『GoPro ダイブハウジング』を買った

2019/11/21 Thu

いよいよ来週末から,インドネシアはラジャ・アンパットへのダイビング旅.
現在,旅の準備中.

今回のラジャ旅はクルーズ船で重器材レンタル無料.年に1度くらいしか使われないMy器材より,よっぽど信頼できる.そして荷物が減るのがありがたい.

今回に限らず最近のダイビングでは,水中にカメラを3台持ち込んでいる.

【1台目】
メイン機材は,『OLYMPUS OM-D E-M1』に『45m防水プロテクタ PT-EP11』,『防水レンズポート PPO-EP02』,『M.ZUIKO DIGITAL ED 8mm F1.8 Fisheye PRO』もしくは『M.ZUIKO DIGITAL ED 60mm F2.8 Macro』.これに『INON D2000』の2灯体制.状況に応じて各種INONライトを装着.
重てぇ.水中では浮力でやや軽くなるとは言え,フルサイズの人,よく持てるなぁ...

OLYMPUS TG-4

MarkII用のプロテクタは高くて買えないし,これでも十分通用する.

【2台目】
みんな大好き『OLYMPUS TG-5』+『プロテクタ PT-058』.OM-Dがワイド装備の時はマクロ用に,マクロの時はワイド用に.
『TG-3』の頃から継続買い替え購入.コンデジならではの利便性から,陸でも大活躍.現状,最も多用している機種.当ブログのチャリ写真はほぼこれ.全天候対応,超絶マクロ,多彩なコンバージョンレンズ,それになんといっても壊れないのが良い(いつの間にか電池開閉ブタの爪が折れてたけど).ダイビングでは万が一の浸水事故でも本体+データが無事なのが良い,と安心してたらなぜか毎回浸水する.カメラは無事でも浸水するとレンズが曇るのです.今回はOリングを新品にする予定.

OLYMPUS TG-5用 防水プロテクター PT-058

すっかりプレミア化してるなぁ.今から買うなら『TG-6+PT-059』の組合せの方が良い.性能はあまり変わらない.

【3台目】
オリ渾身のアクションカメラ(だったはずの)『OLYMPUS TG-Tracker』は動画担当.セルフィをつけることで自撮りはもちろんのこと,岩の隙間の撮影やウツボのドアップなどが撮れる.打倒GoProのはずが,見事に1代限りでシリーズ消滅っぽい.
画質良好・超広角・耐衝撃と性能はいいのになぁ.水中WBも実装されていてフィルター不要で青被りしません.デザインもかっこいい.
弱点は重いこと.GoProの倍くらいあるかも.さらにケチがついたのはハウジングなしで30m防水のはずが,水圧による液晶死亡事故が多発したこと(メーカーからの公式発表はない).幸いKazchariは無事だったが,怖くて水中使用は遠慮したくなる.現在,あえなくディスコンとなり,値段も一時2万円ほどになった.
今でも一応買えます.陸上撮影中心ならおすすめ.

OLYMPUS アクションカメラ STYLUS TG-Tracker グリーン 防水性能30m 耐衝撃2.1m 耐荷重100kgf 防塵 耐低温-10℃

で,今回は『TG-Tracker』の代わりに手持ちの『GoPro HERO6』を持ち込むことにした.純正ハウジングがAmazonで売り切れだったのでYahoo shopping経由Joshinで購入.定価かな.

GoPro ダイブハウジング(HERO7 Black / HERO6 Black / HERO5 Black)ブラック Super Suit AADIV-001

昨夜届いたので開封の儀.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

Gopro本体のレンズカバーが固い.爪折れそう.なんとか外して装着.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

さらにAmazonにてレンズフィルターと吸湿剤を購入.はたして使えるか?

【Taisioner】GoPro HERO7/6/5専用 外線透過フィルター 三つタイプ レンズフィルターキット 水中撮影セット 3個入り

水中撮影の曇り止めシート 24枚入り再使用可能な水分吸収ストリップ

Kazcahriはプロではありません.ただのカメラ沼で溺れている素人です.水中写真はダメです.まともな人は足を踏み入れてはなりませぬ.毎回,この重装備に我ながらアホやなぁと思いつつも,こんな絵が撮れるからやめられない...

OLYMPUS OM-D E-M5 / ZUIKO DIGITAL ED 8mm F3.5 Fisheye
OLYMPUS OM-D E-M5 / M.ZUIKO ED 60mm F2.8 Macro

ラジャ旅の回顧録は帰国後にアップ予定.

