像つくわな.原書はkindleで入手可能.試しに市立図書館のサイトで検索をかけた所,蔵書していた.とりあえず借りてみよう.読み切れる自信がないけど.

Kazchariはオーストラリアに行ったことはない.PNGで知り合ったオートバイおたくのJamesから,いつでも遊びに来いと言われているのだが,何故か興味がわかない未踏の地.

バックパッカー間で一世を風靡したかの有名な落書きがある.

金の北米 女の南米
耐えてアフリカ 歴史のアジア
何もないのがヨーロッパ 問題外のオセアニア
豊かな青春,惨めな老後

こいつのせいかもしれない.Kazchariはこの落書きが書いてあったとされるバンコク楽宮旅社に1993年に泊まったことがあるが,それはまぁ味のあるホテル(というより牢獄)でした.一階の北京飯店のメシは美味かった.パッカー達のたまり場がチャイナタウン(楽宮,ジュライ)からカオサンへ移行する時期だった.

昔話はさておき,以下,映画の内容に触れます.

【良かったかもしれない点】

・わざとらしい感動を狙っていない.
・映画的というより,ところどころで写真的な構図が美しい.
・砂漠映画だがあまり空撮に頼っていない
・人恋しさからつい〇〇してしまう気持ちはわかる
・しかし,カイロ・レン(ことアダム・ドライバー)がアップの時には,なぜか顔にハエがたかる.“うざい”の暗示?
・アポリジニの案内人役が素晴らしい.
・海.
・エンディングロールで原作者の写真が映される.もちろん女優さんより重装備.ついでによりオーラがある.

【ここはちょっと...】

・邦題が良くない.距離を出した方が印象に残るから? 欧米の書籍や映画の原題って素っ気ないモノが多い.読む側,観る側の想像力にまかせるってことか.
・そもそもオーストラリアってキロ表示じゃなかったっけ? 昔は違う?
・はたしてこれは一人旅なんだろうか? 登山物やったらアウト.
・どうしてラクダに乗らず,歩くのだろう? 乗り心地の問題?
・ノースリーブ,パレオ,サンダル,帽子無し,サングラスなし.この服装で砂漠旅?
・暑さと寒さがあまり伝わらないのはなぜ? 寒暖の差が激しいと思うのだが.
・主役の顔がキレイ(美人という意味ではない).汗かかない.渇きに苦しむ場面がほとんどない.日焼けも翌日完治.
・犬事件後,裸でうろつくシーンは事実? いきなり脳内ファンタジー路線?
・途中のバイクライダーの意味は?(スズキ400で記録を作る云々とか言っていたが)

どこまでが演出で,どこまでが原作に忠実なのかわからないが,結局,この主役って何者なのだろう?

父親は冒険家(研究者?),母親は自殺,愛犬と引き離され,(心配はしてくれる)友達はいるけど,親しみは全く見せない.計画性があるのかないのかよくわからない.知恵と工夫で乗り切った描写も特にない.最終的に何かを悟った感もない.この主役にどう共感しろと?

ようするに,登場人物の心情を含めストーリーへの没入感はおいといて,美しいビジュアルを観るのが目的なら満足いくかも.当時のナショナルジオグラフィックに掲載された写真は素晴らしい.本映画撮影時のイメージボード集(?)も販売されている.

Inside Tracks: Robyn Davidson’s Solo Journey Across the Outback

『奇跡の2000マイル』,ラストの砂漠と海の対比はオススメです.

ちなみに,現時点で最強のロードムービーはこれだと思います.

世界最速のインディアン

外国語の習得は難しい(その2)

外国語の話のはずだったが,Kazchariの半生記もしくは旅行記っぽくなってきたので,以降要点だけ.
それぞれのエピソードは別の機会に.

伊丹決意したのは良いが,ではその方法はどうする?
そうだ,現地に住めば嫌でも話す,話せるようになるという単純な発想で,この決意の約10年後,Kazchariは青年海外協力隊に参加して英語圏で2年間生活することとなる.

↓JICA海外協力隊
https://www.jica.go.jp/volunteer/application/seinen/

はたして語学力は向上したのか,ネイティブ並みになったのか,その結果は...いやぁ,ダメでした.
いわゆる業務会話はわりと流暢に話せたが(ワンパターンなので),日常会話やパーティ会話は全然身につかず,帰国直後に受けたTOEICでも640点程度.
今はもっと下がっているはず.
今,思うに(その1)で書いた原則やら実践をあまり行っていなかったなぁ...と思ふ.