というわけでバリバリのオリユーザなのですが,ここに来て嫌な噂が...

オリンパスCEOが「カメラ事業は売却しない」という発言を撤回

えーっ!

『ナイトクローラー』を観た

2019/11/9

ナイトクローラー(字幕版)

(以下,内容に触れます)

ZwiftしながらAmazon Primeでナイトクローラーを観た.

鑑賞後,まず感想として浮かぶのは主人公,ルーの胸糞悪さ.正真正銘のクズである.一方でこのような見方もできる.
「人間,自分が本当に好きなことを見つけると,倫理観もクソもなく徹底的に夢中になれる.うらやましい!」

このルー,他人への共感性は皆無.いわゆるサイコパスなのだろう.本当に孤独だが嘆いてはいない.学歴もコネもなく,建築資材の窃盗で生計を立てている.場合によっては殺人も(あの時計!).

ある日,偶然遭遇した交通事故の現場で報道ビデオカメラマンの仕事を知り,すっかり魅せられる.この時の恍惚とした表情が印象的.
一晩中無線を傍受し,警察より先に現場に到着し,映像を撮り,テレビ局に売る.
night crawler = 夜に這う者.こうした報道パパラッチを指す言葉らしい.

自らの天職に気づいたルー.ここからの行動が早い.高級ロードバイクを窃盗→転売し,小型のビデオカメラを手に入れる.運よく,過激な(テレビ受けする)映像が撮れ,テレビ局の女性ディレクターに認められる.

そこからのルーは水を得た魚状態.当初こそ実績がないのに助手を雇うなど清水的側面もあったが,持ち前の交渉力(コミュ力ではない),行動力,粘着性,さらには卓越したドライビングテクニック(なぜ?)により,実績を上げていく.

周りの人間,特に助手に対し経営学などから,偉そうな理論を宣うが,結局は自分の都合の良い考えだけをピックアップし,相手に押し付けている.
「よく知っているわね.どこで学んだの?」という女性ディレクターの問いに,「全部ネット」と答える臆面のなさ.相手がどう考えるかは関係ない.自らの欲望にとことん正直なのだ.

このような仕事なのに,目立ちすぎる赤くうるさいスポーツカーを選ぶ時点で,ルーの歪んだ認知が表現されている.

こうしたシリアス系映画を観ると,世界一豊かな国であっても,かの国には住みたくないなぁと思う.女性ディレクターが言う「郊外に住む裕福な白人が黒人やヒスパニック系に理不尽に殺される映像が理想的」.この図式が最も稼げるらしい.怖いもの見たさと共に,幸福だった人々が堕ちることに快感を得たいという心理が働くためか.
ヤフコメなんかでミスった素人や芸能人を徹底的に攻撃している人って,快感物質ドーパミンが出まくっているそうな.

フィリピンなどのスラム街の住人の幸福度が高いのは,家族・友人とのつながりが深いからという話がある(“豊かな生活”を知らないからという反論もある).一方,豊かだが格差のある社会では,いわゆる勝ち組で物質的に豊かな人々でも,自宅周囲の治安に問題があると幸福度は下がるらしい.ちょっと買い物に出るだけでもドアtoドアでないと安心できない社会は嫌やなぁ.ストレスに殺されそう.ヨハネスブルグなんて外出時の犯罪遭遇率300%とかいうネタ話もあるし(ようするに3回強盗に遭う).

この映画,ラストシーンが最高のホラー.ルーが新人社員に向かって言う.
「俺は自分がしないことは,お前たちに強制しない」
これ言い換えると,
「俺がするようなことはしてもらう」
ということ.

てなわけで,ピカレスク・ロマンの傑作『ナイトクローラー』.オススメです.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(16)

1993/3/28 Sun

Kazchariは実のところ,長期旅行向きの性格をしていないのかもしれない.
会社での生活や日本でのバイクツーリングが思い出されて仕方がない.誰でもそうなのだろうか? 長い旅に出て,これまでの26年間の人生を客観的に見つめる余裕ができたのかもしれない.

この名もない宿は木造2階建て.高床式構造に近く,1階はほぼ物置になっているようだ.階段を昇ると,張り出したテラスがある.両開きの扉があり,そこを開けた部屋の奥にベッドがいくつか並んでいる.ビーチ沿いの貸別荘という雰囲気である.

昨日の強行軍の疲れからか,夜中に一度トイレに起きた以外は熟睡できた.
首都よりもシムリアップよりも,夜は格段に涼しく,静かだ.

アジア的ペースが身についてきたためか,あわててビーチに出かける気もおきない.
午前中に市場にて両替とメシを済ませた後は,宿のテラスで河部利夫著『東南アジアの歴史』を読んでのんびりと過ごす.すぐ目の前が海であったなら何も言うことはないのだが…

カンボジアを始め,途上国には大人,子供を問わず物乞いがたくさんいる.旅行者間では,そういった方たちに「施しをするかどうか」がよく話題になる.

Kazchariはあまり施しをしない方だと思う.
日本にいる時,特に大学時代に大手新聞社の編集部でバイトをしていた頃には,飢えた人,虐げられた人,不幸な人たちを勝手に想像し作り上げ,いたたまれなくなることもあった.

結果,途上国の子供たちの里親制度,フォスターペアレントに申し込むこともあった.里親と言ってもその子との直接交流はなく,居住する村全体に寄付をする形式にはなっていた(月々5千円).
人生初の海外旅行がケニアだったのは,西アフリカのトーゴに住むその子,ザカール君に会いにいくつもりだったからだ.さすがに海外初心者による西アフリカ個人旅行はハードルは高すぎた.航空機の手配,ヴィザの取得…何より西アフリカなんてガイドブックすら皆無.結局,ケニアで挫折.訪問するには至らなかった.

その後,インドやネパール,今回のような東南アジアの旅を経験し,現実の彼らには嫌悪感を抱いてしまう自分に気づくことになる.
ギラギラした目で,フケだらけの髪の毛で,真っ黒な手のひらで,障害のある幼子を抱いたままで,足がなくスケボーに乗ったままで追いかけてくる彼らに,ほとんどの場合,見たくないものを見せられたという気になる.恐怖だ.
だが,彼らが去った後,良心らしきもの(?)が抵抗を示し,自己嫌悪に陥ってしまう.

Y氏は“地雷によって足をなくした人”には「やる」と決めているらしい.自分で一定の基準を決めておかないと,目前に突き出された手を見る度に悩むことになる.

読書に飽きると,市場へ.ここコンポンソムもまた,他の地方都市同様,食物に乏しい所であった.タイの屋台メシが懐かしい.パッタイが食べたい.

スパイクタイヤ,はじめました.

2019/11/19

今朝の路面はやばい.やばすぎる.

OLYMPUS TG-5

昨日は午後から雪が雨に変わり,融雪&アスファルトが顔をだしつつあった.さらに夕方からの強風! 結果,自宅前がスケートリンクに変わっていた.

ふっふっふ,こんなこともあろうかと,昨夜のうちにノーマルのブロックタイヤをスパイクタイヤに変えておいたのだ.ただし前輪だけ.

根雪にはまだ余裕ありそうやし,予報上は今後10℃以上になる日もあるらしいし,露出アスファルトでピンを削りたくないし…で前輪だけ交換.理論上,前輪がグリップすれば転倒リスクはかなり減るっ(はず).

で,朝ですよ.いつも通り3本ローラーで汗を流し,朝飯食って家事をして,AM8:20頃,さぁ行くでと玄関開けたら…むっちゃ後悔した.後輪も変えときゃよかった.トラクションかけるとすぐに蛇行する.むしろこちらから露出路面を探してガリガリ走る始末.交差点は押して渡りましたよ.

ちなみに使用しているスパイクタイヤはこれ.

45NRTH Diliinger 4 Studded Fat Bike Tire 26×4.0

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

ノーマルの26×4.6に比べると,当然細身でファットらしさは半減するが,その安心感は爆上がり.ファット購入1年目の冬はノーマルだけで過ごし,交差点の圧雪で転倒しまくった.後続の車,さぞかし怖かったであろう.スイマセン.
2年目,すなわち昨年にこのタイヤを吉田輪業さんで購入.1本¥12500だったかな.ファットのタイヤは高いのです.

問題はファットのタイヤ交換,まだコツがうまくつかめない.30分はかかるなぁ.先月屋外でパンク修理した時は,なぜかスムーズだったのだが…
昨夜は前輪交換で某メーカーのタイヤレバー1本折ってしもた.でも,予備に持っていたPanaracer製のレバーはホンマ使いやすい.タイヤに差し込む先端の形が秀逸.