と済んだことを後悔,反省していても仕方がない.
終活中なのだ.
残りの人生,行動あるのみ.
再挑戦してやる.サイドバーでオススメされていた別の動画も観た.

『どんな言語でも簡単に習得できる方法.マシュー・ユールデン』

まとめると以下の通り.

【要約】
1) 母国語との共通点を探せ ⇒ 日本人だとハングルか中国語?
2) シンプルに ⇒ 複雑な言い回しはドツボにはまる
3) 状況と必要性に関連させよ ⇒ 効率よく
4) 1日30分,定期的に短く勉強 ⇒ 少量頻回で習慣化
5) ラジオや映画を言語で楽しむ ⇒ 学習と並行して

【ルール】
1) その言語を使いながら生活する ⇒ 夢まで見れたら最高
2) 間違えよ ⇒ 人は失敗から学ぶ.※ここやね,恥を恐れすぎ
3) 競争を楽しめ ⇒ モチベショーン維持に欠かせない

(その1)で紹介した動画と言っていることはほぼ同じやね.
結局,王道しかないということか.
習慣化が何より重要.
特にルール№3には完全に同意.
自分には実績がある.
そう自転車だ.
ここ2年間ほど毎日乗っていても飽きない.
これも全てSTRAVAのおかげ.記録と競争は偉大だ.

次の旅まであと2ヶ月を切った.
さぁ,インドネシア語をマスターするぞ!(えっ?)

旅の指さし会話帳2 インドネシア(インドネシア語)[第3版]

外国語の習得は難しい(その1)

なにげにYouTubeを見ていると,TEDxでこんなネタがあった.

『どんな外国語でも半年でマスターしてしまう方法』

まとめると以下の通り.

【5つの原則】
1)自分に関わる部分に集中しろ ⇒ 映画のやり取りがわからないのは当然
2)最初からコミュの道具として使え ⇒ 習ったら使え!
3)メッセージを理解したら,その言語は無意識に使える ⇒ 相手のいいたいことを察しろ.状況を分析!
4)トレーニング! ⇒ 筋トレと同じ.習慣の力
5)心理理面が重要 ⇒ 恥・間違いを恐れるな

【7つの実践法】
1)たくさん聴け ⇒ スピードラーニングにも意味がある
2)言葉より先に意味を知れ ⇒ 非言語メッセージを見逃すな
3)組み合わせよ ⇒ 難しい語彙は憶えていなくても大丈夫
4)核に集中! ⇒ 頻繁に使う単語は何だ? それほど多くないはず
5)外国語の親を見つけよ ⇒ 気を遣わず,かつ的確に指摘してくれるマスターは貴重!
6)顔をまねよ ⇒ 正しい発音は顔全体で発する
7)イメージに直結せよ ⇒ 母語に訳すな

字幕プラス個人的な解釈なので,おかしい所もあるかもしれないが,だいたいこんな感じのことを言っていた.

今回のブログ開設もそうだが,終活の一環として様々なことに挑戦もしくは再挑戦を考えている.
外国語習得もその一つに加えたい.
この原則と実践法は大きな示唆を与えてくれた.

一般に日本人の場合,外国語≒英語という発想になろう.
英語ねぇ...中学までは得意っつーか,好きだったなぁ.
英文法はまるでパズルようだった.
思えばその認識があかんかったのかもしれん.
高校では並みの成績となり,大学では単位を取る為に講義に出て聞き流すだけで,全く興味の対象ではなくなっていた.

転機を迎えたのは大学の卒業旅行である.
初の海外は約5週間の個人旅.
当初はアフリカに行きたいという動機から予定を組んだものの,紆余曲折があり,結局ケニア2週間,インド・ネパール3週間の旅となった.
『地球の歩き方』を持ってのバックパッカー旅である.

出発前は「全部英語圏か.まぁなんとかなるやろ」という認識だったが,見事に玉砕.
こちらが言いたいことはなんとか言えたものの(事前に会話集で調べたりとか),返答の内容がわからない(ケニアはまだまし.インド英語は...).
現地の人との食堂やホテルでのやり取りだけならさほど問題なかったが,他国からの旅行者との世間話やジョークは全然成り立たない.
自分の言語能力の低さにあきれかえった.
今思えば,単純に語学力だけではなく,性格起因の対人関係力に問題があったことがわかるのだが,当時はそれに気づかなかった.

伊丹決意(当時は大阪伊丹も国際空港)ではないけれど,英語をなんとかしてやろうとこの時誓ったのだった...(その2に続く)