パナレーサー(Panaracer) タイヤレバー PTL 3本セット


さぁ,今夜は後輪のタイヤ交換!

Amazon Primeでこんなドキュメントを発見.冬チャリダー必見.

Bicicles

The Frozen Road

旅の回顧録~1993年のカンボジア(15)

カンボジアでリゾート?

1993/3/27 Sat

AM4:30,起床.
隣のベッドの日本人に,タケオ情報を聞きつつ荷造りをする. 
便意に襲われ,トイレにあたふたと駆け込む.久々の快便であった.腸の機能は回復しつつあるようだ.

「Inn house」をチェックアウトし,もう2度と利用することはあるまいと思っていたプノンペン駅にY氏,大前田氏と3人で向かう.そしてコンポンソム行の列車(今回はショベルカー運搬車!)に乗り込む.

AM7:00,出発.
いつもながらスタート時は心地よいカンボジア鉄道の旅.やがて南部方面へ線路が分岐する.しばらく進むと永野護がデザインしたかのような純白で繊細な寺院がジャングルの中にそびえていた.実に美しい.

やはり暑さはやってくる.ショベルの中に身を隠すも焼け石に水.あまりの暑さに意識が朦朧としてきた.

途中で何度も列車の連結,切り離し作業が行われる.このため到着時刻がどんどん遅れていく…それにしてもやなぁ,駅の切符売り場のおっさんは昼の2時には着くと言うてたで,なんでや!

Kazchari達の乗っていた運搬車両もとうとう切り離された.もはや扉の閉じた貨物車しか残っていない.屋根にも上れず途方にくれていると,機関士が声をかけてくれ,運転席に乗せてもらうことができた.

身体が疲れきっていたので,質問などに生返事していたにも関わらず,弁当やお茶をくれ,しまいにはコンポンソム駅の職員用宿舎に泊まれと言ってくれた.感謝感謝.クメール人は誠に親切である.

PM7:30,ようやくコンポンソム着.

機関士に別れを告げ,群がるバイクタクシーを振り払い,Y氏がドイツ人から聞いたという安ホテルを探して2キロ程海岸沿いを歩く.

キーポイントとなるレストランを発見.なんでも,ここの主人が空き家をゲストに開放しているらしい.そこでタイ製インスタントラーメンの夕食をとる.TVでは懐かしの『Take On Me』のMTVが流れていた.何か意味深.

ゲストハウスまでくるまで送ってもらう.一泊US$5のベッドにようやく落ち着く.
この宿,電気はあるが水道はない.外の大甕にたまった雨水でカラダを洗うシステム.一人旅のアメリカ人女性が,先客として滞在していた.(その16へ)

雪景色サイクリングロードライド

2019/11/17 Sun

OLYMPUS TG-5

Mostly Cloudy, -3°C, Feels like -8°C, Humidity 81%, Wind 5m/s from W

朝から自宅前の雪かき.一息ついた所でファットくん出撃!
今日からハンドルカバーを装着(手袋が薄手でOKとなるのでブレーキ,ギア操作しやすい).
こうして徐々に冬装備に変わっていくファットくん.
雪の状態からみて圧雪アイスバーン箇所は少ないとみて,ノーマルブロックタイヤのまま.
交換が面倒くさいので逃げているだけかも.
行き先はっ,おそらく今しか走れない忠別川サイクリングロードッ!

バイクパーツセンター ネオプレーン ハンドルカバー ウォーマーブラック 左右セット

近所の通称”シャイニング”通りを抜け川堰に向かう(映画の『シャイニング』クライマックスのあれ).

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

川堰の上こそ除雪されていたものの,サイクリングロードは案の定,積雪15cm~ほどで雪の進軍状態.
かろうじて残る,人(+犬)の足跡を辿る.誰にも出会わない.夏には気にも留めない木々が,雪から生えて良い感じのオブジェと化している.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

この季節の雪は重い.
ホイールにまとわりついてペダリングがどんどん重くなる.
Zwiftの10%坂をずっと登っている印象.
これもまた冬チャリトレーニングの醍醐味と,時々踏むがやはりもたない.
すぐに汗だくになる.如何せん景色が美しすぎて頻繁に止まるし.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

結局,駅に到着するのに1時間ほどかかった.向かい風がどんどん強くなってきたので,駅構内に避難避難.持参したコーヒーで一服.旭橋付近まで行く予定だったがここでDNF.帰路につくことに.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

もちろん,このままサイクリングロードリターンでは面白くないので神楽岡公園に寄ることにした.
この公園,冬は散歩道がクロカンコースに変わる.
もう少し積雪が進むと足つき必須の難コースに変わるのだが,まだまだファットでスルスル走れる.

OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5
OLYMPUS TG-5

数名の犬散歩の人以外,誰もいない静かな空間.
冬チャリは飛ばさなくても楽しめる.
寒さ? そうでもない.

腹が減ったので,セイコマにてカロリー摂取.
どれだけ気温が低かろうが「ガリガリ君たまご焼き味」は欠かせないっ!(さすがに寒かったぞ!)

OLYMPUS TG-5

旅の回顧録~1993年のカンボジア(14)

1993/3/26 Fri

朝,日本大使館へ.
昨日増ページを頼んでおいたパスポート(*1)を取りに行く.
なんと15000リエルであった.日本円で350円ほど.2000円程度かかると聞いていたけれど,実際はその国の公定レート(*2)に合わせているようだ.

道端の屋台にてボリューム過多のサンドイッチ朝食(*3).はさんであるパパイヤサラダ(*4)にはアリがたくさん混じっている.これでタンパク質補給も問題なし.

「Capitol」のレストランで旅行者と話したり,洗濯(*5),読書(*6)をして一日を過ごす.

作家を目指しているというY氏の日本語文法論(*7)にいちゃもんをつける.Kazcahriがまるで「わかってないヤツ」のように言われたのでムカついたのだ.どうでもいいことなのだが,あまりにヒマ過ぎてストレスがたまっているのだろうか?

そこへラオスのヴィエンチャンから飛んできた日本人夫婦(*8)登場.ラオスでは,なんとジャール平原(*9)に行ってきたそうな.

明日のコンポン・ソム(*10)行きは検討の結果,またもや列車で行くことになりそうである.雨が降らなければよいのだが.

「Inn House」に戻ってベッドに寝そべっていると,知り合ったばかりの日本人旅行者にプノンペンの売春街「70番」に行かないかと誘われる(*11).
もちろん断る.さっぱりわからん.倫理的うんぬんより,病気,強盗,拉致などの恐怖感が先行する.

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*1:このパスポートはその後盗まれてしまい,ウィーンで発見されることになる.中国系犯罪者が使っていたらしい.
*2:レートはいつもクセモノ.よく知らないと大損する.例えば94年当時,ミャンマーでは公定:US$1=6チャットだが,闇:120チャットだった.
*3:店によって大きさ,味に違いがある.パンが異常に固い点は共通.
*4:タイでは「ソムタム」として有名.うまいことはうまいのだが,沢ガニ入りの時もあり,寄生虫がやや心配.
*5:バケツに洗剤を入れ,汚れ物を2~3時間つけておく.その後2回ほどすすいで干す.水不足の国だと宿の主人に怒られたりする.外干しだと乾きは速いが,扇風機による強制乾燥だとさらに速い.
*6:安宿がかたまる地域では,たいてい古本屋がある.日本語の本では,軽く読めるミステリ系が多い.割と高い.読んだ後は半額で引き取ってくれるところもある.
*7:旅に出ると誰もが評論家になる.ただし長期旅行者にはアクが強い人物が多いので,論争になると収拾がつかなくなることも.
*8:夫婦や恋人で貧乏旅行している人は意外に多い.話を聞くとかなり大変らしい.何しろ互いに気をつかうそうな.
*9:93年当時,ラオスは国内の自由旅行をほとんど認めていなかった.ただしお金を払ってのツアー参加ならOK.古都ルアンプラバン・ツアーがメジャーだが,ジャール平原も興味深い.謎の巨大石壺がゴロゴロ転がってるミステリーゾーンである.
*10:別名シアヌーク・ビル.フランス人が開発したリゾート地.
*11:US$5~だそうな.日本人旅行者に人気の娘がいて,「Capitol」でも話題になっていた.

Randonneurs Sapporo開催2020ブルベ発表!

朝起きると,この様な状況に...

OLYMPUS TG-5

スパイクはまだ早い.
来週の月曜日は雨で最高気温11℃くらいまで上がるそうなので,再び融けるか.
ネットにつなぐと,ランドヌール札幌の2020ブルベリストが発表になっていた.

Randonneurs Sapporo

まだルートが出ておらず名称のみ.
詳細は順次発表とのことで,現時点での雑感を.

⓪ アイスブルベ(2020/1/25 キトウシ温泉発)

2020アイスブルベ100km
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2020アイスブルベ50km
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ランドヌール札幌の独自ブルベ(認定外).
今年は高砂温泉から鷹栖方面を巡る50kmに出走.
3時間30分でゴール.
ほぼ快晴で実に走りやすかった.
ゴール後の高砂温泉は至福.
今年はルートが変わって東川(キトウシ)-美瑛-上富良野方面の50もしくは100kmのどちらか.
参加するならやはり100kmかなぁ.
50kmだといつもの冬サイクリングと距離が変わらないので達成感がイマイチなのです.
とは言え,アイスブルベは天候次第で天国にも地獄にも変わる.
「2017年,完走者1名」の悲劇が思い起こされる(出てないけど).

① BRM502日高門別200km(札幌発)
ルートが全く想像つかないGW半ばのブルベ.
AJ北海道の方で4月のシーズンイン・ブルベあり?
いずれにせよチャリでは走ったことがないルートだと思われる.
参加可能性〇(マル)で.
前泊はGWでも安定の空室あり,ふとみ温泉リラックスルームか.

② BRM516十和田クラシック200km
これはさすがにパス.
出たい気持ちはヤマヤマだが,ヨメ峠は絶対に越えられない.

③ BRM606きのこの山300km(札幌発)
謎ルート.
きのこ王国(?)のことだとすると,超豪華なトイレで有名な大滝周りだろうか?
興味はあるので参加可能性は△.

④ BRM620噴火湾200km(往路)(札幌発)
⑤ BRM621噴火湾200km(復路)(札幌発)
名称からなんとなくルートの想像がつくが,なぜ400km一発ではないのか?
片方は内陸経由で獲得標高がとんでもないとか.
旭川からの移動を含めると2泊3日...これも参加は難しいかも.

⑥ BRM723クロスコート200km from札幌
⑦ BRM723クロスコート200km from旭川
⑧ BRM723クロスコート200km from釧路
このような開催方法もあるのかと.
この3つだと意図がよくわからないのだが,翌日の...

⑨ BRM724アタック三国峠300km(音更発)
で,真相が明らかに.
睡眠がたっぷりとれる500kmブルベだったのねん.
アタック三国峠は2018年に完走.
2020年はスタート地点も違うし,幌鹿峠も開通済みなので難易度がアップしているはず.
残念ながら祝日開催.
両方とも参加は無理か...

⑩ BRM829弁慶岬600km(札幌発)
これはぜひ参加したい.
弁慶岬がどこかわからなかったので早速検索.
寿都にあるらしい.
つまり道南周りの600?
現時点で参加意欲は◎.
問題はその2週間前にAJ北海道の「納沙布1200」があるということ.
疲労回復峠のみならずヨメ峠は越えられるか?

⑪ BRM926霧立400km(札幌発)
霧立はやはり霧立峠のこと?
すると増毛や北村300っぽい海岸沿いから内陸に入るルートかな.
時期が時期だけに夜間の防寒がポイントか.
シーズン最終に近いので参加可能性は〇(マル).

正式ルート確認後,アップデートかな.
さすがにランドヌール札幌だけではSR達成は難しそう.
AJ北海道との組み合わせは必須.

今年のブルベ界隈,最大の話題はルートラボ代替問題でしょう(ホンマ?).
いつ決定打が登場するのやら...とすっかり他力本願.

旅の回顧録~1993年のカンボジア(13)

1993/3/25 Thu

AM7:00から8:00までをまどろみの中で過ごす.

起床後,我が愛しの赤いパスポートを取りにベトナム大使館まで歩く.ついに手に入れたベトナムヴィザには入国可能ポイントが3ヶ所も書いてあった.

屋台でサンドイッチを買い,「Capitol」 のレストランでアイスコーヒーを頼む.うまい.夢見ていた朝食である.

そこへ大前田氏登場.海岸行きを断って,明後日ベトナムに抜けます…と言うつもりが,あの人の前に出るとなぜか不思議な力が働いて(途中で自衛隊駐留地のタケオにも寄るという話が効いたか?),海岸行きが決定.カンボジアヴィザの再々延長をすることになってしまった.

バイクタクシーをつかまえてイミグレーションに行ってもらおうとするが,ホンマに運ちゃん,プノンペンの地理がわかっていない.まぁ,現地民や普通の観光客がそうそう行くところではないのだが…散々寄り道された挙句,AM10:40,ギリギリでヴィザ申請に間に合った.

「Inn House」に戻った後,大前田氏と銀行経由で郵便局へ.タイ資本の銀行にて,T/C US$300をキャッシュに換えた(US$294 GET.手数料高い).
郵便局では3人に絵はがきを発送。全部で1300Rであった.

帰り道.中央市場にて「中華風ぶっかけメシ」を食う.やはり地方よりプノンペンの方がうまい.ついでにガラスケースに札束を並べた青空両替所にて,おばちゃんとレートの交渉.明るい「闇チェン」である.US$10が55000リエルになり,バッグが札束だらけになった(インフレ途上国あるある).

「Capitol」のレストランはすっかり旅行者のたまり場となっている.
有益な情報,ウソの情報,ヤバイ情報,何でも飛び交っている.退屈はしない.

夕食後も居座り続けてだべっていると,突然銃声が響いた.すぐ裏の路地らしい.野次馬根性で見に行くと,黒人のUN兵が拳銃を空に向けて構えていた.一目で酔っているとわかる.現地住民が取り囲み,彼をなだめていた.

旅が長くなると忘れがちになる.ここはけっして安全な場所ではない.(その14へ)

旅の回顧録~1993年のカンボジア(12)

あの列車に再び乗る.

1993/3/24 Wed

AM5:00,起床.まだ真っ暗なバタンバンの街を駅に向かう.
例の商店に再訪できなかったのが悔やまれる.

切符を買って,どこに乗り込むかを検討.今度の列車には客車が一台も連結されていなかった…

結局,UNTAC車両の運搬貨車に“座る”ことにした.積んであるランドクルーザー,どこかで事故ったのか,もしくは地雷を踏んだのか,前部がクラッシュしていた.

途中の襲撃,強奪を恐れてか,武装したフランス人UN兵が一名,護衛に付いている.「ここに乗ってもいいか?」と尋ねるとOKという返事.一方で現地の人間の乗り込みは拒否していた.

AM7:00,発車.前回より速度が上がったような気がする.各駅での停車時間も短い.これは意外に早くプノンペンに着くかも…と楽観したのが甘かった.

昼に近づくにつれ,気温も急上昇.日差しもきつくなる.Tシャツ泥々,肌ベタベタ.車両運搬車なので,身を隠すスペースは何もない.まさに灼熱地獄.さっきのUN兵に,ランクルの運転席に入らせてくれと頼んだが,許してくれなかった.
帽子,タオルで日差しを防御.座ってる鉄板ももちろん暑い.水をガブ飲みしつつ,タオルをひいて横になりまどろむ.

やがて腹具合がおかしくなる.Big-oneの欲求である.列車が一時停車したのを見計らって貨車を飛び降り,草むらに飛び込もうとすると,UN兵が「NO!」と叫ぶ.彼が指す方向には,しっかりと,あの赤い「DANGER MINE」標識が乱立していた…

仕方なく貨車の上で顔面蒼白,冷や汗タラタラでさらに我慢す.こうなったら最後の手段である.2台並んだランクルの間にしゃがみこんで,ビニール袋のなかにする…ホッと一息ついた頃,人混みの駅に列車が入っていった.

PM3:00を過ぎるとさすがに過ごしやすくなる.やがて日が暮れた.

遠くに見える“大都市”プノンペンの明かり.さぁ,もうすぐだと思った途端,いきなり大砲が3発鳴って急停車.襲撃か!と思いきや,機関部の故障であった.

待つこと2時間,ようやく発車.プノンペン着はPM9:00であった.

大前田氏,Y氏,Kazchariの3人は「Capitol」目指して大通りを歩く.疲労のため全員一言もしゃべらない.
そこへカンボジア人の警官が3人寄ってきて,パスポートを見せろだの,荷物検査をさせろだのと,たわけたことをぬかしやがる.どうせ賄賂目的.ただでさえ空腹でイラだっている日本人3人組は,ムカムカして逆にくってかかり,要求は無視してその場を立ち去るのであった.

「Capitol」が満室だったので,近くの安宿「Inn House」のドミ(US$5)に落ち着く.鏡に映った自分の姿を見て,なぜ警官に職質されたのかがわかった.(その13へ)